第11話 大統領国会演説からもらった勇気

 3連休があけた。


 放課後は、いつものように、チャートとにらめっこだ。


「うう、ドル円、120円突き抜けてる。どこまで上がるの!?」


 さすがに、このドル円の上昇相場は、見つめるしかなかった。


 まったく下落するように気配はない。


「121円、うそでしょ?」


 あっけに取られた。


 FRBアメリカ連邦準備制度理事会のパウエル議長が21日の日本時間深夜に講演している。


 パウエル議長は金利を0.5ポイント引き上げる準備があると発言。米国時間にドル高を観測するにはしたのだが、それほど大きな伸びではなかった。


 それが、日本時間がはじまると、なぜだか円がたたき売られ、ドルが買われる力が発生したのだ。


 これまでの119円の突破でも驚きなのに、一気に120円を突き抜け、121円にまで達していた。


「アヤノ~、日本円が紙くずになる~。お菓子も買えなくなるよ~」


 カリンが頭をかかえる。


「ああ~ウクライナとロシアが戦争しているだけで、小麦価格も上がるだろうし~。もうおいしいもの食べられないよ~」


 カリンをよそ眼に、チャートを見る。


 ドル円の上昇は、とどまるところを知らない。


「まあ」


 おどけていたカリンが、落ち着きを取り戻したように言う。


「ちょっと、入るのは難しいよね。安易に売りを入れたらつかまりそうだし。かといって、ここから買っていくのもね」


 たしかに、チャートは、小休止することはあっても、そのまま上昇していく。


 ここが頂点だと思って売りを入れると、つかまってしまうだろう。


 かといって、ここまで一気に上昇しているのを見ると、買いで入ろうものなら、もし調整の下落がきたら、一瞬で大きな損失を被ってしまう。


「今日は、どうにもできませんね……」


 今日の取引は諦めよう、と思った。


「だよね。ちょっと、残りの期限が迫ってきているけど、仕方がないね……」


 カリンも、今日の取引は諦めたようだった。


「休むも相場ですよ」


 ドル円チャートは、まだまだ上昇し続けている。


 今年度は、残り1週間と少しになってきている。


 月末までに、残り4万円を稼ぎ、総資産120万円に載せなければ、進級でず、留年が決まってしまうのだ。


「不安、ですね……」


 カリンが心配そうに見つめてくる。


 とそこへ、部室のドアが勢いよく開いた。


 二人が振り向くと、


「げっ」


 投資部顧問の大孫おおぞんが入ってきた。


「よう」


 それだけ言って、大孫はパソコンの前までくる。


 大孫には、前回嫌味を言われて、とても嫌な気持ちになった。


 大孫の顔を直視できない。顔をそむけてしまう。


 まだ目標の120万円には届いていない。


 今日も、嫌味を言いに来たのだろうか。


 カリンは、大孫を睨むようにしている。


「今、総資産いくらだ?」


 大孫が、パソコンに金額を表示させろと言わんばかりに聞く。


 カリンは、大孫の言う意味を理解したようだが、あえてパソコンに触ろうとはせずに、


「わたしは、120万円ジャストです」


 とだけ言った。


「ふん。まあ、お前は進級できるな。お前はどうなんだ?」


「わたしは……あと、4万円です……」


 元気なく答えた。


「4万円? それは、今の総資産が116万しかないということか?」


「…………」


 無言で答えた。


「ふう、お前なぁ。前もそのくらいだったじゃないか。あと1週間しかないんだぞ。大丈夫なのか?」


 カリンは、大孫を睨んでいる。


「まあ、なんとかするんだな。俺の出世にも響くんだからよぉ。こっちの身にもなってくれよ」


 カリンがまた何か食いつこうとしたのを察知してか、大孫はくるっと後ろを振り向いて、部室を出て行こうとする。


 二人は、大孫の背中を見送る。


 カリンは、アッカンベーをしている。


 それほどの嫌味は言われなかったが、それでも、あと1週間程度で4万円を手に入れなくてはならないことを突きつけられると、改めて不安が襲ってきた。


 昨日は、なんとかなりそうな気になったのに。


「まったくあいつ、何しにきたんだよ。気にすることないよ、アヤノ」


 カリンが言う。


「まだ1週間あるんだから。なんとかしよう」


「はい。そうですね」


 カラ元気で答えるしかなかった。




 23日の水曜日も、ドル円は上昇を続ける。


 ドルの上昇の勢いは、他の対ドルの通貨ペアの状況から、それほど強くないことが分かった。


 円が売り込まれているのだ。


 いよいよ危機感が増してくる。


 少しだけ、ドルをロングして、すぐに決済した。


「500円……。今度は500円損切……増えない……」


 ボラティリティーがあるようで、いざポジションをとると、それほど動いてくれない。


「こんな時は、失敗しそうだよね。今日はウクライナのゼレンスキー大統領の国会での講演があるから、気持ちを切り替えて、見てみようか」


 カリンは、パソコンでゼレンスキー大統領が国会で講演をする模様を生放送するサイトにアクセスした。


 ずっとチャートを見ていないと不安になるが、もうチャートを見たくないのも事実だ。


 ただ、ウクライナの人々のことを考えると、この講演はしっかり聞き届けようという気持ちになった。


 ゼレンスキー大統領の講演は、ほぼ予定の時間通りにはじまった。


 通訳は少したどたどしいとは感じたが、それでも、ゼレンスキー大統領の決意が伝わった。


(この人、いつ死ぬか分からない中で、こんなに頑張っているんだ)


