悪役令嬢beginning(1)~ファレリア・ガランドールという少女


 ファレリア・ガランドールがどういった少女であるか。

 それを問われた者はまず「人形のようだ」と称するだろう。

 陽の光を受けて輝く雪原のようなプラチナブロンドに柘榴石のごとき赤い瞳。整ったおもてに浮かぶ表情は乏しく、動かなければそれは一流の職人が手掛けた芸術品のようである。

 黄金の巻き毛に緑柱石に似た瞳を持つアルメラルダとは対極のようなその容姿。

 二人並ぶとよく目立ち、最初はアルメラルダ自身も彼女に見惚れたものだ。



 しかし見惚れた後。

 その感情はすぐ嫌悪へと変わる。



 自分と同じく幼いはずのファレリアは、それまで病弱で一度も社交界へ出たことが無いという噂だったにも関わらず……実に堂々とした立ち振る舞いをしていた。

 大人相手にはまだ委縮してしまっていたアルメラルダなどよりよほど洗練されたその佇まいに、抱いたのは焦燥。次いで感じたのは不快さだった。

 そのすました顔が気に入らない、と。


 何より不快だったのはその少女が自分と対峙した時。

 彼女はアルメラルダにひどく丁寧に、そしてへりくだって挨拶をした。


 普通ならば気にならないどころか、当然の態度だと受け入れるだろう。公爵家の娘たる自分は敬われて当然の存在なのだから。


 だが一瞬「憧れ」さえ抱きかけた相手からのそれは、まだ未熟な己を見下されているようで。

 大人が小さな子供をよしよしとするような鷹揚さ。……同い年の少女から感じたその雰囲気は、アルメラルダにとって侮辱でしかない。

 彼女はそういった「自分を侮る」気配にひときわ敏感だった。


 これまでに感じたことが無い燃え盛るような熱を、体の奥底で感じたのをよく覚えている。そしてアルメラルダはそれを制御できるような少女ではなかった。

 幸い不快さの原因もはけ口も……目の前に。



「人間のように二本の脚で立って歩くのは、あなたには相応しくないわね。こちらの方が似合っていてよ」



 お前ごときは人に満たない畜生だとでも言わんばかりに、磨き抜かれた靴で踏みつけたのは白く華奢な背中。

 アルメラルダは人気のない場所へファレリアを連れ出すと、酷く理不尽に彼女ををいたぶった。


 扇で頬を打ちつけた初撃。

 そこでそのすました顔を崩し泣き崩れでもすれば、すぐに気は晴れたかもしれない。




 ……だがファレリアは、あろうことか笑ったのだ。




「ふ……。申し訳ございません。何か気に障ることをしてしまったでしょうか」


 微笑。

 淡々と述べられた謝罪と問いかけに、己など歯牙にもかけられていないと感じ……気づけばアルメラルダは、初めて己の拳で人を殴っていた。


 これまで愚鈍な使用人や身の程を知らない友人を名乗る有象無象を扇で打ち叩いたことは数あれど、己の体を痛めてまで誰かを攻撃したい、痛めつけたいと思ったのは初めてのこと。

 それはアルメラルダに妙な愉悦と快感をもたらしたが、ファレリアはどんなに痛めつけても笑顔だった。

 背中を踏みつけて罵っても笑顔。極めつけにはその日の最後に「私、アルメラルダ様とお友達になりたいと思っています」などと申し出てくる。


 さしものアルメラルダも不気味に感じたものだが、ここで引いたら己が負けたみたいではないか。


「ええ。わたくしも、貴女とはもっと仲良くなりたいわ」


 我ながら完璧な笑顔でもって、そう受け入れた。

 望むならばくれてやろう。このアルメラルダ・ミシア・エレクトリアの寵愛を。


 このすまし顔、もしくは腹の読めない笑顔の鉄面皮を崩すのはさぞ楽しかろうと。アルメラルダは嗤った。




 しかしアルメラルダの目論見は外れ続ける。


 どんなに痛めつけようが罵詈雑言を浴びせかけようが、ファレリアはいつも笑顔なのだ。普段はごく無表情の癖にアルメラルダと対する時は微笑をたたえており、その余裕が気に食わなかった。

