第3話 待ち猫



「うーん......わからないですね。私、記憶があまりないので」


尻尾がしゅんと折れた。


「記憶が無い......」

「はい。数年前、気がつけばこの姿でしたので、幼少期の記憶が無く」

「なるほど」


って、やべえ!?


時計を何気なしに見るといつの間にか出勤時間が迫っている事に気がついた。


「悪い、猫!話の途中であれなんだけど、仕事いかなきゃ!」

「あ、はい......って、あれ?体調は大丈夫なんですか?」

「大丈夫大丈夫!ってかお前どーする?家で待っとくか?」

「え、え、えっと。......あなたが良ければ、はい」

「オッケ!それじゃ行ってくるから、飯は冷蔵庫とか戸棚にお前用のやつあるから適当にやってくれ!じゃな」

「は、はい!あの!」

「ん、なに!?」


仕事着に着替え、家から飛び出そうとした時。猫に呼ばれ振り返る。すると尻尾をふりふりしてる猫がこういった。


「い、いってらっしゃい!」


......俺って単純なのかもな。たったそれだけなのに。行くのが嫌で嫌で仕方ないのに......やる気が出てきた。


「ありがとう。いってきます!」


手を振り俺は扉を閉めた。



――ガチャン。






「こんにちはー、お荷物届いてます!」

「......はい」

「お名前のご確認をお願いします。えっと、」

「あーあー、はいはい」


くいくいと彼は手を「よこせ」と動かす。俺はそれに気が付き胸ポネットにあるボールペンを手渡した。すると彼は名前を書き奪い取るように荷物を取り上げた。


「......ありがとうございました」


「......」


扉を閉め、車に乗り込む。自然と溜息に変わる呼吸に気が付き気持ちが沈むのを感じる。けれどずっとこうしてはいられない。まだまだ配達を待っている人がいる。


そう思い、エンジンキーを回す。握るハンドル。


「あ」



――トン



と、その時フロントガラスに雨粒が落ちた。


雨......空が暗いと思ったけど、もう降り始めたか。予報では深夜から朝にかけてじゃなかったか。だいぶ早まったな。てか、これじゃ家ん中暗いよな。猫大丈夫かな。


『い、いってらっしゃい!』


ふと猫の言葉が思い浮かぶ。


帰ったらあいつ待ってるんだよな。帰っても喋れるんかな、猫。わからん。わからん、けど。


(......早く仕事終わらせないとな)


いつの間にか強制的に始まっていたこの人生ゲーム。今まで俺が歩んだマスにあったのはマイナスの事象だらけだった。


いや、自分の選択でここまで来たんだから、ゲームのように運が悪かっただけなんて言うつもりは無い。


けど、例えばこれがもしゲームボードの上ならば、多分幸運イベントだったりするのかもしれない。一人暮らし歴十年、恋人の居たときは無い。


べつにそれで構わなかった。寂しさにも慣れた。だからずっとこのままでも良かった、はずだった。


(不思議だ......家で猫が待っていてくれることが、妙に嬉しい)


てか、やっぱり飼っちゃ駄目なのかな。人の言葉を喋るし人にもなれるとはいえ、猫は猫だし......どうなんだろう。心配だ。多分役所に聞いたとしても、猫が喋りだせばどえらいことになって居住可能かどうかなどころでは無くなるだろうし


(......つーか、喋る猫とかどっかの研究機関とかに連れてかれそうだ)


仕事が無事終わり、今日分のストレスと疲労を抱え、よろよろと歩く。職場から家まで十五分そこらなので車での通勤はしていない。歩くのは健康にも良いからな。




錆びついたドアノブに鍵をさしこむ。カチャンと鳴る音と、中から聞こえるパタパタと足音。扉を開くとそこには黒猫がお座りしていた。


「おかえりなさい!」


「ただいま、猫」


やはり猫は喋っていた。


頭を撫でようと手を伸ばし、引っ込める。手洗いが先だな、と靴を脱ぎ洗面所へ歩く。その後を猫はトトトとついてくる。もしやこの買い物袋の中身に気がついたか?


