第2話 残った希望

 体高だけでも2m近い。

 まだ成長途中でも、身長は低くないニロだが。

 それよりも頭一つ以上高い。

 濃い茶色で硬そうな、体毛に覆われていた。

 体格に比べると細いが、力強い四肢には蹄があった。

 大きな口から、はみ出て反り返る牙。

 細く短い尾は二本生えていた。


 村へ戻って来て、ニロと対峙する魔獣は猪。

 見た目は巨大なイノシシの魔獣だった。

 一息で飛び掛かれる距離で、見つかってしまってからでは、特別製のクロスボウは使えない。弦を引いて矢を番えるまでに、時間がかかりすぎる武器であった。

 ニロは躊躇なくクロスボウを下ろすと、ナイフを抜いて飛び掛かる。


注) 猪型の魔獣

 通常の猪と違う特徴として、先ず大きさが挙げられる。

 肉食なのだが、体長が5mを越える個体も、そう珍しくはない。

 そんな巨体でも、身に詰まった魔力の所為なのか、機敏な動きをみせる。

 巨大な牙を立てた突進は、重装歩兵でも止められないほどである。

 逃げるにしても、大抵の人間よりも速い。

 弱点といえば、突進中の脇腹くらいだろう。

 囮が突進を喰らって、ミンチになっている間に攻めるしかないか。

 突進を喰らった後の、咬みつきにも注意が必要である。

 ヒトくらいならば、骨ごと簡単に砕き、食い千切る力がある。

 背中の脂身は、トロトロで旨味が強い。

 大根と一緒に煮ると、堪らない旨さだったりはする。


~リアン書房刊 アーネスト・トプソン著 『世界の魔獣』より抜粋~


 絶妙なニロの飛び込みに、得意の突進を出すタイミングを逃すイノシシ。

 バランスを崩した魔獣へ飛び掛かり、太い喉へナイフを突き立てる。

「ブフォオオッ!」

 頭を振り、暴れるイノシシが、ニロを振り払う。

 飛んだニロは体を捻り、ナイフで魔獣の横っ腹を切り裂く。

 父の遺した大型のナイフだが、魔獣の厚い脂肪を貫くには足りなかった。


 着地したニロに、魔獣が向き直る。

 まるでアクセルをふかすように、後ろ足が土を掻く。

 睨み合うニロと魔獣。

 そこへ前後から叫ぶ声が、ほぼ同時に届く。

「「ニロ!」」


 魔獣は、後ろからの気配と声が気になるようだが、目の前の少年の殺気が、視線を外す事を許さない。

「俺の最高傑作だ。使えニロっ!」

 ニロの足元に、剣が突き立つ。

 素人が見ても、一目で業物わざものだと分かる逸品だ。

 長さは尋常だが、幅が広く厚みもある。

 重そうな剣を掴んだニロが、目の前の魔獣へ駆ける。


 生きていた。

 まだ、村は全滅じゃなかった。

 あふれそうになる涙を堪え、緩みそうになる心を、怒りと殺意で塗り潰す。

 目の前の獲物だけを見据え、ニロは剣を構えて飛び込む。


「ニロはやらせないっ!」

 魔獣の背後から突進した少女が、勢いよく長い棒を突き出す。

 それはこんと呼ばれる武器。

 少女の必死な想いか、決死の覚悟が起こした奇跡なのか。

 それは見事に、魔獣の身体を貫いた。

 それは見事に、尻の穴へまっすぐ、吸い込まれるように。


注) 棍

 坊さんが 棒を持ったら 少林寺

 そんな棒を思い浮かべてもらえたら、分かりやすいでしょうか。

 彼女の棒は、それほどものではありませんが。

 刃部分である穂先のない、細身の槍といった方があうかもしれません。

 そんな長い棒が、彼女の武器です。

 振り回し薙ぎ払ったり、突き刺したりと、多数相手にも戦える武器です。

 刃物と違い、刃毀はこぼれを気にしたりという、手入れの手間がいりません。

 薄い刃物で打ち合えば、刃毀れではすまない事になります。

 今回のような奇跡が起これば、充分以上の攻撃力となります。

 頭を打ったりすれば、人を殺す事もできます。

 良い子は、人を叩いたりすることに、使わないようにしましょう。

