第43話 地域の名士

 10月24日、投資部ではアヤノとカリンがはぁ、とため息をついていた。


「さすがに、2時の帰宅は怒られちゃったよ」


「だよね。わたしも、2時に帰るなんてって小言いわれたよ。受験生でもあるのに、そんなんで勉強はできてるのか~なんてさ」


 ドル円の大きな動きで、デモトレードで思わず880万円の利益を上げることができた。これはとてもうれしいことだ。


 しかし、校長に押し付けられた仕事があったとはいえ、高校生が残る時間ではなかった。


「うむ、これが日本の過重労働の実態じゃな」


「ハナちゃん、怖いこと言わないでよ」


「いいや、これはお化けや妖怪よりも怖い日本の闇じゃ」


「うう、ハナちゃん……」


 しばらくして、カエデとマキも合流した。


「とにかく、受付よね。投資部のみんながスキャルピングに出ている間は、わたしとマキでなんとか回さないとね」


「おう、投資部は、大会中は自分たちのことに集中しろよな」


 二人の支援は、とてもありがたい。


「まあ、勝ち抜き戦だから、一度負けたらそこで終わりで、わたしたちも受付に回れるから」


 なんてことをカリンがつい口走ると、


「カリン! 部長がそんな消極的な姿勢だと、どうにもならないのよ。なんとしても勝つって気でいかないと!」


 カエデは怒ったように言う。


 そんな賑やかさも、先週でとりあえずは、来週からの投資甲子園に向けた準備が一段落ついたからだろう。


 それに、団体戦のための試算も、かなり潤沢になってきた。


「よし、今日は利益確定した分の資金をどこかに入れないとだね。でも、団体戦の投資成績は投資甲子園終了までで集計されるから、そろそろ守りに入った方がいいかもね」


「はい、わたしもカリン先輩に賛成です。FXは、大きく資産を減らしてしまう可能性がありますからね」


「わたしも、カリン先輩とアヤノ先輩に賛成です。為替介入なんてされたら、せっかくの利益がなくなっちゃいますからね」


「イロハよ、言うようになったの」


 みんなで、アハハと笑う。


「ねえ、マキ。最近、旅行の方の需要はどうなの?」


「ああ。旅行支援が始まったおかげで、それなりに儲かってきてるぞ」


 それを聞いて、カリンがうん、と一つうなずく。


「まだ航空会社って、コロナで落ちた前まで戻ってないよね。でも、ここから下がるって言うのも考えづらい。どうかな、一気に航空会社の株を現物で買うっていうのは?」


「うん、いいんじゃないでしょうか」


「わたしも、賛成です!」


「うむ、よい判断じゃな」


 もうすぐ、日本株の現物取引が終了する15時を迎える。


「それじゃあ、航空会社株、一気買いだ!」


 カリンは、一気に航空会社の株を成行購入した。


「ふう」


「これで、とりあえずは結果待ちですね」


「はい、ドキドキですね。これで、とりあえずは、大会前の取引は終わりなんですね!」


 イロハがニコニコして言うと、カリンの顔が曇ったのが分かった。


 イロハははっとした。


 そうだ。3年生のカリンは、来月の投資甲子園が終了すると、引退なのだ。


「ご、ごめんなさい。わたし……」


「あはは、イロハ、いいよ。事実だし。でも、楽しかったよ。ただ投資してるだけじゃなくって、こうしてよく分からない大会運営の仕事までさせられてさ。これもいい思い出になるよ。きっと」


 きっとカリンは本心でそう思っているだろう。しかし、その話からは、さみしさも見え隠れする。


「わたし、引退したら泣いちゃうかな。カエデとマキはどうだったの?」


「大会でケガした子がいてね。部長のわたしは終了後病院に付き添ったりで、泣く暇なんてなかったわよ。マキも、意外に泣かなかったわよね」


「意外ってなんだよ。でもさ、なんだか、終わったんだなって思うと、呆然とした感じだったんだよな。今までずっと剣道漬けだったけど、これで終わりなんだって思うと。これからどうしようっていう気が先にきて」