 アヤノは、なぜだか、進級できるかできないかの瀬戸際に立っている自分と重なって見えた。


 講演は、国会議員のスタンディングオーベーションで幕を締めた。


 アヤノも、パソコンの前で拍手をしてしまっていた。カリンも同じだ。


 なんだか、相場の行方で不安になっている自分が、馬鹿らしくなってきた。


「停戦したとしても、ヨーロッパはロシアから燃料を買わないといけないでしょうし、大変でしょうね」


「だよね。ユーロ安も続いているし、ヨーロッパはたいへんだろうね」


「みんな、お金をほかの通貨や商品にしたりして、避難させているんでしょうね」


「そうだね……って! まてよ!」


 カリンは突然ひらめいたかのように、為替から、CFDと書かれた場所をクリックする。


「どうして、思いつかなかったんだろう!」


 カリンは、日経平均を表示させる。


「2万7,800円!」


「カリン先輩?」


 カリンは一体何に気づいたのだろう。


「わたしたち、為替、それもドルに固執していたから、気づかなかったよ」


「ど、どういうことです?」


 カリンが、チャートの日足、4時間足を次々と見る。


「いま、為替は日本円が売り込まれているよね。リスクをとる動きが出てきているんだよ。いや、むしろ、リスクを取らざるを得ない動きが」


「???」


 言っている意味が分からない。


「投資会社って、あまりキャッシュでは持てないよね。顧客から預かっているお金で、商品を売買しないと、お客さんも預けた意味がなくなるから」


「たしかにそうですね」


「いま、ヨーロッパは危ないから、どんどんヨーロッパからお金が抜かれているんじゃないかな」


「ヨーロッパから、お金が抜かれている!?」


 そこまで言われて、ピンときた。


「それって、どこか別の場所にお金を移さないといけないってことですよね」


「その通り!」


 カリンが大きな声をあげた。


「だけど、金を見てみて。もう、2,000ドルには行けなさそうでしょ?」


 金のチャートを見る。1,900ドルの半ばで推移している。2,000ドルから戻ってきて以来、勢いをなくしている」


「金も、かなりの高値だから、ここから買っていくことは、きっと難しいと思うんだ。だから!」


 カリンは一度言葉を切った。


「まだ、大きく上昇していないものって、なんだと思う?」


「まだ、上昇していないもの。株、ですよね!」


 すぐに株を想起する。


「で、でも、株はリスク商品です。いくら、まだ上昇が鈍いからといっても……」


 しかし、カリンは、自信をもった顔つきで、自分でうなずいている。


「来週は、株にとってなにがある?」


「来週……!!」


 これまで、毎日カレンダーを見てドキドキしていたのに、どうして気付かなかったのだろうか。


「3月の権利付き日!」


「そう。これに向かって、株は買われていくんじゃないかな?」


 カリンが表示した日経平均のチャートは、上向きに動き出している。


「でもでも、危険、じゃないですか……そんな簡単に」


「でも、世界のお金は、きっと権利付き日を目前にいている日本株にきているんじゃないかな?」


 カリンは自身ありげに言う。