「猫」

「はい?なんでしょう」

「ごめんな、暗かったろ?悪いな、気がつかんくて」

「え、ああ......でも私、猫なので暗くても大丈夫ですよ?」

「ん?それもそうか。けどなあ」

「?」


万が一、ではあるが......もしも実体が猫ではなく人である場合を考えると、どうもこの扱いは気が引ける。猫だ猫だと呼んでおいてあれだけど、フツーに人の言葉を話してるし意思疎通も人となんら変わりないレベルで通じる。


「おまえ、パソコンとかわかる?スマホとか」


俺がそう聞くと猫の尻尾が天井へピン!と立った。


「なっ、ば、馬鹿にしてるんですか!?それくらいわかりますよ!」

「いや馬鹿にしてねーんだけど......」


吾輩は心外である!とばかりに尻尾がバタバタと荒ぶっている。いや、猫にはフツーわからねーんだわ。こいつ、マジで元は人なのか?


「まあけど、なら話は早いな。お前にこれをやろう」


コトンと猫の目の前に端末を置く。


「......スマホ」

「うむ」


これは俺のメインとは別に持っていたスペアのスマホ。カバーは仕事帰りに黒猫の様な形のやつを選んで買ってきてみた。さて、ここからが問題だ。


「操作できるか?」

「やってみます」


くにゅ、と肉球を画面にくっつける。それをスイスイとスワイプ。するときちんと画面が反応し、猫のお手々の動きに応じた。タップすればしっかりそのアイコンがおささる。


「これは、イケますね!わあ!」

「そっか。良かった。パソコンも電源入れとくから自由に使ってくれ......あとは部屋が暗くなったらこのリモコン使え」


「あ、ありがとうございます。至れり尽くせりですねえ、ふふっ」


パタパタと振る尻尾がご機嫌な事を示している。てか、ところでこの子......喋るけど、昨日みたいに人の姿にはなれないのかな。そのほうが色々便利だろうに。


「なあ、猫。おまえ人の姿にはもうなれないのか?あれならスマホもパソコンも楽に操作出来るのに」

「え、ああ、まあ。......私も、あなたがお仕事へ行っている間に、色々試してはみたんですけどね。でも全然ダメでしたねえ」


「なるほど、試みたのか。具体的には?」


「念じたり、飛び跳ねたり、祈りを捧げたり......色々です」

「なるほど」


その時、じーっと買い物袋を見ている猫に気がつく。


「あ、悪い。腹減ったろ。飯にしようか」

「わあ、ありがとうございます!ササミですか?」

「いや、今日はコイツだ」


がさがさと取り出したそれは、帰りのスーパーで買ってきたマグロの刺身。


「きゃあああー!!美味しそう!!」


めっちゃ喜んでるな。買ってきたかいがあったぜ。適当にあった紙皿に刺身をよそい猫の前に置く。


「ほら、どーぞ」

「ほわわあっ!ありがとうございます!」


ぴょんとひと跳ねして猫はお座りした。美味いかなと猫の様子を眺めていると、彼女は一向に手を付けない。どうしたんだ?


「あれ、もしかしてマグロ嫌いだったか?」

「え、すきですが!」

「いや、食べないから」

「そりゃあそーですよ。ご飯は一緒に食べたほうが美味しいですから!」


ああ、俺待ちだったのか。なるほど。俺は冷蔵庫から冷やしておいたビールを取り出す。それと醤油とワサビも忘れずに。


テーブルまで猫の皿を持っていき、俺も小皿に醤油を入れワサビを混ぜ合わせる。


「いただきます」「いただきまーす!」


プシュっと開けた缶から漂う酒の香り。一口飲み込めば喉に幸せがなだれ込む。すぐさま刺身を頬張り、口いっぱいに広がるマグロの旨味を堪能する。少しおおかったワサビが鼻をつくが、それもまた良し。


「美味いな!猫!」

「うまーいっ!」


ここ最近で一番幸せな食事。一人じゃなく、誰かと食べるご飯は美味いと言うことを何年ぶりかに俺は思い出した。





猫だけど。




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