 ……良い子は、これを読んでいたりもしませんね。


「プギィ!」

 どんなに鍛えていようとも、どんなに魔力があろうとも。

 硬い棒を、尻の穴から1m以上、突然突き込まれれば、耐えられはしない。

 悲痛な短い悲鳴と共に、魔獣の動きが止まる。

 ぴんと伸びた四肢が、なんか憐れで可愛い。


 そこへ拾った剣を持った、ニロが必殺の気合と共に飛び込む。

 ニロは田舎の猟師だ。

 剣術など習ったこともないし、剣を握ったのも初めてだった。

 そんな彼が、剣を振り回したところで、魔獣を仕留める事は出来ない。

 ニロは腰に柄をあて、固定したまま、体ごと魔獣へ突っ込んだ。


 猟師として鍛えたニロの平突きが、魔獣の鎖骨の脇へ突き刺さる。

 必殺の気合か、猟師としての経験からか、急所を一突きに捉える。

 鎖骨の脇から入った刃は、骨を躱し、心臓へ突き進む。


 ニロにとって村人は皆、親兄妹であり家族であった。

 いっぺんに家族を失った、悲しみと怒りが、彼の身体を、背を押す。

 抉れるほどに地面を蹴る足が、少年の身体を、剣を、押し出す。

 前から後ろから、体を貫かれた魔獣が、血を吐き横に倒れる。


「ニロっ」

 少女が一人、ニロに駆け寄り、飛び込むように抱き着いた。

「ネア……どうして、ここに……そうだっ、パオロ」

 村を出て隣国へ行ったはずの、幼馴染みの少女ネアに驚くニロ。

 それに、剣を投げてくれた声は、鍛冶屋のパオロだった。

 まだ生き残りがいたと、胸で泣くネアを抱いたまま振り向く。


「パオロ……」

 鍛冶屋のパオロは、最後の力を振り絞り、剣を渡していた。

 倒れた彼は、ほぼ上半身だけであった。


 どれだけ時間が経ったのか、ネアの涙が止まるまで、ニロも放心していた。

 やっと意識を取り戻したニロが、泣き止んだネアから話を聞く。

「母さんは、結局ダメだったの。それで父さんと村に」

「そうか……残念だ。ジョンは?」

 去年、ネアの母の病気を治す為、隣国ダリアへ一家で向かったのだった。

「向こうで雇った護衛の人と一緒に、山の中で……アタシだけ逃がしてくれたの」

 魔獣の狂奔のおかげで、彼女はその後襲われずに、村まで辿り着けた。

 運が良いのか悪いのか。


「取り敢えず、みんなをこのままには出来ないよ」

「うん。そうだね」

「皆を集めよう」

「そうだ。アタシ、魔法を使えるようになったんだよ」

「え、凄いじゃないか」

「体力回復しか出来ないけどね。怪我は治せないけど、疲れを癒す魔法だよ」

「なら、めいいっぱい働けるな」

 なんともいえない魔法を会得していた。

「ニロ……まずは、それを放そうか」

「え? あっ……握ったままだった」


 興奮のせいか、ニロは剣を握りしめたままだった。

 血が滲む程に硬く、握りしめたままだった。

 なんとかネアが、固まった指を開き、剣を手放す。

「やつらを、このまま逃がしはしない」

「魔獣って、魔王が放ったって噂は、本当なのかな」

「それなら魔王も許さない」


 全てを失ったと思っていた少年だが、たった一人だけでも生きていてくれた。

 たった一人残った少女と、復讐の旅に出る事を決意する。

 丁度良い魔王という存在が、彼等の心をぎりぎりでとどめる。

 復讐の相手を作る事で、彼等の心は、完全に壊れる事を回避できた。


 村人の遺体を集めながら、復讐を誓う少年。

 少女も、魔界だろうと魔王のもとであろうと、少年についていくと決めていた。

 長閑な田舎で暮らす少年と少女が、復讐を遂げるまでの物語。

 全てを魔王の所為にした少年が、救国の勇者と呼ばれる……かもしれない物語。

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