「マキって意外とそのへん、リアルなのよね」


「ああ。ウチはきちんと将来を見据えてるんだからな」


 そんな二人の会話を聞いていると、イロハもいずれ、投資部を引退して、高校を卒業していくんだ、という先のことを思った。


 両親を失った自分は、大学への進学などできるのだろうか。その先は、どうなるのだろう……。


 あまり頼れる親戚もいない。一人で生きていくしかないのだろうか……。


 そんなことを考えていると、校長と一応投資部の顧問ということになっている大孫が慌てたように部室に入ってきた。


「おい、今すぐ上下神社にこい!」


 突然大孫が言うので、みんな驚いた。


「なっ、一体何だって言うんですか!」


 カリンは大孫を睨む。


 睨んでいるのはカリンだけでなかった。アヤノもそうだし、カエデやマキもだった。


「みなさん、たいへんなことが起こりました。町内会の会合で、学生に投資をさせるなど言語道断だ、という意見が出て、今すぐ上下神社に集まっている町内会の役員の方々へ説明に行かなければならなくなったのです。ここは、責任者の大孫先生と、投資部のみなさんでなんとか説明してもらわないと、高校としても困るわけで……」


「ち、ちょっと、校長先生!」


 アヤノが口をはさむ。


「町内会と高校とは関係がないじゃないですか!」


 すると、大孫がチッと舌打ちした。


「これだから何も知らねえ新興住宅の人間は。お前だって生徒会長選挙に出た時思い知っただろ。この地域では、古い商店街の地域の名士の家が強い力を持っているんだ。それは、学校はおろか、政治の世界にまで影響力があるんだ」


「ううっ」


 それを聞いてアヤノは、悔しそうに口をギュッと結んだ。


「ううん。アヤノちゃんの言う通りだわ」


 次に口を開いたのはカエデだった。


「わたしは、そういう差別はおかしいと思います。確かに、上下の地域は名士が発言力のあるのは事実です。でも、それと学校の生徒の活動は別でしょう」


 しかし、そんなカエデの言葉など、校長と大孫の耳には入っていないようだった。


「と、とにかく、急いで上下神社へ!」


 みんなは、うながされるままに上下神社までやってきた。


 投資部員ではないカエデとマキも後ろからついてきた。おそらく、商店街地区の人間が少しでも多い方が、話がまとまると判断したのだろう。ただ、校長も大孫も、そんなことにはまったく思い至っていないようだった。


 上下神社の境内は立派だ。神社を囲む玉垣には、一つ一つに、寄進した人の名前と、お店の名前が記入されている。こうしたところからも、神社と店の関係は大きかったことが分かる。


 イロハは、上下神社や、それに関わる総代会の人々は、上下地区では大きな力を持っていて、選挙などでも、この人たちが応援する候補に、より多くの票が入るということを、両親の会話などから知っていた。


 ただ、その時は、商店街地区は大変なんだな、という程度にしか思っていなかったが、そうした大変なことが、今自分の身に降りかかってきているのだ。


 神社の社務所に校長が、上下高校です、と挨拶すると、売り子の巫女さんが、中に声をかけた。


 巫女さんから、社務所の中の、会議室と書かれた部屋に通された。


 会議室には、神職の衣装を着た人が二人と、ご高齢の人たちが数人座って待っていた。


「宮司さんと禰宜さん。それと、宮総代の人ね。町内会長さんもいるわ。この地域のお偉いさんってとこね」


 カエデが、アヤノとイロハに耳打ちした。


 校長と大孫、そして投資部のみんなが、うながされるままにすわった。


「あのう、それで、わたくしどもにどうしろと……」


 校長は、低頭という姿勢で、うかがった。


「校長、我々は非常に驚いています」


 偉そうにしている高齢の人がまず口を開いた。


「町内会長として、この地域で高校生に投資をやらせるなど。教育の不健全にもほどがありますな」


「ああ、いや。それはその。今年から投資の教育も必修化されたものでして」


 その次に、また別の人が口を開いた。


「私は宮総代の立場ですが、とにかく、教育と部活動はまた別物でしょう。投資部だなんて下品な。そして、投資甲子園で全国から人がくるというではありませんか。上下地区は、そんな金の亡者に集まってほしくはありません」


