思惑crosswars(2)~それは奈落へ続く道

―――――――――――――――― それは、一人の転生者の記録。














 記憶がいつから蘇ったのか、はっきりと覚えてはいない。

 心にへばりつくのは飢餓にも似た乾きと、それを埋めるものを求めてやまない欲の形は波か、それとも炎か。


――――これは来世なんかじゃない。前世からの延長線上にある、特別に与えられたボーナスステージだ。


 そう感じた。

 だからこそ欲に従う事にためらいはなく、いつか来るその日を楽しみに過ごしてきたのだ。





 最初は「ああ、原作通りだ」と感動した。

 見慣れないキャラクターも多くいたが、それは当然だ。ゲーム画面の枠外まで描かれているのだから。


 まず二年、待った。

 アルメラルダの側に見た目だけはやたらと目立つ取り巻きが居ることは気になったが、それにも目を瞑った。


 そしていよいよ原作の始まる年となり、マリーデルが入学してくる。その存在に安堵した。

 ああ、やはりここはゲームの世界だ、と。


 当初は順調に予想通りの動きをしていたアルメラルダを、内心歓喜のままに見守る。

 見たい展開のためには主人公マリーデルが初期のチュートリアルを終え、各キャラの好感度を上げていく段階になってから導いてやればいい。



 ……悪役令嬢アルメラルダが愛らしく美しく奈落へ堕ちてゆく、六つのルートの内のひとつへ進めば満足だった。



 確率は二分の一。

 もしマリーデルがアルメラルダ追放エンドの攻略対象を好きになりかけたら、そこではじめて介入すればいい。それまでは見守る。

 原作通りに進む様を見たいのだから、出来るだけ自分も介入しない方が望ましい。






 何かがおかしくなっている事に気付いたのは、アルメラルダが原作に無い「決闘」を学園に申請してからだ。






 始めは「そんなこともあるだろう」と面白がって許容し、後押しさえした。

 ……だが決闘の結果を見て、考えを改める。



―――― アルメラルダとマリーデルが、負けた!?



 ゲームには姿かたちも無かったはずの脇役モブ二人が、あろうことか主人公とそのライバルに勝ってしまった。

 ……それも片方はアルメラルダに告白をするなどという、許されざる所業と共に。


『ずいぶん原作をかき回してくれているな』


 そう自分の口から出た時は滑稽で笑ってしまった。決闘の直前までは許容し、後押しして、楽しんですらいたというのに。


 だが原作を乱すならばそれが何者であれ許さない。

 これでは自分が待ち続けた光景は見られないかもしれない。そんなこと、あってはならないのだ。

 それを見るためだけに生きてきたと言っても過言ではない。原作を外れることは自分を否定されることと同義。


 本当の自分がどんな性格だったかもすでに記憶が遠い中、原作を書き換えないため忠実に「演じてきた」のに。





 望む六つのルートの他、最終手段として"七つ目"も視野に入れつつ、まず取り掛かったのは邪魔者の排除。

 だがそれは失敗し、その後は妙に手を出しにくくされた。一度目の失敗以降も画策こそしたが、実行には移せなかった。

 その間にどんどんと原作は狂っていく。

 例の四人が行動を共にするようになったのだ。


 邪魔者の排除がままならない。ならばと、次いで取り掛かったのは主人公マリーデルの周りを動かし彼女の動きを原作へ当てはめる事。

 しかしこれも失敗する。ことごとく邪魔となったのは、アルメラルダの周りをちょろちょろしていたファレリア・ガランドール。

 排除できなかったことが心底悔やまれた。




 それが一年。

 プレイ期間の内、一年は非常に大きい。

 それが過ぎてしまった。


(極力したくなかったが……)



