第3話 あつめる

「ひぃいいいっ」

 顔を寄せて、の正体を判じた猫丸と犬丸が揃って悲鳴をあげた。

 破丸が手に持っていたのは、木製の形代だった。

 かろうじて人形とわかるそれは、身体の部分に闇雲に墨が走らされてぐるぐると髪の毛を巻かれている為、ひと目には真っ黒な塊に見える。それが屋敷の床下に埋まっていたのである。

 誰がどう見ても呪詛の道具だ。


「ほ、法師様、ここここれは、一体」

「此度の騒動に使われたものだろう。よくあるやり方だな。人を模した物を使い、それ人に見立てて、打ち付け縛り燃やし、呪いをかける──厭魅えんみの法」

「ななな、なんと! だ、誰が、一体……」

犬丸も猫丸も震え上がる。呪いだなんだと騒いでいたのは知っているはずなのに、今更なんだと破丸は白んだ目を向けた。

「……それはじきにわかる。疾く、今からこれと似たものを集めろ。まとめて返すからな、十つ……いやもう少しあるか」


 破丸は形代を襤褸布ぼろぬので巻いた。あたりに視線を走らせると、ぶっきらぼうに指差した。

「あそこ、あそこ、それからそこをまずは掘ってみろ。不自然に草花や石がないところを、床下や木の下を探して掘って集めるんだな。はん、しかしこいつは容易いな」

破丸は鼻で嗤った。

「形代も拙くおろかな出来だが、まァ、その怨は十分だ。……よし、余計な茶々を入れられたら困るからな、白鬼、弓を持て」

「よし、じゃない。そう言われてぽんぽん弓だのなんだの出せると思ってあるのか、破は」

白鬼はため息をつきながらも、それが早いかと一人合点して猫丸に振り返った。

「────失礼、猫丸殿。どうか白鬼めに弓を貸していただきたく。弦が張ってあれば、矢は不要で御座います」

「…………矢もなしに、何をするおつもりで」

「鳴弦、魔を祓います」

「法師殿が?」

「ええ、吾が」


 訝しむ視線を向けながらも、最終的には猫丸は何処かへと走って、素朴な弓を持ってきた。白鬼は受け取ったそれを確かめるように触ると、よいでしょう、と偉そうに呟く。

 白鬼は暫く右往左往していたが、やがてひとところに場所を見出した。破丸を手招きして、また何事か囁く。「それ、要るか?」「要るとも」「本気か? やるのはいつも吾だ」「そうだ、破丸がやる、だから要るのだ」そうやって暫し言葉を交わしてから、恭しく頭を下げた。


「それでは、この白鬼がまずは魔を祓い、場を整え、ものが揃い次第破丸が呪いを返すことといたしましょうか」

「おお、此度の呪いを解かれると!」

犬丸が興奮したように身を乗り出した。それを制して、白鬼は弓を構える。

「いなや、そう急かれず。それは追々お楽しみいただきましょう」

「それではこれより何をなさるのです?」

「吾らが使えるはただひとつ、怨返おんがえしの呪法にございますれば、怨念の元が必要なので御座います。まずは引き出さねば────」

 爪弾くように弦が鳴けば、空気が揺れる。



          ◼︎



 鴇姫は御簾の隙間から空を眺めていた。

 屋敷はこうも息苦しいのに、空はどこまでも澄み切っている。自分たちだけが世間から切り離されているような錯覚を覚えて、思わず溜息を吐く。

 愛しい人が文もなくいらっしゃることもなく、とても寂しいのですよ──そういうことをしたためて、筆を置いたところ。乳母が音もなく入ってきた。

「文は?」

勢いよく聞いて、ふるりと頭を振られて、肩を落とす。常のことである。

 すぐに鴇姫は溜息を吐いた。やはりあの人は自分のことなど気にしてもいないのかと虚しくなる。それと同時に、流石に便りがなさすぎるのではと訝しんでもいた。

(前に手紙をやりとりした時は、特段変わったところはなかった……)