「えーと、その、それでは、中止にしましょう。うん、そうしましょう」


 そう校長が勝手に決断しようとすると、


「ちょっと待ってください!」


 カリンが大声を上げた。


 みんなは、カリンを見る。


「投資部が下品なんて、それは違うと思います。たしかに、世間では楽してお金を稼いでって思われているかもしれません。でも、今の円安にも見る通り、これからの日本はどんどん国力が弱くなっていくと思います。投資のスキルを身につけることは、そうした政治や経済を知ることにもつながるんです」


 カリンが言うと、一部の人は、うん、とうなずいていたが、


「きみは、コーヒー屋の娘だね。まったく、これだから新参者は」


 と町内会長が言った。


「まあ、子どもが言うことだから今の発言は許すよ。でも、あまり威勢がいいと、どうなるか分かっているよね」


 カリンは、悔しそうに口をギュッとして閉じた。


 イロハは、今の会話からなんとなく、商店街地区にも、古い家と新しい家があることが理解できた。でも、この発言はあまりにひどいと思う。


 とそこへ、臆せずに、


「今の発言はないと思います。上下地区は、こんなふうにして物事を決めているんですか!」


 アヤノが強い語気で言った。


 アヤノの顔を見ると、いつもは優しいアヤノだが、かなり怖い顔をしている。


 しかし、町内会長は、


「見ない顔だけど、新興住宅地の子かな?」


 と言って、


「新興住宅地の子には用はないよ」


 と手を振った。


 そもそも、アヤノの発言など、この場では意味のないもののように。


 そこへ、机をドンと叩いて、


「今の発言はひどいんじゃないでしょうか」


 立ち上がったのはカエデだった。


「えーと、カエデちゃんっ!」


 今度は、町内会長は、しっかりとカエデの名前を呼んだ。


「わたしはいま、投資部を手伝っています。わたしも、カリン……新田さんと同じ意見です。それに、町内会や宮総代が学校の活動にまで口を出すのは、そもそも検討違いだと思います」


 続いて立ち上がったのはマキだった。


「それに、おじさん達、人の話はきちんと聞かないといけないんじゃないですか。それを新しく入った家だの、新興住宅地だのって」


 みんなは、腕を組んで黙ってしまった。それを見てマキは、


「ウチやカエデの発言でみんなが黙ってしまうのもそれじゃないですか! これを封建的って言うんですよ!」


 校長と大孫はあたふたしている。


 すると、黙って聞いていた宮司が、


「まあまあ、みなさん、これはとりあえずペンディングということで……。とりあえず、今日は微熱があるということで欠席した足利さんの意見も聞くということで」


 足利さんとは、シホの家の名前だ。シホはこの地区でも名士と言われている。おそらくその人のことを言っているのだろう。


ただ、役員のみんなはまだ腕を組んでいる。


「えーと、それでは、中止にするとしても、明日ならまだ間に合いますよね、校長」


「あ、えーと、はい……」


「投資甲子園を開催することに問題ないかどうか。あるいは中止が妥当かは、明日判断するということで、今日は各自持ち帰るということで……」


「まあ、ここは宮司の顔を立てるとして、解散しましょうか」


 苦い顔をして、町内会長が言った。


 町内会長の発言に、今がチャンスと、校長が、


「ほ、ほらみなさん、帰りますよ。長居すると失礼ですよ。みなさん、本日はお時間をとっていただきありがとうございました。明日また来ます。生徒にもよく言い聞かせておきます。それでは、またどうぞ」


 真っ先に退出してしまった。




 部室に戻ると、カリンは少し、震えるようにしていた。


「カリン、大丈夫?」


 カエデがカリンの肩に手をあてる。


「う、うん。ちょっと、言い過ぎちゃったかなって」


「ううん。カリンが心配することはないわよ」


「そうだぜカリン。まったく、ああいうのを老害っていんだぜ。アヤノも、嫌な思いさせちまったな」


「いいえ……」


 みんなは、沈黙する。


 イロハは、疑問をぶつけてみた。


「あの、今日の話し合い、カエデ先輩とマキ先輩ってどういう立ち位置なんですか?」


 カエデが、ふう、と一つため息をついて、


「商店街地区にも色々あってね。わたしの家はソバ屋なんだけど、上下神社の祭礼には、ずっと昔からわたしの家のソバが御神饌として献納されていたのよ。このあたりの歴史書にも載っているのよ。それで一応、わたしの家は名士みたいな扱いになっているのよ。最近引退しちゃったけど、わたしのおじいちゃんも、町内会長と宮総代も務めていたこともあるからね」


