人生はいつだってhardmode(3)~傲慢で謙虚な最高の口説き文句


 空のような青い瞳が近づいてきたと思ったら、唇が柔らかな何かに塞がれた。

 それが何か理解するために数秒を要した私は、我ながら間抜けだったと思う。

 

 けど勘弁してほしい。

 彼がその行動に出る前に紡いだ言葉で、私はすでにいっぱいいっぱいだったのだから。






『好きだよ』






 たった一言。

 たったの、一言だ。


 四文字だけの言葉の並び。




 それを耳にしただけで、体も思考も全てが一気に熱暴走したかのようにカッと熱くなった。


 しかも今はその相手との距離がなくなっている。互いの吐息が静かに混ざり合い、毒の様に体に溶けていく。

 胸と腹の内部から溶岩でも流れ出ているかのように熱が灯り、形を成そうとする思考全て霧散させていく。



 たかがキス。そう思えたらどんなに楽か。


 口と口がくっつくだけ。人によってはそれだけの行為にすぎないのに、今はそれが体を全て溶解させていくかのように熱く、浮ついた感覚をもたらしている。

 縋るように背中に回していた手に力を入れれば、その手が取られて優美な指先と絡む。

 未だに少女のような体格を保っている彼の指はほっそりとしていて皮膚も滑らかだが、わずかに皮が厚い気がする。すりっと親指の腹を撫でられて、体が淡く痺れた。


(なにこれなにこれなにこれ)


 前世の記憶がある分、そこそこ経験があるものだと思い込んでいた。しかしいざ蓋を開けてみれば余裕など何処にもない。

 それは結局は前世を別人と判じている私が未経験の子供だったからか、相手がフォートくんであるからか、それとも両方か。

 ただただ今は波に流されるように、何もかもが定まらない。





 ……しかし少しすると、熱いばかりだった体が満たされ、穏やかな気持ちに揺蕩っていることに気が付く。灼熱を抜けてぬるま湯につかり切っているような心地よさだ。思わず吐息が唇同士の隙間から零れた。

 その後すぐにわずかばかり出来ていた隙間も、埋められてしまったけれど。





 ………………。


 ……………………。


 …………………………。



 ………………。


 ……………………。


 …………………………。






(な、長いな……)



 変わらず鼓動はうるさいし体と心は多幸感に満たされているけれど、そこそこ時間が長くなってくると別の意味で落ち着かない。

 自然と瞑っていた目をわずかに開けると、長い睫毛の下から薄っすら覗く空色とぶつかった。収まりかけていた熱が再度体内を駆けめぐる。

 み、見られてた!?


「ふぉー、ぅむ」


 無理やり唇を離して名前を呼ぼうとするも、すぐに口をおしつけられて阻止された。抱きしめる力も強くなる。

 その様子に湧き上がってきた気持ちは困った半分。……愛しさ半分。


「…………」


 引いて駄目なら押してみろ。

 逆だっけ? と思いながらも、私は年上の矜持を取り戻すべく自由だった片方の手をフォートくんの頬に添えた。

 そして顔を傾け、口づけをより深くする。


「…………!?」


 舌先でフォートくんの唇表面を撫でると、流石に驚いたのかフォートくんの肩が跳ねる。

 私はその機会を逃さず顔を離すと、そのままフォートくんの胸に顔を寄せた。


「……さっきの。もう一度、聞かせてください」


 ねだるように言葉を紡いで見上げれば、真っ赤になったフォートくんの顔。耳をつけたフォートくんの心臓からは私に負けないほど早くなった鼓動が聞こえてくる。


(なんだ。私だけじゃなかったんだ)





――――ああ、愛しいな。





 ごくごく自然に思う。想う。





 愛おしい。それは私が求めていた感情だ。恋だけでは疲れてしまう。だから愛せる人が欲しかった。

 心をかき乱されるような「恋」とは別に、慈しみたいと感じる「愛」を抱きたい。


 もっと見てほしい。もっと、ずっと見守りたい。

 もっと心が欲しい。もっと、たくさんの心をあげたい。

 もっと、もっと、もっと。


 相手を求めながら自分からも何かを与えたいと感じるこの気持ちは、きっと愛と恋の共存だ。


 だから。


 彼は顔をそらして口元を片手で覆ったが……数瞬後。観念したようにこちらを向いて、視線が絡む。


「好きだよ、ファレリア」


 気恥ずかしい。こそばゆい。でも貰ったのなら、与えたい。


「私もフォートくんが好きですよ。……愛しています」


 そう告げると包み込むように両手をフォートくんの頬に添えて。

 …………今度は私から艶やかで柔らかい少女のような桜色のそれに、口付けた。


 










 ………………。


 ……………………。


 …………………………。



(だああああああああああああああああああああああああ!!!!!!)