 最終手段として選んだのは……。

 歪められた悪役令嬢アルメラルダを、無理にでも本来の姿へ戻す事。

 幸いなことにそれを成しえる力を、彼は手中に収めていた。












 副会長の執務室。その一角をノックすれば、部屋の主が答えた。顔を出せば何も疑いなど持っていないであろう笑顔で迎えてくれる。

 当然だ。そうあるようにこれまで振舞ってきた。


「少しいいかな」

「まあ、どうなさいました? 資料の作成でしたらもう少しで……」

「そうじゃないんだ。少し、君についてきてほしい場所があってね」

「……? はい」


 きょとんとした顔で、しかし断るでもなく頷く。

 ずいぶんと可愛げのある表情だと苦々しく思った。この少女はもっと高貴で傲慢で愚かな存在でなければならないというのに。


 それでこそ……堕ちた時が愛らしく、美しいのだ。


 自分はそれを見るためだけに生きている。





 アルメラルダを伴い見慣れた部屋を進む。たどり着いた先は……生徒会の中央会議室。今は誰も居ない。

 その中央に坐する暖炉の仕掛けを動かし地下への階段を露わにすると、さすがに驚いたようでアルメラルダが息をのんだ。

 この場所は隠しルートを解放しない限りゲーム内でも明かされることは無い。


「これは……」

「女神神殿の地下に直接つながっている。この先にあるものは、星啓の魔女候補である貴女には是非見てもらいたいものなんだ。マリーデルでなく、アルメラルダ。貴女に」


 マリーデルでなく。

 その言葉に乗せられたのか、アルメラルダは差し出した自分の手をとり引かれるままについてくる。


 その途中。


「甘い香り……?」

「いい匂いだろう?」


 湿った地下通路の奥から漂ってくるのは熟れた果物のような芳香。

 次第に強くなるその香りにアルメラルダが口元を押さえてむせたが、足を止めることなく先へ進む。

 アルメラルダはその強引さに何かを感じたのか、一瞬手を振りほどこうとした。が、その手を強く握って引き寄せるようにして歩く。


 そこでようやくこちらに対して警戒とわずかな恐怖を覗かせたアルメラルダだったが、それは少し遅かった。



「ここは王城からも繋がっていてね。私は五歳の頃にはじめて足を踏み入れた」

「そうなのですか。王城にもつながっているとなると……特別な場所、なのですね」


 それを聞いて気分を良くする。

 そうだ。ここは特別な場所だ。更に言うなれば危険な場所。

 だが自分はその脅威を逆に利用してやっている。それを思うと、ひどく気分が良い。

 自分だけの特権だ。


 脅威を脅威として知りながら利用できる。それは自分が別の世界の記憶を持つ、特別な人間だからだ。


 そう考えると、どうも愉快で顔が奇妙な笑顔に歪む。駄目だ駄目だ。「このキャラクター」はそんな笑い方をしない。


「……今日の貴方は少しおかしいです」


 ほら、怪しまれてしまった。


(まあ、どうせこのことは忘れてしまうのだし、構わないか)


 うっそりと笑むと、そのまま会話とも言えない一方的な言葉の羅列をアルメラルダへと向けた。


「……そうそう。決闘の時は貴女の主張を尊重し協力した。面白いと思ったし、それも悪役令嬢として格を上げるイベントになると、そう思ったから。……だが結果はどうだろうか。貴女とマリーデル、二人ともが負けてしまった。ありえない。星啓の魔女となるべく選ばれた二人がモブにやられる? あの時分かった。原作を邪魔しているのは、あの二人だったんだとね。排除できなかった事が本当に悔しいよ。手の届く場所に居た彼も、離されて手が出せなくなってしまったし」


 アルメラルダの困惑と警戒が決定的な物に変化した。


「あ、悪役令嬢? イベント? 原作? ……なにをおっしゃっていますの?」

「貴女の本来あるべき姿の話」

「……あの二人とは」

「貴女に必要ない者達のこと」



 足を止める。


 光の無い闇の凝った通路の先で、何かが動いた。




「……っ」


 息をのむアルメラルダの背後に回り、両肩へ手を添えて前へ進ませる。抵抗の意志を感じ取ったが、構わず押した。


「本来の貴女はもっと魅力的だ。堕ちるためにデザインされた女性。貴女自身、今の仲良しこよしを許容しているわけではないだろう? 自分を偽るな。解放していい。私はその手伝いをしてあげようと思っているんだ」

「あ……なに、やめ……!」


 肩に置いていた手を前へと回し抱きすくめる。アルメラルダの体が硬直した。

 それをいいことに腹のあたりから胸の中央までを人差し指でなぞり……一点で止める。


「"ここ"に眠るものを呼び覚ませ。貴女にはここへ足を踏み入れる権利がある」


 慈しむようにもう片方の手で顎を撫で、そのまま顔を前方……門に向けて固定させる。



 そう。そこにあるのは門だ。

 精緻な彫刻が施された一見芸術品のようなそれ。しかし少し観察すればそれが異様なものであると理解できるだろう。



 ぎょろり



「ひっ」


 門に目玉が浮いた。

 見つめられた彼女はもう動けない。


「さあ彼女の心を引きずり出せ。眠れる悪役令嬢の因子を呼び覚ませ!」


 無遠慮に全てが暴かれる。不安も嫉妬も憎悪も。彼女が己の矜持でもって蓋をして、心の奥へとしまっておいたもの。

 それらが引きずり出され、更には……。


「やめ、やめて!! いや、いや!! 捻じ曲げられる。塗りつぶされる!! わたくしがわたくしでなくなっていく!!」

「ちがう。それが本来の貴女だ。言っただろう?」


 今のアルメラルダの感情を苗床にしながらも、まったく別のそれが体の内側に根を張り蔓延る。丁寧に丹念に作り変えられていく。それが手に取る様に分かった。


 かつて"自分"もそうだったからだ。


(ん?)


 一瞬疑問がよぎるが、すぐに流れた。


 怖いだろう。恐ろしいだろう。しかし受け入れれば全て解放される。その先には快楽しかない。


「ふぁれ……りあ……!」

「そんなものは貴女に必要ない。マリーデルへの憎悪。それだけが貴女を輝かせる」




 恍惚に細められた眼差しは、髪色と同じ……真紅だった。

 











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