「そうそう。で、ウチの方は、旅行店だけど、その起源は伊勢講にあるらしいんだ」


「伊勢講? えーと、歴史の授業で出てきたような……」


「ああ、昔は旅行なんてめったにできないもので、その村で一生を終えるのが普通だったわけだろ。でも、伊勢神宮に対しては、毎年村の平安を願って参拝に行っていたんだ。そのためのお金の積み立てをしたり、行かせる人を選抜したりする組織が伊勢講。ウチの家は代々その代表を務めていたらしいんだ。まったく、そんな何百年前のことが、今の名士とかってことになるんだから、おかしい話だよな」


「えーと、それじゃあ、カリン先輩の家は……」


 イロハの疑問に、カリンが答える。


「わたしの家はコーヒー屋でしょ。そこから分かるように、結構新しい家なんだよね。ここにやってきたのも、わたしのおじいちゃんの代からだからさ」


「おじいちゃんの代でも、新しいって言うんですね……それに、あんな扱いになるなんて……」


 イロハは、伝統というのが、必ずしも良く作用はしないことが分かった。


「まったくよ。頭の固い人たちって、嫌よね。それに、今日なんて、アヤノちゃんの話なんてまったく聞く耳もたなかったでしょ。これから御神饌には唐辛子ぶっかてやるわ」


「えーと、それはバチが当たりそうですよ……あの、それで、シホ先輩の家は?」


「ああ。もうこれは、日本昔話みたいな話だな」


 ふう、とため息交じりにマキが言う。


「日本昔話?」


「そう。足利の家は、上下地域を救ったって言われている家なんだ」


「救った?」


「ああ。上下の地域には、怪物が暴れ回っていたんだ。その怪物が暴れるのをやめるように、毎年生贄を出していたんだ。でも、足利の家の力の強い人が生贄役を買って出て、怪物が生贄を食べてしまおうとしたときに、逆にやっつけちまったんだってよ。それから、上下神社の祭りも、神輿が必ず足利の家の前を御旅所、つまり休憩場所みたいなもんだけど、立ち寄る家にしているらしいんだ。まあ、よくありそうな話だよな」


 とそこへ、スズメとシホが慌ててやってきた。


「みんな、大丈夫だったか?」


「えーとー、たいへんだったねー……」




 みんなは、スズメとシホに事の経緯を話した。


 明日は、生徒会としても、話し合いに出席することになった。


 しかし、シホの顔を見ると、あまり浮かない表情をしている。


「あの、シホ先輩、大丈夫ですか?」


「うん、イロハちゃん。えーとー、なんとかね……」




 翌日、上下高校には、昨日と同じ顔触れに加えて、生徒会長のスズメ、福井会長のシホ。そして、新しくシホのおじいさんが加わっていた。


 シホのおじいさんは、一番上座に座っていた。


 まず、町内会長が口を開いた。


「えーと、それで、町内会としては、投資部の活動の継続は、生徒の自主性を考慮し特に注文はつけないこととします。ただ、お金を楽して稼ぐ投資は、やはり社会にそぐわないと考え、それを上下地域で開催するのは、町内会としても反対せざるを得ないという意見になりました……それでよろしいですよね、足利さん」


 足利さんと呼ばれたシホのおじいさんは、うんと一つうなずいた。


「あの、待ってください」


 まず口を開いたのは、スズメだ。


「生徒会としても、投資甲子園はバックアップしてきました。今、投資は日本を上げて取り組んでいこうとする課題だからです。これから投資できる人材を増やすことが、日本が成長する一つの材料にもなります。むしろ、その第1回大会が上下高校で開かれることは名誉なことで、上下地域にとってもよいことなのではないでしょうか」