 気味悪がって関わらなければその関係も終わっていただろう。

 だが負けず嫌いのアルメラルダは意地でも泣かせてやろうと躍起になり、酷く真剣にファレリアを泣かせる方法を考え続けた。




 だがある日。

 ……思いがけないところから転機は訪れた。




「もっと! もっと強く打ち付けぬか!! お前の私への愛はそんなものか!?」

「も、申し訳ございません! こ、この低俗な豚野郎がァ!!」

「そうだ! いいぞ! もっと。もっとだ!! もっと激しく!! ァァンッ! 私は低俗で卑しい豚です愛しい人!!」


(お、おとうさま? おかあさま……!?)


 衝撃だった。


 ある日の夜、急に心細くなって夜中に両親の部屋を訪れたアルメラルダ。

 普段は多忙な両親を慮って、あるいはこんな甘えた姿を見せては失望されると委縮して絶対にしない行為。しかしこの日だけ、どうしても父と母に甘えたかった。

 だがそこで見たものは……。



 四つん這いになって剥き出しの尻を突き上げた公爵たる父が、母が振りかぶる馬用の鞭で叩かれ罵倒されている光景だった。



 あまりの光景に身動きが取れなくなったアルメラルダはその後一部始終を目にした後、ふらふらとした足取りで自室へ戻った。



 ちなみに彼女が知り得ようはずもないことなのだが、"ある世界線"においてもこれを目にしたことがアルメラルダの転機となっていた。

 もともと公爵令嬢として高飛車かつ傲慢に振舞っていたアルメラルダの態度も、実のところ「公爵家の娘として舐められないため」のもの。発揮する方向性が歪んでいただけで、責任感の強い少女なのだ。

 それが尊敬していた両親の性癖を目の当たりにし「公爵家はこのままでは駄目になる。自分がどうにかしなければ」といった重責を背負い込んだ。

 結果、歪んでいた責任感がさらに捻じれ曲がり「悪役令嬢」アルメラルダの土台となったのである。


 そのあまりな悪役令嬢ビギニングに"ある世界線"の一部から同情が集まり、コアな人気を集める要因となったのだが……。それも彼女は一生知り得ることの無い事実。

 もし知ったとしても「ほっとけ!!」しか言うことは出来ないだろうが。




 だがトラウマになりかねない光景を、彼女は彼女なりに咀嚼した。

 それはいくら自分が痛めつけても笑顔を浮かべる不気味な少女と出会っていたから。


 そして。



(この世には痛みを愛と感じる方も居る……ということ!?)



 考えの到達。


 幼い身で脳みそが焼ききれそうなほど思考を重ねたアルメラルダは、未知の存在ファレリアを理解しようとする心と両親への敬愛が混ざり合い…………結果。

 見た全てを、最大限好意的に受け取った。


 もちろんそれが世間一般的な感覚ではないことくらい幼いアルメラルダにも理解できた。だが「そういう人種も居る」という啓蒙を得たのだ。一生得なくていい啓蒙だったかもしれない。


(……では、あの子も)


 アルメラルダはもう一人のそういったへきを持つ者を思い浮かべる。……ファレリア・ガランドールである。

 もちろんそれはアルメラルダの誤解なのだが、彼女は両親の衝撃的な場面を受け止めるため。そして不可解なファレリアの態度に記号をつけるために、事実を無理やり己の中で合致させた。


 さらに思考は続く。


(まさかあの子にとって、わたくしに痛めつけられる事は……愛!?)


 それはまさに天啓。

 理解わかってしまった。


 愛されている。そう思ったからこその、あの笑顔だったのだ!


 自分とファレリアは女同士であるし、ファレリアの「友達になりたい」発言から考えると両親のそれとは違うだろう。名前を付けるならば「友情」「友愛」だろうか。

 思い浮かべた単語にアルメラルダは目を見開く。


(友情……!?)