「もちろん、週末にはどうなるか分からない。金曜日にはどっちみち切らないといけないだろうけど、ここは、勝負してみない?」


 カリンが問いかける。


「2万7,800円……」


「2万8,000円にタッチするっていうのが、わたしの見立て」


 確かに、チャンスは今しかないのではないか、と思った。


 ゼレンスキー大統領も、日本からの援助に感謝している。


 いまこそ、日本の実力が発揮されるときではないだろうか。


「岸田首相のリスクもありますよ……」


 岸田総理の金融に関する発言で、相場が急下降するリスクはくすぶる。


「でも、いまは有事だよ。それに、岸田首相、これからG7で外国だし」


 週末までは、金融に関する発言は、出てこないと見て良い。


「カリン先輩……」


 カリンを見ると、自信を持った顔をしている。


 こうした、カリンが自信のある顔をした時は、うまくいっている。


 そして何より、もう時間がない。


「勝負しなければ、変わらないですよね」


 自分に言い聞かせる。


「ゼレンスキー大統領も、砲撃や暗殺を心配しながら、国会で演説したんです。わたしも、ここは勇気を出して攻めていく時です!」


 カリンと顔を見合わせ、同時にうなずく。


 CFD日経平均、2万7,800円10Lot買い。


 命運は、日経平均に託された。


 


 上下じょうげ高校は、春休みに入った。


 生徒たちはみな、4月からの新学年になった時のことを思い描き、不安や期待を胸にしている。


 こんな時期に、いまだ進級について真剣に悩んでいるのは、日本全国でも、アヤノとカリンくらいのものかもしれない。


 幸運なことに、その後岸田首相は海外へ。特に金融に関する問題発言は出てこなかった。


 日経平均のロングポジションは、一時2万7,400円台まで沈み、一気に含み損が4万円となる瞬間もあった。


 正直、ここにきての4万円の含み損には吐き気を催した。


「損切、しましょうか……」


 こうも簡単に下落してアウト、弱気になる。しかし、


「ううん、きっと、2万8,000円に行くよ!」


 カリンに励まされる。


 木曜日、日経平均は2万8,000円を超えた。


「やった。目標額に届きました!」


 ただ、欲張ってしまった。


 日経平均は2万8,100円をつける瞬間があった。


「あと、少し……」


 含み益は3万円。目標額まであと1万円だ。しかし、その目前で、失速する。


 二人は、チャートの動きに一喜一憂を繰り返した。


 春休みに入ったこともあり、金曜日も、午前中から部室にこもってチャートを見つめる。


 午前中の黒田総裁の、円安をまだ容認するような発言には肝を冷やしたが、日経平均は持ちこたえている。


「また、2万8,100円に届きました!」


 しかし、そこからの上昇が続かない。


「目標の、2万8,000円には行ったし」


 目標より、さらに100円高いですからね!」


 二人の意見は一致した。


「約定!」


 日経平均、10Lot、利益3万円。


「やった……」


「うん、すごい……」


 ついに、残り1週間を残して、目標の120万円まで、あと1万円までこぎつけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る