 しかし、そこで足利さんが手を挙げて制した。


「君は、この地区の人ではないよね」


「そうですけど」


「上下地域には上下地域のやり方があるんだ。そして、今回は、投資甲子園などで有名になったら、それこそこの地域の人たちは金の亡者だと言われてしまうことになりかねない。そうすると、そんな汚い商売をしている商店からは物を買わない、なんて言われてしまうことにもなるんだ。もしそうなったら、君は責任を取れるのかね?」


「いや、ただの学校行事で、そこまで」


「いいや、君はアイドルで、かなり稼いでいるのだろう? きみにとって、数万円や数十万円はたいした金額ではないかもしれない。でも、数万円売り上げが落ちる可能性だってあるんだよ。そうすると、我々のような庶民は、暮らしさえも脅かされる」


「ですから、わたしは投資甲子園の開催地になったからって、商店街の収入が落ちるなんてことはないと思います」


「吉良さん、君はアイドルで、これまでわがままに物事を通してきたのだろう。でも、ここではそうはいかない」


「それは偏見です。それに、わたしがアイドルであることとこれとは……」


「吉良さん! これは決定事項なんだ」


 そこまで言うと、スズメはもう何も言えなかった。


 イロハは、こんな悔しそうな顔をするスズメは初めて見た。


 それに、アイドルという立場で、こんなところまで出てきて、議論などしなくてもいいのに、スズメは投資部のために、嫌われ役になってくれている。


「どうだ、シホもそう思うだろ」


「えーと、うん……」


 足利さんに言われて、シホはうつむいた。


「シホは今の足利家の一人しかいない子どもだ。おそらく、足利の家を継いでいく。そのシホが上下高校副会長を務めていた時に、投資甲子園で商店街に迷惑をかけたなんてことになったら、それこそうちとしても、先祖に言い訳がたたないからね」


 足利さんが言うと、会場からは、アハハ、と忖度の笑いが漏れた。


 その笑いに、イロハはむっとした。


 足利さんの反応を見て、校長が重い口を開いた。


「それでは、投資甲子園は中止ということで……。はい、各校への連絡は当方でいたしますので」


 そういうと、町内会長が、


「来賓としてくる予定の国会議員の象勢先生へも、校長が連絡をしてくれるんでしょうな。くれぐれも丁重に。まったく、これだけでも汚点になりますな」


 象勢という名前が出て、イロハはびくっと震えた。


「ええ、はい。象勢先生にも、謝罪しておきます。まったく、うちの投資部ときたら、うれしくて舞い上がっていたのでしょうな。あっはっは……」


 次の瞬間、バン! と机を叩いて、イロハが立ち上がっていた。


 みんなは、驚いてイロハを見る。


「あの……」


 みんなの視線を感じる。


「投資甲子園は、絶対に開催します!! 誰が何と言おうと!!」


 校長と大孫は、あわてたように、あたふたしている。


「黙って聞いていればなんですか! 投資甲子園をやると商店街の迷惑になるですって? それで収入が落ちるって、それはみなさんの商売が下手だからなんじゃないですか! それに昨日は新興住宅地の人の意見は聞かないなんて言っていましたけど、家を建てたり買ったりするのだってお金がいるんです! サラリーマン舐めないでください! あなたたちの優位性なんて、家が古いことだけじゃないですか! それ以外のことで優位に立てない、ただの封建社会じゃないですか! 年寄りが雁首揃えて。それだから検討師にばかり票がいくんですよ!」


 部屋のみんなは、呆然とイロハの演説を聞いていて、演説が終わったあとも、しばらく何も言えないようだった。


 しかし、


「きみはいったい誰だい?」


 最初に口を開いたのは足利さんだった。


「今君は、この地域に喧嘩を売っていること、分かっているのかな?」


「そ、そのつもりです」


 イロハも、負けじと意地を張る。


 さすがに、傍らで聞いていたアヤノとカリンも心配そうにイロハを見ているのが分かったが、イロハも、もう後には引けない。


「まず、話をする時には名前を名乗りなさい」


「楠木イロハと言います」


「楠木……どこかで……、ああ、象勢先生の息子さんに両親が車をぶつけられて亡くなったところの。そうか、親子ともにこれではね」


 象勢の煽り運転のことと、両親の死亡のことを言われて、イロハの胸はキュッとなった。


「これではって……、それ、どういう……」


「世間では煽り運転されたなどと言われているけど、仮にそうでも、なんとか防ぎようがなかったのかね。運転が下手だったのかな」


「運転が下手って……」


「それに、君は民事裁判を起こそうとして手続きしているそうじゃないか。象勢先生の立場が危うくなったら、この地域は本当に終わりだ。君一人が我慢すれば、みんな幸せになるというのに。それが、意地を張って。それに、女の子のくせに、こうして大人を相手に発言をするなんて。教育を間違えられているんじゃないのかな」