 そして、その少しあと。私はフォートくんの細い腰にしがみつき、これまでにないほどの羞恥心に内心悶え転げて大絶叫していた。



(ぐああああああああああ!!!! 恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!! 羞恥!! 言っちゃった言っちゃった言っちゃった!! 好きって、愛してるって!! なにこれアラタさんに言った時と全然違う!! ごめんアラタさん私めちゃくちゃ失礼だった!! あれ本当に本気の告白じゃなかったんですね私!! あんなもんかと思ってました!! こう、好意を持てる相手に好きって言って、あとは付き合ったら色々育んでいけるよね的な!! というか今さら自分がこんな青春ど真ん中ストレートロマンティックズムな感じに告白されて告白し返すとか思わねぇんですよ!! ひぃぃぃぃッ!! 恥ずかしい!!)



 我ながら台無しである。



 未だにふわふわしているものの、告白して満足したのか脳が急速にクリアになっていったのだ。


 そこで襲い掛かってきたもの。その名は「羞恥」。

 羞恥心とは人間生きていく上で失ってはいけないものだと思っているが、それが私を殺しにかかっていた。

 現在私の心は満たされながら大波小波で荒れ狂うという矛盾に侵されている。





(これからどうすればいい!? 何話せばいい!? というかこっぱずかしくて顔が見れない!!)


 そんな気持ちを抱くがゆえに抱き着くしか出来ず、木にしがみつくコアラ状態となっている私である。

 フォートくんも相変わらず私の背中に腕を回して抱きしめてきているものだから、しがみついている腕を離して距離をとることもできない。


 え、これどうする? 両思いになった恋人ってこの後なにするもの?

 へい、前世。教えてくれ。なに? 人と場合による? 都合がいい曖昧な返事に逃げてんじゃないですよ役に立たない奴ですねこのsiri以下が! いやsiriがそんな事に答えてくれるかどうかなんて知らんけど!!


(うあー。うあー。どどどど、どうしよ……)


「……ありがとう」


 私が頭を悩ませ続けていると、フォートくんから先に反応があった。

 けどその声は言葉の内容に反して沈んだもので、気のせいでなければどこか諦念を含んでいるように聞こえた。

 それに私が答える前に、フォートくんは続ける。


「ファレリア馬鹿だしまぬけだし鈍感だしもろもろの配慮がすっぽぬけてるし、ずっと気づかれないものだと思ってた。思わせぶりな反応見せても、絶対こっちの期待を裏切る奴だって」

「おい」


 それがたった今両思いになった恋人に言う言葉か? ……というか、恋人でいいんですよね!?

 けれど見上げた顔はどこか泣きそうに見えて、出かけたツッコミは喉の奥へとひっこんだ。


「……少しでも僕の事を覚えていてくれたらいいって、思ってた。君の心の一部だけでも占領出来たら、それでいいって」

「今フォートくんのことしか考えられてませんけど……」

「そういうことさらっと言うよね」


 少し恨めし気な目で見られて額を小突かれる。


「でもさ。もしかしたら、お互いこんな気持ちを知らなかった方が幸せだったかもね」

「……どうしてですか?」

「だって僕、ここにはもう居られないもの」


 短くなったフォートくんの髪が、彼がうつむいたことでさらりと首に流れた。

 



 フォートくんの言葉に私もようやく考えが至る。というか、さっきまで自分でも考えていたことだ。


 聞いた話の流れとしてはフォートくんもアラタさんも処罰までは受けること無いにしても、それでもマリーデルちゃんを装っていたフォートくんが彼女のふりをしてこのまま学園に居続けることは不可能だ。