 雷に打ちぬかれたように、その日何度目かの衝撃が走った。


 伏魔殿たる貴族社会。その中で本当の意味での友など出来るはずがないと思っていた。

 物心ついたころから公爵令嬢たる自分に取り入ろうとする者ばかりを見てきたアルメラルダにとって、友人、友情など絵空事。

 だがどんなに嫌われようが、ひたむきなまでにそれを愛だと信じて慕ってくる者が居たとしたら。



 それは、なんて。


(愛しいの)



 ――――慈しみ。


 この時、アルメラルダに初めて芽生えた感情である。



 他者へ向ける暴力は全て相手に己の立場をわきまえさせるため、もしくは自分を守るための攻撃だと思っていた。

 だがファレリアにとってアルメラルダから向けられる暴力は愛。単純に友人と遊ぶ行為でしかなかったのだ。











 もちろんすべて勘違いである。


 クズファレリアは思いっきりアルメラルダを利用するつもりで、さっさと虐め対象から取り巻きに昇格しようと笑顔を浮かべていただけなのだから。


 ちなみに普段表情が乏しいのは、単純に記憶の図書館への引きこもり期間が長すぎて対人用の表情筋が死んでいるだけである。ファレリアクズは意図しないかぎり、表情を変える事すら面倒くさがっているのだ。











 自分に向けられている感情が「友情」であると認識してみれば、ファレリアの笑顔は不気味なものではなくなった。むしろじゃれついてくる子犬のようで微笑ましい。

 アルメラルダもその友情に応えるために精一杯虐めかわいがった。


 そのうち毎日会えないことに不満を抱くようになったアルメラルダは、ファレリアの家……ガランドール伯爵家に迎えの馬車を向かわせるようになる。「親しい友人であるファレリアを招き、共に時間を過ごし勉学に励みたい」というアルメラルダの申し出に、伯爵家は二つ返事で頷いた。

 これには別の思惑もある。

 ファレリアの性癖、もしくは趣味と呼ばれるもの。それは本人にとっても、ファレリアを可愛がるアルメラルダにとってもバレたら外聞が悪いものだ。しかし自分のテリトリー内であればいくらでも隠せるし誤魔化せる。


 アルメラルダの立ち回りは完璧だった。

 公爵家から帰ってくるたびに生傷を作っているファレリアを見ても伯爵家の者は「あんなに病弱だったファレリアがこんなに元気に遊びまわるようになるだなんて……! それも友達と! 一日微動だにしないで目を瞑っていたと思ったら突然笑い出したり急に思い立ったように見たこともないヨガとかいう動きをしていたファレリアが、友達と……!」と感動するばかり。


 アルメラルダは鼻高々だった。

 途中ファレリアの妙な生態を聞いた気もしたが、高々だった。

 ……一緒に遊んでいる時もよくあるとは、口が裂けても言えなかったが。


 ぼけっと虚空を見つめているのを放置しておくと、そのまま半日くらいは動かないし時々にやっと笑っていたりする。

 そのことについてファレリアを問い詰めたこともあったが、だいたい上手いようにはぐらかされ今でも明確な答えは得ていない。明らかに寝不足で集中力が欠如していそうなときに不意をついてみたりもしたが「いや。某海賊漫画が面白すぎてつい一気に……くっそおもろ……」などという訳の分からない答えしか返ってこなかった。


 ちなみにファレリアが「健康に良いので」と言っては始めるヨガなる動きはアルメラルダも真似してみたが、意外と心地よくて勉強の合間によくやっている。

 人に見せたことは無いが、猿王のポーズなるものがお気に入りだ。





 とにもかくにも、そうしてアルメラルダはファレリアと交流を深めていった。





 今でも気に入らないものは徹底的に思い知らせてやろうと思っている。舐められたら終わりの世界なのだ。


(だけど、ファレリアに見せるわたくしだけは違う)


 愛を持って暴力を振るう時。虐げられているファレリアやアルメラルダ本人は知りようもないが、その時この公爵令嬢はひどく優しい笑顔を浮かべている。


 それは誰にも見せたことが無い、ファレリアのためだけの笑顔だった。




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