 イロハは、大人にそんなことを言われるとは思っていなかった。


 自分をバカにされるのはまだいい。しかし、大好きな両親まで悪く言われた。そして、煽り運転を仕掛けた象勢の方が正しいような物言いだ。


「イロハちゃん」


「イロハ」


 アヤノとカリンに呼びかけられて、イロハはもう両目から涙があふれているのに気付いた。


 足利さんは、勝ち誇った顔だ。


とそこへ、


「大っ嫌い!!」


 と、大声が響き渡った。


 最初、はじめて聞いた声で、誰の声だか分からなかった。


 しかし、一人立ち上がっている子がいたので、それがシホの声だったことが分かった。


「シ、シホ?」


 足利さんは驚いている。


「なんなの、おじいじゃん。今の態度?」


「ど、どうしたシホ? 口調もいつもと違うのではないか? 調子でも悪いのか?」


「黙って聞いてれば。うちの家系のこと、忘れたの?」


「家系? ああ、そうだ。うちはこの地区の名士だ。だから、足利の家は商店街がよりよくなるために」


「違う! 全然違うよ! いつも偉そうに名士名士って。それしか優位性がないじゃない。それに、仮に名士であることに誇りを持っているなら、今の発言おかしいんじゃないの?」


「おかしいとは?」


「足利の家は、生贄をささげていた村を救ったんだよ。いまのおじいちゃんの発言は、イロハちゃんに商店街のために生贄になれってことでしょ!」


「い、いや、それは、時代が違う」


「わたしは、ずっと足利の家の起こりの話が大好きだった。そんな家に生まれた自分を誇りにも思っていた。でも、だからおかしなことはしちゃいけないんだって思うようになった。いつも、きちんとしようと、偉い子でいようと。そうすると、下手なことは発言できなくなった。だから、なんとかうまくごまかすことしかできなくなった。いつも語尾をのばして、他の人が発言してくれるのを待って、やりすごそうとしていた。次第に、足利の家に生まれたことに疑問を感じるようになった。どうして、こんなに自分の意見が言えないのか。名士って言われているだけで、自分を殺さないといけないのかって」


「シホ……いったい、何を」


「でも、そんなのはもうやめた。足利の家なんてクソくらえだ! わたしは、もう、自分の判断で物を言う」


 みんなは、まだ驚いてシホを見ている。


「わたしは、上下高校生徒会副会長として、何があっても投資甲子園を開催する! そのために反対する人がいれば全力で否定する! もちろん、おじいちゃんだって。学校の校長先生だって!」


 突然名前を出されたことに、校長はびくっとした。


「みなさん、これ以上、投資部には構わないでください。それに、町内会の決定に、わたし達は従う義理はありません。それくらいでつぶれるような軟弱なお店は、この商店街にはないと思っています。むしろ、これをチャンスだと思ってください。日本は決して社会主義ではなく、資本主義なんです!」


「シホ……、もうその辺で」


 足利さんに言われても、シホは黙らなかった。


「わたしは、まだまだ未熟です。この判断は、みなさんから見ると、青二才の戯言としか思えないかもしれません。でも、わたしはこれから、足利の家を継ぐ者として、最善の判断をしているつもりです。足利の家の名を落とさないよう、やっていきます。だから、この判断を支持してください! みなさん、どうですか」


