第30話

 雅樹の誕生日当日。彼は予定通り、十五時過ぎに迎えに来た。


 雅樹はいつものようにスーツだったが、ジャケットを脱いでいたので少しラフさがある。そして車の助手席のドアを開けて、待っているのだ。


「あ、ありがとう? ってか、主役はそっちだろ? 何で?」

「私がやりたいから、いいんだよ」


 そう言ってにっこり笑う雅樹。黒兎は何だか落ち着かなくて、車が動き出してもソワソワしてしまった。


「緊張してる?」

「そ、そりゃあ、誕生日に食事って、何か特別って感じがする、し……」


 雅樹がクスクス笑う。そしてそうだね、と雅樹も同意してくれた。


「思えば、私もこうして誕生日に好きな人と食事するのは、初めてだよ」

「……っ」


 かあっと黒兎は顔が熱くなるのを自覚した。そしてその一言で、どう反応していいか分からず、言葉が出なくなる。


 しかし、それ以降は雅樹もからかわなかった。すぐに話題を変えてくれて、いつもの和やかな雰囲気になる。


(気、遣われてるなぁ……)


 こんな、まともに友達もいたことがないコミュ障の、一体どこがいいのだろう? そう考えかけて、良くない思考だ、と頭を振って打ち消す。


 そして楽しく話しながら、車を走らせること二時間。さすがに少し疲れてきた黒兎は、一体どこまで行くのだろう? と思い始めた。


 辺りは暗くなり始めていて、しかも緑も多くなっている。思わずどこまで行くのか、と雅樹に聞いた。


「うん? もう着くよ。……ほら」


 雅樹の言葉に合わせて車はとある店に着く。そこには純和風な建物があり、上品な外観だ。

 車を降りて建物の中に入ると、すぐに個室へと案内された。店内は静かで、ことのBGMが流れていた。


「すまない。和食が好きだから、私の好みで店を決めてしまったけど、良かったかな?」

「い、いや全然! むしろこんないい所でびっくりだしそれに……」


 黒兎は声を潜めた。


「あまり持ち合わせがないから、ヒヤヒヤしてる……」


 正直に話すと、雅樹は笑ってそんなことか、と言う。


「大丈夫。綾原くんはこれから私にプレゼントをくれるし、ここは私が払うから」

「え、それどういう……」


 黒兎が戸惑っていると、雅樹はますます笑みを深くした。


「言ったでしょう? 私は人が食事をしている所を見るのが好きだって」


 そういえば、そんなことを言っていた気がする。けれどだからって、こんな高級店に来なくても、と黒兎は思っていると、ふすまが開いて、最初の料理が運ばれてきた。思わず居住まいを正す。


 結論から言うと、料理は美味しかった、と思う。盛り付けも綺麗で崩すのがもったいないくらいだった。けれど雅樹がずっと、嬉しそうに黒兎が食べる姿を見つめていたので、食べた気がしない。


 食後のお茶を頂いていると、今日はありがとう、と雅樹に礼を言われた。黒兎にしてみれば、ただ食事をしていただけなので、本当にこんなのでいいのかな、と思いながら頷く。


 すると、対面に座っていた雅樹が、立ち上がってこちらに来た。隣に来て座り、黒兎も雅樹の方へ身体を向けるように言われる。


 素直に言う通りにすると、穏やかな雅樹の顔があった。黒兎が憧れていた顔が目の前にあり、ついつい見蕩みとれてしまう。


「綾原くん……」

「……っ、はいっ」


 思わず背筋を伸ばして元気よく返事をすると、雅樹は苦笑した。こんなに改まって何だろう? と思っていると、緊張しないで、と言われる。


(緊張? ……そう、俺は緊張してるんだ)


 人に言われて自分の状態を知るなんて、と思っていると雅樹は黒兎の手を取った。


「……約一年前。私が想いを伝えた事は覚えているかな?」


 大きな雅樹の手。初めて触れるわけでもないのに、神経がそこに集中したかのように、少しの刺激でザワザワする。


「う、うん……」

「そしてきみもそれに応えてくれた。そこは合っているかい?」


 黒兎はこくこくと頷いた。すると、雅樹はホッとしたようだ。一年前は、まだ黒兎の体調も良くなくて、きちんと伝えられなかったから。


「どうかな? 私はそろそろきみと恋人として、次の段階に進みたい」


 お互い大人だし。そう言う雅樹の表情は、真剣そのものだ。ああそうか、と黒兎は納得する。


 雅樹は、今まで黒兎の体調を考えてくれていたのだ。黒兎が彼に伝えたい言葉が、トラウマと直結しているだけに、彼なりに慎重になっていたのだろう。


 それがとても嬉しい。


「……出会った頃にそういうことをしているとはいえ、あの頃は私に気持ちがなかった」


 思えばあの頃のきみは、とても辛そうだったね、と言われ、黒兎は苦笑するしかない。


「何かで縁をつなぎ止められるなら、それでいいと思ってたんだ。……毎回後悔で押し潰されそうだったけど」


 そうだよね、と雅樹も苦笑した。


「じゃあ、店を出ようか」


 そういう雅樹の瞳に、少しだけ熱を帯びているのを見つけてしまい、黒兎は顔を赤らめて頷く。


 今更ながらの初心な反応に笑えたけれど、雅樹がきちんと自分の事を考えてくれてたんだ、と思うと、悪くないと思うから不思議だ。

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