第6話 アピとラダカン


 朝影あさかげが差し込む部屋の中で私はヴァダイの言葉を頭の中で反芻はんすうしていた。


「ドゥーカが消えるってどういうこと?」


 ヴァダイは相変わらず虚空を見つめていた。リリアイラとの接触を試みているのだろう。


「リリアイラがブラフマを使うとこが見えた。もし成功してなければドゥーカは消滅する」


「ブラフマ? そんなの初めて聞いたわ。それは魔法?」


 ヴァダイは私にゆっくり顔を向けた。守護精霊が外に出ている時は仮初の姿をしている。精霊には性別などないが、今、ヴァダイは妖艶な女性の姿となっていた。


「ブラフマは一部の精霊しかできない特殊なものだ。宿主の根源と同一化し究極の力を得るとされている。但し、絶対条件がいくつもある。成功しなければ宿主は消滅しその守護精霊も深淵なる狭間に永遠に囚われる事になる」


 深淵なる狭間には私も何度か行った事がある。ドゥーカの魔法で一緒に転移する時は必ずそこを通っていた。


 私が更に詳しく訊こうとした時、誰かが部屋をノックした。


「セナン起きてる?」


 声の主は三年前にパーティに入ったアピという少女だった。彼女もまた精霊の護りを宿している。彼女の守護精霊は火魔法を操るラダカン。まだ十四歳という年齢だが私達S級のパーティ『邪を滅する者マジャラ・クジャハ』にドゥーカが引き入れた。


 私は扉を開け彼女を部屋の中へと迎い入れた。


「どうしたの? アピ」


「ラダカンがヴァダイに伝えて欲しい事があるって。せっかくゆっくり寝てたのに……」


 未だ少女のあどけなさが残る彼女は目を擦りながらそう言った。


「ラダカンはなんて?」


「ドゥーカにぃがガヌシャバを倒したって。というかなんで一人で地の底に行ったの?」


「倒した!? ドゥーカは生きてるのっ!?」


 私は驚いて思わずアピの肩を掴んだ。突然の事にアピは目を丸くして固まった。


「う、うん。生きてるよ。でもブラフマ? が完全に解けずになんとかってラダカンは言ってる」


 私はヴァダイを見た。ヴァダイは何か考え込むようにしばらく頬に手を当てていた。まだ眠たそうなアピはベットに腰掛け欠伸あくびをしていた。


「ラダカンはリリアイラとのついの線は切れてないのか?」


 私がヴァダイの言葉を伝える。アピは自分の左側に顔を向けると軽く何度か頷いた。


「繋がってるって。というかラダカンとヴァダイが対の線結んで話せばばいいのに」


 アピはぷくっと頬を膨らませた。それを聞いたヴァダイがこう言った。


「我々では対の線は一つだけしか結べない。リリアイラが特殊なんだ。だがなぜ……我は意図的に線を切られたのか?」


 その言葉に私はヴァダイから目を背け下を向いた。リリアイラが意図的に切ったのであれば理由は一つしかない。その時アピの声が部屋に響いた。



「えー! ほんとにぃ? やだなぁ……ドゥーカ兄がそう言ってるの?」


 アピがなにやらラダカンと話し込んでいた。精霊世界以外の場所では、対の線を結んでいない精霊同士の意思疎通は出来ない。この場ではラダカンの言葉はアピにしか聞こえない。なにかを説得させられたのだろうか、アピはどこか不満気な顔で頷いていた。


「ガヌシャバを討伐した事をセナンが国王に報告してくれって。後始末は頼んだぞ、だって」


「ドゥーカは? ここには戻ってこないの?」


 私の問いにアピはちらちらと自分の左横を見ている。ラダカンがなにかを伝えているのだろう。


「うーん……そうみたいだよ?」


「どこに行くとかって言ってないの!?」


 再び私は彼女の肩を鷲掴みにして訊いた。アピは少し怯えるように縮こまると、少し間を置いて答えた。


「……ええと、教えてくれないって」


「どうしてっ!?」


「セナン! ……もうやめろ。委細承知したと伝えてくれ」


 私は小さくごめんと、アピに謝った。彼女は済まなさそうな顔を向け、部屋から出て行った。


 ドゥーカは生きていた。だが私は二度と彼に会う事は出来ない。遠くへ行ってしまった彼に、私は謝ることすら叶わない。



「うっ……ううぅぅ……」


 

 ひっそりと静まり返った部屋に、私の嗚咽だけが響いていた。私が泣き止むまで、ヴァダイが何かを語る事はなかった。





 扉を閉めた後、部屋の中からセナンの泣き声が僅かに聞こえた。私は自分の部屋へと戻り、ベットに仰向けになると大きな溜息を吐いた。


「はぁー朝から疲れたよ。ほんとにあれでよかったの? ラダカン」


「仕方なかろう。ドゥーカが決めたんじゃ。儂らは何も言えんて」


「二人はあんなに仲良かったのになー。それで結局何があったの?」


「子供は知らんでいい事じゃ。ほれ、はよ着替えろ」


 私はがばっと上半身だけ起こしラダカンに向かって人差し指をちょんちょんと動かした。


「わかった! セナンが浮気したんでしょ!? 相手は……バンガルドとか!」


「なっ!? お主知っておったのか!?」


「んなわけないでしょー。やっぱちょろいなぁラダカンは」


 ぐぬぬと、ラダカンは悔しそうな表情を浮かべ頭を掻いた。ラダカンの仮初の姿は白髪で筋骨隆々のお爺ちゃんだ。物心ついた時からすでに守護精霊として私に宿っていた。


「でもよりにもよってバンガルドかぁ。私あの人きらーい! だっていつもねちっこい目で見てくるの!」


 私は両手で自分を抱きかかえ、ぶるぶるっと身震いした。


 実際、私はバンガルドがかなり苦手だった。彼はこの西の大国、マイジャナ王国の騎士団長だ。

 