 そういわれて、その場に居合わせた人は困ったように、ざわつき、最後は足利さんを見た。


 一同は、足利さんに判断をゆだねたようだ。


「えーと、しかしシホ、最大多数の幸福の原理というのもあるのだし」


 足利さんも、困ってしまったのか、よく意味の通じないことを言った。


「最大多数の幸福か……。それじゃあ、決まりだね。いま、どうすれば幸福になるのかは、きっと投資にある。おじいちゃんたち、お年寄りは年金をもらえているけれど、わたし達は、もらえるのか分からない。自分の幸福のためには、投資するなりで、自己防衛しないといけないんだよ。その一巻としての投資甲子園を、中止にするなんてことはないよね」


「えーと、それは……」


「それに、年金を払ってお年寄りを支える若い世代の人が楽してだろうが稼げれば、お年寄りだって豊かになるよね」


「それもそうだが……」


「後に生まれてくる世代が、不幸になることを望んでいるの?」


「そんなことは、思っていないが」


「じゃあ、投資甲子園、開催するけど、いいよね」


「…………」


 足利さんは、ついに答えられなくなってしまった。


 シホは、すうっ、と息を吸い込んで、


「みなさん、お見苦しいところをお見せしました。わたしたち上下高校は、来月の投資甲子園に向けて全力で取り組んでいきます。他校の生徒が商店街を歩き回ることがあるかと思います。その時こそ、商売のチャンスだと思います。もし投資甲子園が原因で売り上げが落ちるようなことがあれば、わたしが、次の足利の家の代表として、一生かけて責任を取ります!」


 イロハの宣言に、もう誰も何も言えなくなってしまった。


「うむ、すばらしいぞ!」


 花子が拍手をする。


 糾弾されている側の投資部の花子が拍手をするのもおかしな話だが、それをきっかけに、なんだかみんなが拍手を送ってしまっている。


 足利さんは、どこか居心地が悪そうに、拍手をせざるを得なくなっていた。


 その日は、それで解散となった。




 翌26日、カエデとマキを含んだ投資部にスズメとシホが現れた。


「みんな、足利の家や町内会が迷惑をかけて、本当にごめんなさい」


 シホが頭を下げた。


「シ、シホちゃん、むしろわたしたち、感謝してるんだよ。頭を上げて」


 シホとともに生徒会長選を戦うこともあったアヤノが真っ先にうながした。


 しかし、


「アヤノちゃん。生徒会長選挙の時は、裏切るような真似をして、本当にごめんなさい。アヤノちゃんには、恥までかかせることになって。全部、わたしが弱かったからだと反省している。許してくれないかもしれないけど……ごめんなさい」


 いや、もうそんなに気にしてないし。


 それにしても、はっきりとしゃべるようになったシホは、別人のようだ。


 どう接していいのか、分からなくなるくらいだ。


「本当、去年まで一緒に生徒会の仕事をしてたけど、シホちゃんがこんなにはっきりとしゃべる子だったなんて、知らなかったわよ」


 去年まで生徒会副会長をしていたカエデが言った。


「あの時は、当時の会長や、カエデ先輩がとっても優秀だったので……」


 シホは、アハハ、と少し照れ笑いをしたが、すぐに真顔になって、みんなに向かって、


「あの、少しだけ、聞いてもらってもいいですか」


 と言った。


 みんなは、うなずいた。


「わたし、これからは自分の意見をきちんと言っていこうと思います。今までの、誰かがやってくれるだろう、責任がこないようにしよう、というのはやめにします。これまで、きっとみんな、わたしに良いイメージを持っていなかったと思います。わたしも、もしこんな子がいたら、嫌なイメージを持つと思います」


