第7話 ヴァダイの涙

 ヴァダイ視点となります。

※後半のシーンで残酷な描写がございます。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 セナンはまた涙を流していた。


 アピが去った後、彼女は一頻ひとしきり泣いたかと思うと、今度は椅子に座りぼーっと窓の外を眺める。そしてまた涙を流す。それを幾度も繰り返していた。


 何度か言葉を掛けたが彼女からの返答は何もなかった。宿主の心と体の乱れは守護精霊にも大きく影響する。時が移る毎に、彼女と我の力が失われていくのが手に取るようにわかった。 



 セナンに精霊の護りが宿ったのは決して偶然ではない。ある日、数百年ぶりに精霊界にリリアイラが姿を見せた。


「面白そうな奴を見つけた。おれはそいつに宿る。ヴァダイ、おまえはそいつのつがいに宿れ」


「どんな奴なんだ?」


「ドゥーカという少年だ。あいつとならシャルヴァを倒せる。おまえはそいつの番のセナンという少女を育て上げろ」


「委細承知した」



 我々が宿ってからの二人は目覚ましい成長を遂げた。ドゥーカに劣らず、セナンも精霊の力を使いこなす能力に長けていた。日々成長していく彼女が誇らしくもあった。


「ねぇヴァダイ。私いつかドゥーカのお嫁さんになりたいんだ」


「そうか。ドゥーカもそれを望んでいるだろう」


「結婚して、いつか子供が産まれて――そうだ! 子供の名前はヴァダイが付けていいよ!」


われが名付けていいのか?」


「もちろん! リリアイラだときっと変てこな名前つけるでしょう? ヴァダイが付けてくれたらきっとドゥーカも喜ぶよ」


 全てが終わる時、セナンからは離れる事になる。その事は彼女には伝えていなかった。だが彼女が夢見る未来を側で見てみたいものだと、この時は思っていた。



 街を出てから二人は順調にその功績を上げていった。国からも認められ、ガヌシャバ討伐という次の段階も見えてきた時だった。僅かだがセナンに心の乱れが感じられた。しかし人間の機微きびは精霊の理解が遠く及ばない。



 彼女が悩みを打ち明けてきてもその答えを我は持っていなかった。精霊が出来る事は、その行動を戒めるのみ。解決の道標は彼女自身が見つけるしかない。



「ドゥーカとセナンの番のしるしが消えかかってる」


 リリアイラが唐突にそう伝えてきた。彼女の最近の行動を見れば、それは必然の結果だろう。



 そしてあの時、ドゥーカは恋人の裏切りを目の前で見た。あの瞬間に番の印は消え失せたのだろう。なにも出来ないもどかしさの中、ただ黙って見る事しか我には出来なかった。




 太陽が真上に昇った丁度その頃、リリアイラとの対の線が繋がった。


〈おれから言う事は特にないが、一応おまえの話も聞いておこうと思ってな》


《ああ、いろいろすまなかったリリアイラ。我の落ち度だ〉


〈けっ! 相変わらず堅物かたぶつだなおまえは。人の心はおれでもよくわかんねぇよ。で、これからどうするつもりだ?》


《後始末はちゃんとしておく。その後は次の宿主を探すつもりだ〉


〈間に合わなかったら別の者にやらせるぞ?》


《ああ、委細承知した〉


 ふんと、リリアイラは鼻を鳴らして再び対の線を切った。その時ノックの音もせず部屋の扉が開いた。入って来たのはバンガルドだった。


「おいセナン! ガヌシャバを倒したってのは本当か!? ダンジョンから魔物が消えて王宮は大騒ぎだ!」


 セナンは泣き腫らした目をゆっくりバンガルドに向けた。そして無言のまま暫く彼を見つめていた。バンガルドは椅子に座る彼女に近づくとそっと頭を抱いた。


「ドゥーカに捨てられても大丈夫だ。おれがおまえを守ってやる」


 その言葉に泣いたのか。それとも別の想いで泣いたのか。セナンは両手で顔を覆い、肩を震わせていた。バンガルドは彼女を見下みおろし薄ら笑いを浮かべていた。


「ところでドゥーカはどこに行ったんだ?」


 彼女は顔を横に振りながらわからないと、消え入るような声で答えた。それから二言三言ふたことみこと言葉を交わし、バンガルドは王宮へと戻った。




 そして翌日、王都広場でガヌシャバ討伐の式典が催される事となった。朝から数人のメイドがやってきて、セナンを美しく磨き上げていく。


「ドレス姿は久しいな。良く似合ってるぞセナン」


 昨日からずっと無表情だった顔が僅かにほころんだ。そして呟くように彼女は言った。


「ドゥーカとの結婚式、見せてあげれなくてごめんね……」


 すでに涙は枯れ果てたのか、彼女の目はただ遠くを見つめていた。



 王宮から迎えの馬車が到着した。扉を開けると中にはジャ・ムーがすでに乗っていた。淡い栗色の髪は頬の辺りで短く切り揃えてあり、一見すると少年のように見える。だが今日はかわいい水色のドレスに身を包んでいた。彼女は眼鏡を軽く押さえセナンに笑顔で会釈した。