 二年前、私達マジャラ・クジャハは西のダンジョン攻略を国から依頼された。その際、王国騎士団で最も腕が立つというバンガルドが臨時でパーティに入った。確かに剣の強さは目を見張るものがあった。だが私達との実力差は歴然だった。


 はっきり言ってお荷物以外の何物でもなかったが、金髪で眉目秀麗びもくしゅうれいの彼を、国の英雄として祀り上げようという魂胆は見て取れた。


 だが結局、ガヌシャバはドゥーカ兄が一人で倒してしまった。その報告を聞いてマイジャナ王がどんな顔をするのか――


「ちょっと見たかったなぁ。そういえばジャ・ムーには言わなくていいの?」


 ジャ・ムーは一年前にうちのパーティに入った治癒術師だ。ちょっとおっちょこちょいで私はよくからかって遊んでいた。


「あいつもこの国の人間だからええじゃろ。国を出るとなると大事おおごとじゃ。それより早く支度せい! ドゥーカに置いて行かれるぞい!」


 ドゥーカ兄が迎えにくればいいのにと、ぶつぶつ言いながら私は服を着替えた。




 ラダカン達と落ち合う場所で、おれはイライラしながらやつらを待っていた。さっきからドゥーカが黒く染まった自分の左手を繁々しげしげと見ていた。


「どうだ? 気に入ったか?」


「気に入る訳ないだろ。これ手袋とかした方がいいな……」


「そのままでいいじゃねえか。 それ見たら大抵の魔物は逃げてくぜ」


 ドゥーカはやれやれと首を横に振っていた。その時、対の線からラダカンの声が聞こえた。


《すまんな、リリアイラ。もう間もなく着くぞい〉


〈遅ぇよ。置いてっちまうぞ》


《アピの準備に手間取ってな〉


〈あの小娘……いつか教育してやらねえとな》


《まぁそう言うな。それよりセナン達じゃがのぉ……〉


〈ああ……見てたから説明不要だ》


《そうか……ヴァダイはどうするんじゃ?〉


〈あいつとはさっきちょっとだけ線を繋いで話した。後始末が終わったら次の宿主を探すとさ》


《間に合うかのぉ……〉


〈さぁな。一応別の候補もいるっちゃいるがな――》


 その時、遠くからアピの声が聞こえてきた。


「ドゥーカ兄! 待ったぁ?」


 声が聞こえたと思ったら一瞬でアピはドゥーカに抱きついていた。ちなみにこいつは転移魔法が使えるわけではない。ドゥーカはニコニコとアピの頭を撫でていた。


「待ったに決まってるだろ。なんで旅支度にあんな時間かかるんだ?」


「リリアイラには訊いてませーん」


 べーっとおれの声がする方へ、アピが舌を出した。なぜかこいつにはおれの声が聞こえる。ラダカンは対の線が絡まってるんじゃないかとか言ってたが……解せんな。


「それでドゥーカ兄。これからどこまで行くの?」


「南の大陸に行こうと思って。あそこのダンジョンが今一番大変そうだから」


「そっかー、シュラセーナの王女様は綺麗だもんねぇ」


「そ、それは関係ないぞアピ! 邪神を倒すのが目的だから」


 この小娘は人をおちょくるのが天才的に上手い。おれはこいつの守護精霊じゃなくて心底良かったと思っている。



「はーい。じゃあ早速飛んでみよー」


「馬鹿か。大陸まで飛べるわけねえだろ。船で行くんだよ。船で」


「なぁんだ。リリアイラもたいしたことないのねー」


「なっ!? おいドゥーカ! やっぱりこいつは置いてくぞ」


 こいつは本気でしつけし直さないといけねぇとおれは思った。ドゥーカがニヤニヤしているのも鼻につく。


「リリアイラもアピには勝てないな。やっぱりジャ・ムーも連れてくか?」


「はっ! おれは調子を合わせてやってるだけだ。とりあえず港まで飛ぶぞ」


 おれはドゥーカの背中から中に入った。ラダカンも文句を言われながらアピの中へと入っていく。ドゥーカが宥めるようにアピと手を繋ぎ呪文を唱えた。



大転移メタスターシス!」 



 青い光が足元から湧き上がる。円錐状の光が雲を突き破り大空へと伸びていき、一瞬で二人は吸い込まれるように上空へと消えて行った。青い光はまるでかすみのように風と共に溶けていった。


 



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