ほかに好いひとが出来たのかもしれないとは思っても、それでもあまりに呆気なく燃えていた炎が鎮まるかしらと考えてしまうのである。

(もしも文が届いていないのであれば……)


 前に呪祓いをした後に一度だけ、文が届いた。逢えなくて何夜か、逢う日が待ち遠しい、しかし二人には言葉が足りずに寂しい──ありきたりといえばそれまでの言葉で、不器用に畳まれて花を添えられていたのだが、それが引っかかる。内容が鴇姫の送ったものに対して微妙にずれていたのだ。もとより和歌の上手い人ではないが、或いはと考える。

 

「この文は誰が運んでいるの」

聞けば、乳母は眉根を寄せた。

「はあ、先日は鳥麿にございます。何かございましたか」

「本当に文は彼方に届いているのかしら」

「おう……おう、なんと、おいたわしや。あの浮気者のせいでさぞや苦しい思いをしていらっしゃいましょう」

「浮気者だなんて…………いいえ、今はそうじゃなくて、文はきちんと届いているの?」

「ええ、ええ。ご心配には及びませんとも、あれにはそう言いつけておりますよ。真面目な童でありますから、違えばしませんとも」

「そうならば良いのだけれど……」


 その鳥麿が己を恨んで手紙を隠し、ついでに呪っているのかとも考えたが、特に恨まれる覚えはなかった。姿を見られて恋慕されたということもなかろう。

 ならば他の誰の仕業だろうか。道中落としてしまったとかで、言い出せないこともないだろう。しかし覚えのないところで恨まれてということもありえるし、いやむしろ見知らぬ女に恨まれている可能性があるのでは、などと考えを巡らせる。

 それ以上考えても答えは出なかった。


 怪しい法師がうまく答えを見つけてくれれば良いのに、と願うしかない。

「あの法師らは上手くやっているかしら」

ふと呟けば、

「ふん、あのような下賤の者!」

乳母は顔を顰めた。

「──大方かたりで御座いましょう。呪いを返すなどと、なんと面妖な……! かの者こそ、怪しき術にて旦那様を惑わし、姫を呪い、それを解くなどとうそぶいて屋敷に入り込んだ下手人でありましょう!」

深く眉間に皺を刻む。

「許しがあれば、三日と待たず追い出してやるものを。いいえ、きっと追い出されるでしょう!」

きっと嘘をついているのだと決めつける乳母に、鴇姫は笑みをこぼした。自分にはいっとう甘い女人ではあるが、それ以外には結構当たりが強いのである。


 書いた文に香を焚きしめて、庭から手折らせた花を一輪添える。分からなけば一つずつ確かめるしかない。

「この文を届けるようにと伝えて。今度はお返事をいただいてから戻るように」

「たしかに……よくよく言っておきましょう」

乳母は大事に文を預かると、そそくさと廊下に出る。近くに人は多いから、誰かに預けたらすぐに戻ってくるだろうと思ったのだが──。


 ちゅいん、と異様な音。


 続けて邸内に絹を裂くような音が走った。

 とは言え、音だけだ。騒ぎにもならないはずのものだったが、なんだろうと思うと同時に響いてきたのは乳母の叫び声であった。

 弾かれるように乳母の名を叫ぶと、慌てて廊下に這うようにして出た。しかし廊下には誰もいない。叫んでも誰もいない。誰か慌てて逃げ出したのか、どたどたと遠くに足音が去るのを聞く。

 無人の廊下の真ん中にぽつりと何かが落ちているのが見えた。

 恐る恐る手を伸ばした。

 間違いなく、先ほど預けた手紙であるのに、それを手にしていたはずの乳母だけが忽然と姿を消していたのである。隠れられる場所もなく、彼女は元々そんなに素早い人でもない。

 誰かに拐われた?

 さあっと青褪める。

「誰か! 此れへ!」


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