「今日は凄くお綺麗です。セナンさん」


 セナンも社交的な笑みを浮かべ彼女に答えた。


「あなたもよく似合ってるわ。ジャ・ムー」


 二人を乗せた馬車は王都広場へと向かう。ガタガタと車輪の音だけが響く中、セナンの正面に座るジャ・ムーが恐る恐る尋ねた。


「ドゥーカさんとアピちゃんは消えてしまったと聞いたんですが……」


 セナンは一度彼女の方をちらりと見ると、すぐに顔を背け馬車の外に目を向けた。

行きかう人々は皆笑顔だ。街中が歓喜の雰囲気に満ち溢れていた。セナンはゆっくりと口を開いた。


「……二人は転移魔法でどこかへ行ってしまった。行先はわからない」


 ジャ・ムーはその言葉を聞き険しい表情になった。そしてばっとセナンの手を掴むと必死な顔で叫んだ。


「落ち着いたら探しに行きましょう! 私も着いて行きますから!」


「ありがとうジャ・ムー。でももう……私は彼に会う資格はないの」


「それはどういう……何があったんですか?」


「今は何も話したくないの。今度ゆっくりね」


 ジャ・ムーの手を解き、セナンは再び窓から外を見つめた。



 無言の二人を乗せた馬車が広場へと到着した。貴賓室に通された二人を王と王妃、そして王国騎士の礼服を着たバンガルドが出迎える。王に向かいセナンとジャ・ムーはうやうやしく膝をついた。


「セナンよ。今回のマジャラ・クジャハによるガヌシャバの討伐、見事であった。マイジャナ王国を代表して礼を述べる」


 セナンは更に深々と頭を下げた。マイジャナ王が言葉を続ける。


「しかしドゥーカの事は残念だったな。転移魔法を失敗して消えてしまったと報告を受けたが相違ないか?」


「概ね間違いございません」


 こうべを垂れたままそう答えるセナンをジャ・ムーが横目でちらりと見た。


「誠に残念だ。日を改めて追悼式を行うとしよう。だが今日はそなた達がもたらした平和を王国民と共に祝おうじゃないか! それに吉報は他にもあるからのう」


 満面の笑みを浮かべる王の横でバンガルドは不敵に笑っていた。



 王都広場は多くの王国民で埋め尽くされていた。王からガヌシャバの討伐が伝えられると人々の歓喜の声が響き渡った。


「それともう一つ! 今日は嬉しい報告がある!」


 王の一声で民衆が一瞬で静まり返る。暫しの間を置き王が再び声を発した。 

 

「我が国の英雄バンガルドとマジャラ・クジャハの勇者セナンの婚約をここに宣言する! 二人とも前へ!」


 大歓声の湧き上がる中、バンガルドが笑顔で手を振りながら前へと進み出る。セナンも促されるようにその後に続く。その時すぅっと彼女の背中から中に入った。


 セナンの足がぴたりと止まった。例え喧噪の中でも我の声は彼女に聞こえるはずだ。



「聞こえるかセナン。これで最後だ……今日まで共に戦えた事、我は誇りに思う」


 

 セナンは体を震わせ空を仰いだ。枯れたはずの涙が頬を伝う。



「こんな私を最後まで見守ってくれてありがとう……ヴァダイ」



 セナンは天に向かってにっこりと微笑んだ。その瞬間、彼女が体の力をふっと抜いてその身を我に委ねた。意識を奪い体を乗っ取る。彼女の中に残った僅かな精霊の力を掻き集めた。



風刀グロシェナ



 これは幼きセナンが覚えた最初の風魔法だ。初めて魔法が出せた時、彼女が見せたその笑顔はすごく可愛らしかった。


 乗っ取ったはずのセナンの目から雫が流れ落ちた。



 これが涙というものか……

 


 セナンの手から放たれた風魔法がくうを切る。バンガルドの頭が宙に舞い血飛沫を上げた。


 静まり返る群衆。その静寂がすぐに阿鼻叫喚へと変わる。周りの騎士達が一斉にセナンの元へと押し寄せた。最後の一滴を絞り出すように再び魔法を放つ。



風刀グロシェナ



 最後の魔法は騎士達を切り裂きながら逃げる王の背中に届いた。悲鳴をあげる王にジャ・ムーが慌てて駆け寄るのがちらりと見えた。



 セナンの体がゆっくりと地面へ倒れていく。我の力もほぼ使い果たした。


 セナンとの繋がりが完全に切れたのがわかった。


 彼女の体からすうっと離れる。


 

 そして風へと姿を変え大空へと我は飛び去った。





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