 みんなは、真剣に聞く。


「だから、罪滅ぼしも兼ねて、来月の投資部の活動、手伝わせていただけないでしょうか……」


 次に、スズメが口を開く。


「さっき、わたしの方にも話があったんだ。生徒会の活動を少し離れて、投資部を手伝いたいって。もちろん、わたしはOKだ。あとは、みんなの判断なんだが」


 すると、すぐに部長のカリンが、


「うん、もちろん! シホちゃんのこと、もっとよくしりたいな」


 アヤノも、


「わたしを生徒会長の座から落とすことに成功した権謀術数をもつシホちゃんの、実力、見せてもらおうかなぁ~」


 と、冗談を交えて言った。


「あはは、アヤノちゃん……。さあ~わたしはつかいものになるかな~」


 と、シホは前の語尾を伸ばす言葉遣いをした。


 みんなは、きょとんとした。


「うう、これはおちゃめなジョークなのにい~」


 シホは顔を赤らめたので、みんなは、アハハと笑った。


「よし、じゃあ、シホには色々仕事をしてもらうよ。まずは、来週やってくる学校の対応について知ってもらおうと思う」


「あとシホちゃん、受付もやってもらえるかな。カエデ先輩とマキ先輩の二人だけだったら、どうしてもローテーション回らないところがあったんだよ」


 シホは次第に笑顔になった。


 イロハも、正直シホのことは嫌いではなかったが、信頼できる人とも思っていなかった。


 でも、今のシホの笑顔を見て、なんだかとても好感が持てるようになった。


 一段落ついてから、シホがイロハに声をかける。


「イロハちゃん、昨日、うちのおじいちゃんがひどいこと言って、本当にごめんなさい。あの、泣いてたよね」


「あ、いえ」


「イロハちゃん、とっても勇気あるよね。ありがとう。イロハちゃんがああして啖呵切ってくれないと、私、変わる勇気を出せなかった」


「えーと、わたしは、たまに後先考えずに暴走しちゃうことがあるんです。アヤノ先輩にも怒られたことがあって」


「でも、わたしは素敵だと思うよ」


 シホに笑顔で言われると、イロハはなんだか恥ずかしくなった。


「あの、シホ先輩は大丈夫だったんですか? あの後?」


「えへへ、おじいちゃんは結構わたしに甘いから大丈夫だったんだけど」


「たしかに、シホ先輩には甘そうでしたよね」


「お父さんとお母さんには、怒鳴られちゃったよ。お前は足利の家を地に落とすつもりかって」


「えーと、たいへんですね」


「でも、このくらい、なんでもないよ」


 そして、シホは真剣な表情でイロハに向かって、


「イロハちゃん、正直に言うね。上下の地域は象勢揚郎議員に頼っているところがあるから、足利の家も商店街も、イロハちゃんが民事裁判を起こすのには反対している。もしかすると、嫌なことを言う人もいるかもしれない」


「そうかもしれません」


 イロハは、もしかするとシホに、裁判を取り下げるよう説得されるのかもしれないと思い、身構えた。


「でも、わたしは、イロハちゃんを応援するよ」


「えっ?」


 意外な言葉だった。


「イロハちゃん、すごいよ。ご両親を亡くされたのに、こうして頑張って部活でも活躍している。わたし、とても尊敬するよ。だから、あの、わたしじゃとても小さな力だと思うけど、役に立てそうなことがあったら言ってね。嫌がらせ受けるようなことがあったら、わたしが言えば、だいたいなんとかなるから」


 笑顔でそういわれると、なんだかシホがこわくなる。


 でも、決して小さい力などではない。


 シホが味方についてくれれば、百人力だ。


 それに、終始笑顔のシホは、なんだかかわいらしいと思った。


「ふう、今日はこのくらいにしておこうか」


「そうですね、ある程度準備終わりましたし、来週からの大会に向けて、あまり無理はしないでおきましょうか」


 先週まで頑張って準備をしたので、今週は少し楽だ。


「それじゃあ、わたしの家で景気づけといきましょうか。おそばにカツを載せてゲン担ぎよ」


 カエデがいつになく張り切っている。


「ええっ! それって、カエデのおごり?」


「まさか。シホちゃんが言ってたじゃない。投資甲子園を利用した経営戦略よ」


 カエデがそういうと、みんなはアハハと笑った。


「えーと、それじゃあ、わたしは、これで」


 シホがそそくさと帰ろうとする。


 すると、カリンが、


「何言っているの? シホちゃんも行くんだよ」


 アヤノも、


「そうだよ。投資部を手伝うからには、とことん付き合ってもらうんだからね」


「いいの?」


 シホは、きょとんとしている。


「シホ先輩」


 イロハはシホに向かう。


「シホ先輩は、もうわたしたちの仲間なんですよ」


 シホは、満面の笑みを浮かべた。


 来週から、ついに投資甲子園がはじまる。


 投資甲子園を前に、みんなの意気は最高潮に達した。


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