第029話

「慌てずに! 落ち着きなさい!」


 教師の声が、無数の足音にかき消される。

 この煙には見覚えがある。

 ガス状の魔物スモッグが吐く煙幕だ。

 わかったぞ。

 スモッグの煙幕で急に視界が奪われたせいで、生徒たちがパニックを起こしてるんだ。


「ルーク! 煙が晴れるまで、ここを動いちゃだめだよ!?」


「あぁ!? あ、ああ……わかった!」


 煙が僕たちを飲み込む。

 壁に設置されたランプの光は遮られ、辺りは真っ暗闇になる。


 どうする。泡で通路を塞いで、無理矢理にでも生徒たちを閉じ込めて、落ち着くのを待つか?

 いや、それだと煙ごと閉じ込めてしまうし、押し寄せた人の圧で死人が出る可能性もある。

 優柔不断に考えているうちに、誰とぶつかってもお構いなしの生徒たちが、我先にと外を目指して通り過ぎていった。


「落ち着いて! 動かいないで!」


 頑張って叫んだけど、混乱する生徒たちは聞く耳を持たない。

 誰かが一人でも無理やり避難するために人を押しのけると、条件反射的に「自分も早く避難しなきゃ」と人の流れについていってしまう。

 拡大した不安の波はあっという間に同調し、巨大な大津波となって心の平穏をさらっていく。

 こうなると人の力でどうこう出来るレベルじゃない。


 落ち着いて対処しよう。

 ここで僕まで焦ったら、正しい判断が下せなくなる。

 現状で考えられる一番最悪な状況はなんだ?

 転んだ生徒が他の生徒に踏みつけられたり、蹴られたりすること。

 不用意に動いたせいで、デスラッドに遭遇してしまうこと。

 仲間とはぐれて、道に迷ってしまうこと。


 やっぱり魔物に襲われることが一番危ないか?

 ……いや、違う。

 手の届く場所で怪我をするだけなら、助ける方法はいくらでもある。


 一番最悪な状況……それは……。


「アウセル君!?」


「なんだよ! 俺には動くなって言ったくせに!」


 人の濁流に乗って、僕は出口のほうに向かって走った。

 転んでいる人、横道に逃げる人、魔物に遭遇する人、泣きじゃくる人、慌てふためく彼らを無視して僕が向かった場所、それは第二階層に続く大穴だった。


 この煙の中で闇雲に進んでいったら、大穴に落下する人がいても不思議じゃない。

 手の届かない所まで行ってしまったら、助けようがない。

 取り越し苦労ならそれでもいい。

 最悪な状況を1つ取り除くだけだ。


「うわぁあああああ!」


 その悲鳴は、他から聞こえてくる声とは違っていて、強く反響しながら、急速に遠くの方へ消えていく。

 声がこんな風に小さくなっていく理由は、1つしかない。

 大穴に落ちた人がいる。

 それも一人じゃない。複数人いる。


 煙の中で走り続ける。

 足元が全く見えない。

 前に出した右足、土踏まずから先に、地面を踏んでいる感触がない。

 止まるつもりは端からなく、勢いに身を任せる。

 煙から出た僕の体は、底なしの暗闇に落下していった。


「アウセル君!?」


 後ろからラフィーリアの声が聞こえた気がしたけど、全身にぶつかる風の音で掻き消された。


 体を真っ直ぐにして降下する。

 暗闇の中で、数人の気配を追い抜かした。

 数十秒経ってもまだ底の見えない暗闇に向かって腕を伸ばし、大きな声で叫んだ。


増殖ゲイン!!」


 10秒から20秒、泡を生み出し続ける。

 少し時間が経つと泡が体に当たって割れ、シュワシュワの音に包まれる。

 地面を満たした泡が大穴を登ってきたみたいだ。


硬化ロック!」


 泡を程よい柔らかさすると、落下の勢いは徐々に奪われていった。

 何人かの人が同じように減速していくのが、泡の振動で伝わってくる。


 下の方から徐々に泡を消して、みんなを地面におろした。

 何も見えない。

 第二階層は、上の階層と違って補助用のランプがない。

 人影すら溶けてしまうくらいに真っ暗闇。

 ただ気配は感じる。目の前に5人いる。


「……大丈夫?」


 ……返事がない。

 気配の動きから察するに1人は気絶してる。


「どこなんだ!? どこなんだ、ここはぁ!?」


「落ち着いて」


「わぁっ!? うわぁああああああ!」


 気配を頼りに声を発した人に触れると、魔物かなにかと勘違いしたのか、走り始めてしまった。


「ちょっと待って!!」


 この後に及んでまだ闇雲に走る人がいるのか。

 奈落に落ちた過去から何も学ばないのかと、さすがに少し腹が立つ。


 どうする。

 他の生徒もいる。

 暗闇のなかじゃ追いかけられないぞ。


「だ、誰か! 明かりをつけられる人、いないかな!?」


 無言が続く。

 パニックになっているのはわかる。

 初めてダンジョンに来て、こんな場所まで落ちてきてしまったら誰だって言葉を失う。

 でも、無理なら無理とだけ言ってほしい。

 意思疎通ができないと、次の行動が遅くなる。

 二の足を踏み続けることになってしまう。


「落ち着いて。大丈夫。何があっても、必ず僕が守る。少しずつで良い。冷静になってみてほしい」


 しばらくすると、僕の後ろで光が生まれた。

 見ると、淡い光が顔と手の形で暗闇に浮かんでいる。

 目や、服を着ている部分だけが黒いところを見ると、皮膚の部分が光ってるみたいだ。


「ありがとう。君のスキルは?」


「【発光】です……」


 女の子の声は、震えていた。

 集中力がなければ極限状態でスキルを発動することはできない。

 勇気を出してスキルを発動してくれたんだろう。

 この人は誰よりも勇敢だ。

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