第4話 さわぐ

 乳母がかどわかされた。よもや呪いがまた──。

 既に夜のとばりが降りている。

 あれからずっと鴇姫は人目をはばかることなく泣いていた。報告に罷り越した二人に、

「呪いを止めると申したのは嘘か!」

なじる。兼時がどうにか宥めて、奥へ下がらせようとするがこれも聞かない。

く呪い返しとやらをり行え!」

そう言うのである。どうじゃ、と兼時が水を向ければ

「失礼ながら……怨返しの儀に御座います」

白鬼はまったく動じずにそう返した。姫は恨めしい声を絞り出す。

「今、言葉尻をとれと誰が言うたか」

「言の葉は大切です。さあ、落ち着いてくださいませ……」

白鬼はゆったりとそう言った。


 不服そうな顔のまま、形だけ頭を下げる破丸。それと対照的に白鬼はすっと背筋を伸ばしていた。

「御許様がお望みでありましたら、この法師、どうしてその願いを断れましょうか。お望みの通り、儀を執り行わせていただきます」

「疾く、疾くじゃ、鬼であろうがこれ以上好きにさせてなるものか! その愚か者の顔を見ねば気も済まぬ!」

姫はまたワッと泣き出した。ほとほと困った様子で兼時が白鬼に目を向けた。

「……シラキよ、姫の望む通りに出来ると申すか」

「怨を返すことは可能に御座います。いささか急拵えでは御座いまするが……しかし姫様から鬼の手を退け、暫し蛮行を止めることはできましょう。そのうちに、鬼を捕まえてご覧にいれます」

「執り行うにあたり欲するものはあるか」

「それでは庭に火を用意願えますか」

「よい。誰か、火を用意せよ」

言って、庭に篝火が用意された。

 白鬼は気遣うような声音を向ける。

「これより少しばかり血生臭い祓いとなりますれば、御許様におかれては気分の悪いものと相成りますゆえ……」

それでも見届けると姫が譲らないので、そのまま儀式を執り行う運びとなった。


 一同は庭に面した部屋へと移った。

 白鬼と破丸は既に庭に降りている。篝火を中心に、それらしき札を刺した木杭を地に穿ち、円を描く。

「ほ、法師様、こちらに集めました」

犬丸が集めた形代に兼時は息を呑んだ。なんとおぞましい形代たちが、小山のように積まれている。庭には他に手伝った下人や、それ以外にも様子を見に集まっていた。

 その視線を集めるように白鬼が声を上げた。

「それでは鬼の元へ怨念を返して参ります。これより先はどなたも動かれませぬよう……ええ、誰が鬼かわからなねば、この白鬼、粗相をしてしまうやも知れませぬ故、動かれませぬように……」

そう言われた瞬間、空気が張り詰めた。

 その背後で胡座をかいた破丸が形代を篝火にくべていく。


 全てが火に落ちる。

 ぱちぱちと弾けた火の粉が宙に舞う。炎が舐めて、すぐに形代たちは黒く染まる。

 燃え落ちる瞬間、ウン、と破丸が唸った。

「ずらあにこはこずらあにそはそ」

歌でも詠むかのように少年は意味の通らぬ音の羅列を口から吐き出しはじめた。聞く限り、真言の類ではない。なんだなんだと声がさざめいた。聞いたことのない呪文に訝しむ声、期待する声。

 訳のわからない言葉を紡ぐ破丸の額には汗が滲む。異様な空気に、皆の目は吸い付けられた。なるほど、これならばと期待のこもる視線が絡み合う。

「なきりえかとへとものじるあのとも」

弦楽器のような音が空を切り裂いた。目をやれば、白鬼が弓を


 月が動く。

 風が凪ぐ。

 火は消えていた。

 雲がにわかに月を覆い、辺りが薄暗くなった刹那、おもむろに破丸は立ち上がった。もうもうと立ち昇る煙に手を突っ込んで、殴るようにして何かを──黒い塊のようなものを引き抜いていた。