 だって主要人物たち全てに、フォートくんが男だとバレてしまったのだから。


「お、男として再入学とか……」


 無理と分かりつつ、縋るように述べればふるふると首を横にふられる。


「性別以前に、僕は貴族じゃない。下町の貧乏な、なにも持ってない……ただのガキだよ」


 自虐的な言い草にフォートくんのいいところ、すごいところをたくさん知っている私としてはムッとなる。けど彼が言わんとしている事を察せないほど、馬鹿でもない。

 一人浮かれていた自分が馬鹿みたいで、唇を噛んだ。


「一緒に来てほしい、とも言えない。だってファレリアみたいな温室育ちで危なっかしい子、外へ連れ出せないよ。安全な場所で囲われていた方が、お似合い」

「ちょっと、言い方」

「事実でしょ?」

「ぐ……」

「実家でぬくぬくしてる期間を増やしたくてアルメラルダに近づくような考えの奴が、今さら貴族として世話を焼かれる以外の生活……できる?」

「うぐぅ……!」

「……それに、ファレリアは家族が好きでしょ。それを捨ててほしいなんて、僕には言えない」

「…………」


 思わず黙る。

 家族……両親の事を持ち出して、万が一にでも私が感情に流された選択をしないように道を塞ぐフォートくんはどこまでも優しい。



 私の前世が何歳まで生きて、どうやって死んだか。実は覚えていない。記憶の図書館にも記録は残っていなかった。

 だけど生みの親より先に逝ってしまったことは確実で、前世を別人と割り切ってもそれが私の心に影響をもたらさないはずもなく。……少なくとも今の両親を悲しませること無く生きようって、そう思っていた。


 だから「人付き合い面倒くさい」だの「実家で長くぬくぬく過ごしたい」だの自分の都合が最優先ではあったものの、家のために、両親のために。……時期は遅らせても、いつか両親が納得できる相手と結婚することを考えていたわけで。




 ……だからこそ、駆け落ちのような選択は取れない。




(やっぱりフォートくん、人をよく見てる)


 この一年の付き合いの中でそんなところまで見抜かれていたのか、と驚く。

 でもそうなると私に言えることは殆どなくなってしまうな……。だってこれ、最大限私の事を考えて言ってくれているんだもの。


 私が押し黙ると、フォートくんは「僕も姉さんが、家族が大好きだから」と言って笑う。だから気にするな、という事らしいけど……これは、ちょっとな。




 うん。


 黙ったままでは、情けない。




「……君くらいの年齢なら、もっとわがままになっていいんですよ」


 気づけばそんな事を言っていた。

 言ってからこちらを気遣って我慢してくれている相手に、ずいぶんと無責任な言葉を投げてしまったと後悔の念が襲ってくる。そのわがままを受け止めきれる度量もないくせに、何を。

 けどフォートくんは嬉しそうに笑った。


「いいの? ……じゃあ、ほんの少し。僕のわがまま聞いてくれる?」

「私に出来る事なら、いくらでも」


 ずるいな、私。フォートくんが絶対私が困るようなことを求めないって確信した上で言ってる。




 ……嫌ですね。

 ずるいままでも、後悔したままでも終われない。終わりたくない。

 度量が無いなら、これから作ればいい。この我慢しっぱなしの少年を受け止めきれるくらい、大きな器を。まだその方法は分からないけれど、ここで私まで諦めてどうする。


 一瞬、心の奥底を舐めるような灼熱の息吹、胎動を感じた。



(でも今は、今の私に出来ることを)


 そっと両手のひらでフォートくんの頬を包み込むようにして視線を合わせた。



「いいよ。言って、わがまま」

「……なら、遠慮なく」



 フォートくんは笑う。だけどそれは泣く直前のような、泣き笑いで。









「ずっと一緒にはいられない。……だからファレリアとの思い出だけ、もっとちょうだい。君の心がもっと欲しい。この先の未来も僕の事を思い出して、ずっとずっと考えていてほしい。他の誰かを好きになったとしても」




――――共にいられないなら、心だけでも縛らせて。


 それはなんて傲慢で謙虚で、最高の口説き文句なのだろうか。








 頷くとさらに深く抱きしめられる。

 そして再び青い瞳が近づい来るのを見て、私は目をつむ……








「そ、そこまでになさーい!! もういい。もういいから……! あ、あああああ、あなた達。なにをしてらっしゃるのかしら!?」

「!?」

「!?」








 割って入ってきた鮮烈な声に、ぱんっとそれまでの空気は弾け飛ぶのだった。






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