第009話

 学園側の温情で、就職先が決定するまでルークの退去は先延ばしになった。


「なぁアウセル。やっぱり学園を出たら冒険者にならないか? 冒険者なら学歴とか関係ないし、実力さえあれば評価してもらえる世界だぞ」


 池の周りで拾った石で水切りをしながら、ルークは将来のことを明るく話す。

 孤児院から去ることが決まったというのに呑気なものだ。

 強がっているというよりは開き直ってるような感じで、ルークの中ではもう学園を辞めた後のことしか頭にないらしい。


「本当に学園を辞めるつもりなの?」


「しょうがないだろ。もう決まったことなんだから。清々したぜ。あいつと一緒の学校になんて、通いたくもないしな」


「……どうして、こんなことになっちゃったんだろうね。僕たちはただ、頑張って努力してただけなのに……」


「努力だけじゃどうにもならないことがあるってことだろ。結局は力がなきゃ、自分のことも、親友のことも守れやしないんだ」


 忙しなく水面を跳ねた小石が、力尽きて沈んだ。

 僕もルークのように開き直って、学園を辞めた後のことを考えた方がいいんだろうか。

 どうにも気が進まない。納得がいかない。

 進学ができないだけの僕とは違い、ルークは学歴すら残らない。

 ずっと続けてきた努力が、全てなかったことにされてしまう。

 そんなこと、絶対にあっちゃいけないことだ。

 なにか……なにか僕にできることはないのかな……。


「——お兄ちゃん……アウセルお兄ちゃん……」


「え……?」


「大丈夫……?」


「ああ、うん。大丈夫だよ。ちょっと考え事してただけ」


 孤児院の子供たちはもちろん、ロイックもリタも、僕とルークの進学が取り消されたことを悲しんでいた。

 腫れ物に触るみたいにみんなに気を遣われてる感じで、数日前にはあったお祝いムードも、今は見る影もない。


「ルークお兄ちゃんも、アウセルお兄ちゃんもここからいなくなっちゃうって本当なの?」


「うん……。ルークは夏休みが終わる頃に、僕は初等部を卒業したら……」


「どうして? お兄ちゃんたち、合格したんじゃないの? すっごく頑張ったんじゃないの?」


「頑張ったんだけどね……なかなか上手い事いかないもんだよね。人生って……」


 首を傾げる子供たち。

 頑張っても叶わないことがある。

 そんな理屈は、今の子供たちにはわからない。

 僕も……こんな現実なんて……理解したくもない……。


 胸の中でグニュグニュとした何かが暴れだすと、涙が溢れてきた。

 緊張とか不安とか身体的な辛さとか、ずっと耐えてきたこと全部が無価値になった気がして、今になって心の負債が押し寄せてくる。

 自分のなかの何かが崩れてしまいそうで、僕は膝を抱えて顔を隠した。


「お兄ちゃん……大丈夫……?」


 ああ……こんな格好悪い姿、子供たちには見せたくなかったな……。


「アウセル。こちらへ来なさい……」


 ミネルに呼び出され、腫れぼったい目も治らないまま院長室に行った。

 悲痛な表情のミネルは、疲れたようにため息を吐く。


「ブルート様が不当に試験を操作していただけなら、まだ弁解の余地もあったのでしょうけど……」


「ごめん。僕も止めようとしたけど……間に合わなかったんだ……」


『やってくれたな……ククク、俺に手を出して、ただで済むと思うなよ? 絶対に許さないからな!』


 涙目になりながら頬を押さえていたブルートの、卑屈な笑みが思い出される。

 直接謝れば許してもらえるかも……なんて考えたけど、あの様子じゃ無理そうだよな……。

 むしろあの時のブルートは、自分を殴らせるためにわざとルークを挑発していたように思える。

 ブルートからしてみれば、しめしめといった感じだろうさ。


「どうかいたしましたか?」


「直接謝ったら、許してもらえないかなって思ったんだけど……たぶん無理そうだなって……」


「レスノール公爵様は思慮深く、地位や名誉にも囚われない視野の広い御方です。誠意をもって謝罪すれば、あるいは……」


「思慮深くて……視野が広い……? それは、ブルート様のことを言ってるの?」


「いえ。私が言っているのはブルート様の父君。アーサー・レスノール様のことです」


「ブルート様のお父さん……」


 爵位の実権を握っているのは、その家名の主だ。

 ブルートは公爵家の長男というだけで、まだ正式に爵位を継いでいるわけでない。持っている権力は父親の威を借りているだけだ。

 ブルートの許しがなくても、公爵直々に許しが貰えれば、事態は何倍も緩和するかもしれない。

 公爵がブルートとは違って寛大な人だと言うなら、試してみる価値は十分にある。

 泣いてる場合じゃない。

 諦めてる場合じゃない。

 まだ打つ手は残されているのなら、迷わず前に進むべきだ。

 どうしてか、自分でも不思議なくらいにルークのためを思うと、僕は何だってできる気がした。


「僕、ちょっと行ってくるよ!」


「お、お待ちなさい! こういうことは事前にご挨拶をしてから……アウセル!」


 気がつけば、何も持たずに孤児院を駆け出していた。

 親もいない、お金もない、地位も、名誉も、才能も運もない。

 何もない僕に残された原動力は、助けたい親友がいるという、切羽詰まった情熱だけだった。

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