 ずるりと出てきたのは太いまむしのようなものである。しかしその頭の造形は、よく見えないのにも関わらず人の顔のように見えた。

「あなや!」

「一体何事じゃ!」

「蛇か?」

一同は騒めいた。あれだけ強気だった鴇姫も御簾の裏で腰を抜かしていた。破丸は拳を強く握り締めると、逆の手で蝮を放り投げた。

 振り抜いた拳がそれを抉り、酷く鈍い音が響く。「やったか⁈」誰ぞかが叫ぶ。「いなや、足りぬ」破丸が己の拳を見て、舌打ちした。「掠めただけだ」


 黒い霧のような残滓を撒き散らして、それは夜闇の向こうへと吹き飛んでいく。まるで大した重さもないように、東の空へと消えていった。

 それと同時に、ぎぇええい、と気味の悪い悲鳴が響いた。

 誰ぞかと一斉に顔を向ければ、何処ぞから現れた猫丸が地面に転がっていた。そう言えば、先ほどから姿が見えなかったと誰かが溢した。

 猫丸は預かっていた白鬼の太刀を手に、ぎろりと二人の法師を睨みつけている。口から黒い液体を溢して、生臭い息を吐く。

「己れらが、己れらが、邪魔をするか」

口から溢れた声は老婆のようにしゃがれていた。昼間に聞いた猫丸の声ではない。

「我が悲願を阻む者、許すわけにはいかぬッ!」

「別に許しなど乞うていない」


 身を立て直した猫丸が地面を蹴る。跳び上がる。その手にはぎらりと太刀を光らせて、破丸に斬り込んでいた。再び握り拳を構えた破丸の前に、躍り出る影。

 あわやたち斬られる──刹那に、風が吹いた。

 それを防いだのは白鬼だった。猫丸が斬りかかるよりも速く真横から猫丸を蹴り飛ばしていた。その身体が鞠のように地面を転がっていく。

 破丸が機嫌悪そうに猫丸の方にずかずかと進みながら、白鬼を睨んだ。

「おい、あんなの吾だけで良かった」

「それは失礼したな、ついつい」

「汝はいつも口先だけだぞ」

「よいから、先にそれを捕らえよ、破」

「癪だな!」

破丸は倒れていた猫丸から太刀を乱暴に奪いとった。仰向けに蹴り転がすと、猫丸を掠めるように宙を殴った。

「そら、ねじりおに、いい加減出てこい!」

「おのれ、おのれ……」


 ごぼりと黒い液を吐いて猫丸が突然首を掻きむしり出した。ぐねりと首が真横を向く。ぎちぎちと嫌な音がして、土を舐めているに関わらずさらに首を捻ろうともがく。

 その横面を破丸が素早く叩いた。

 あぶくをぶくぶくと吐きながらも、それで猫丸は動きを止めた。


 これで沈黙だけが降りる。

 誰も動かず、誰も言葉を発しない。暫し経ってようやく、

「さ、先のあれはなんじゃ」

兼時が首だけを乗り出した。

「もう、もうよいのか?」

「あれこそが御許様に呪いを執り行った者の怨念に御座います。ご覧の通り、破丸が打ち返しましたが……仕上げが必要に御座いますれば、先の御約束どおりに鬼を御前にお持ちしましょう」

白鬼は恭しく礼をした。

「う、うむ。して、猫丸が姫を呪ったのか」

「否、彼は鬼の頼み事を聞いただけにございましょう」

「では、誰のじゃ。猫丸は死んだか」

「否や、猫丸殿は生きておりまする。中々に丈夫なお方だ、疾く手当をなされば、元気に動けましょう。この呪いが誰のものかについては、また後ほど……」

「確かだな」

「ええ」

「う、うむ。ならば良い。誰か!」

兼時は下人に命じて、猫丸を別のところへと運んだ。それを見送りながら、

「ああ、それと、乳母殿も生きておられましょうな」

そう言えば、「まことですか」と鴇姫が反応した。「左様でございます」と白鬼は頭を下げた。

「探して、御前までお連れいたしましょう」

これで鴇姫も少しばかりは安心できたのか、小さく息を吐いた。



          ◼︎



 夜も深いということで、後の始末は任せて二人は部屋に戻ることとなった。急ぎで用意されたのであろう、部屋には酒の瓶子が置いてある。しかし白鬼はそれを一瞥すると、さっさと踵を返した。

 おい、と破丸が声を発した。この粗暴な彼にしては珍しく、絞った音で囁く。

「おい、白鬼」

「なんだ、破丸。酒はやるぞ」

「酒は貰うが、白鬼は何処へ行くのだ」

「そら、鬼を捕まえにだ」

当たり前だろうと言えば、破丸は口を噤む。こうして別行動するときもあるにはある。

「ならば吾もいく」

「吾一人でよい。破はもう十分にやったろう。次はこの白鬼の番ぞ」

「…………わかった。下手を踏むな」

「誰に言っているのだ」


 時に、と破丸が眉根を寄せた。

「しかし怨返しの儀、白鬼に言われたように執り行ったが、あの一連のよくわからん呪文は必要だったか? 単に吾が殴れば仕舞いだろう」

「名もなき法師なのだから、あれくらいやって丁度良いのだよ」

「名があろうがなかろうがやることは同じだろう」

破丸が言うと、白鬼はわざとらしく肩をすくめた。

「だから其は未熟なのだ。これまでも吾がそれらしく仕立てていたのを忘れたか」

「なんだと」

「まあ聞け。ひとはな、結果を重んじるくせに、それが容易く── 一見でも容易く与えられるとその成果を疑うのだ。此奴は真面目にやったのか? すぐに終わったが手を抜いたのでは? そもそも狂言なのでは? とな」

「勝手だな」

「そういう風にできているのだ。故に彼奴らの納得する時間を掛けて、ついでにそれらしい儀式を執り行えばそれだけで満足するというわけさ! あははは、やあ、なんと無駄無駄、結果は変わらぬと言うのにな。それも結構、実に愉快愉快、故に好ましい」

くつくつと仮面の下で笑った。

「しかし、先のすべてが無駄なものでもないぞ、破」

「あの呪文がか?」

「ある程度法力のある者による逆さ文での呪言、あれはあれで意味はあったとも。まるで無意味なものでもないさ」

「それで、どうやって鬼を引き摺り出すつもりだ」

「まあ、まあ、見ていろ、見ていろ」

白鬼はひらひらと手を振ると、さっさと夜闇に溶け込んだ。


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