番外編:変遷 ⑬



 すっかり薄暗くなった部屋、ベッドに横になったまま月明かりを頼りにサイドテーブルに置いた婚姻届を手に取る。暫く会っていない両親を思い出し、近いうちに彼と挨拶に行こうと心に決めた後何とはなしに裏を捲った。



「な……っ!」



 ジョアンナは言葉を失った。裏面の保証人欄には武骨な文字で書かれたテオドールのサインと、お手本のように美しく書かれたクラウディアのサインが並んでいた。呆れた顔で婚姻届を見つめるテオドールと、大喜びでペンを取るクラウディアがすぐ頭に浮かんだ。



 二人のサインに硬直しているジョアンナを見て、隣で寝そべるサムは何でもないことのように笑った。



「お二人に事情を説明したら、喜んで書いて下さったんです」




「せ、説明って……?」



 ジョアンナの悲鳴がアパート中に響く迄、あと少し。






◇◇◇◇




 翌日、二人の主は頭を抱えていた。サムの勢いに負け、婚姻届の保証人欄にサインをし、クラウディアもにこにこと「二人の式が楽しみです」なんて嬉しそうに話していたから悩む暇も無かったのだが、冷静に考えれば愛しの婚約者に童貞だとばれてしまったのだ。テオドールの心は荒れ狂っていた。




「テオドール様?どこか体調でも……?」



 心配そうに尋ねるクラウディアへテオドールは「問題ない」と頭を振った。「温かいお茶でも飲みましょう」と提案した彼女が侍女へ準備を頼んでいる様子をぼんやりと見ているだけで気持ちが和らいでいく。




「今日はサムもジョアンナも出勤しますね。少し心配ですが」



「ああ」



 あの二人のせいで辱めを受けることになったのだとテオドールは内心腹を立てていた。だが、クラウディアにはそれを悟らせないよう必死だ。その時、ノックの音が響き噂をしていた二人が入室した。




「サム、ジョアンナ!」



 嬉しそうに声を上げたクラウディアへ、サムはへにゃりと笑いジョアンナはいつも通り頭を下げた。



「お休みをいただき申し訳ありませんでした。お騒がせしましたが、この度籍を入れることとなりましたのでご報告に参りました」



 まるで業務の報告をしているかのようにジョアンナはつらつらと話した。クラウディアは満面の笑顔を浮かべ、ジョアンナの両手をぎゅっと握った。



「まぁ!おめでとう!とっても嬉しいわ!みんなでお祝いしましょうね」



「あ、ありがとうございます」



「ありがとうございます、クラウディア様」



 主の熱に押され、思わずたじろぐジョアンナと嬉しそうに頷くサム、そして幸せそうに彼らを祝うクラウディアを見ていると先程まで二人に腹を立てていたことも水に流せそうだ。テオドールが折角そう思っていたというのにジョアンナが特大の爆弾を落とした。




「あと……旦那様、陰で童貞などとお呼びして申し訳ありませんでした」



「……っ!」



 ジョアンナは冷静に告げると深々と頭を下げた。そんな婚約者を見て、サムは止めるどころか胸を張っていた。自分はもう童貞ではないのだと自慢するかのように……こいつだけは後で一発殴ろう、そう決意している間にサムとジョアンナはさっさと退室しクラウディアと二人きりになってしまった。



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