第22話

 その夜、雅樹が黒兎の自宅を訪れたのは、二十二時半を過ぎた頃だった。


「遅くなってすまない。光洋に捕まってね」


 リビングに案内するなり、そうぼやいた雅樹は、食べ物らしき物が入った袋をローテーブルに置く。袋の形からして弁当のようだが、その辺のコンビニで買ったものじゃないようで、パッと見だけでも上品な包装だ。名の知れたお店の、仕出しなのだろうか。


 黒兎が反応に困っていると、雅樹は食べようか、と促してくる。黒兎はお茶を用意しますね、とキッチンへ向かうと敬語だよ、と注意された。黒兎は乾いた笑い声を上げる。


(それにしても、雅樹も態度変わりすぎ)


 お茶を淹れながら、そんなことを思った。興味がある人と、無い人の差が激しいのだ。ある意味合理的と言えば合理的だけれど、そのおかげで十四年間弾かれていた身としては、戸惑いと動揺を隠せない。


 黒兎はお茶をテーブルに置くと、雅樹は袋から弁当を出していた。そこにはやはり、聞いたことがある和食店のロゴがついている。


「あ、の……これって高いんじゃあ……」

「ん? ああ、気にしないで。私が誘ったんだし、奢るよ」


 オーナーシェフとは仲が良いんだ、と雅樹は笑う。有名店のオーナーシェフと懇意にしているなんて、やはりこれも仕事上必要だからかな、と黒兎は蓋を開けた。


「……わぁ……っ」


 黒兎は感嘆の声を上げる。料理の彩りといい、盛り付けといい、何かの芸術作品のようだ。

 しかし黒兎はスっと表情を引き締める。こんなものを食べてしまったら、いつものコンビニ飯が食べられなくなるかもしれない。


「どうしたんだい?」


 そんな黒兎の様子を見ていたのか、雅樹がクスクスと笑っていた。久しぶりに見たよそ行きの笑顔じゃない雅樹が見られて、黒兎は慌てて視線を逸らし、手を合わせて煮物を口に運んだ。

 やはりさすが有名料理店だけあって、出汁のきいた優しい味がした。何だかホッとしてその味を噛み締めていると、雅樹がまたこちらを見ていることに気付く。


「な、なに……?」


 ドギマギと、目を泳がせて聞くと、いや、と雅樹はまた微笑む。


「……私は、人が食事をしている所を眺めるのが好きみたいだ」

「す……っ」


 雅樹の言う「好き」という言葉に動揺し、危うくむせそうになった。目を白黒させていると、スっとお茶が入ったグラスを渡される。


 お礼を言いながらグラスを受け取り、お茶を一気飲みした。その間も雅樹の視線はずっと黒兎に注がれていて、居心地が悪いことこの上ない。


(何だ? 何なんだ?)


 やはりこれは、本当に雅樹の人脈の内側に入ったということなのだろうか。あまりの態度の違いに、やはり戸惑いが先に出てきてしまう。


「き、木村さんも、食べたら?」

「……ああ、そうする」


 黒兎が誤魔化すために促すと、雅樹はそう言ってようやく蓋を開けた。そして、ああ、美味しそうだね、と箸を取る。


「綾原くんは、食べ物だと何が好きなの?」


 しかし雅樹はまた、そんな質問をしてきた。再び食べ物を口に入れようとしていた、黒兎の手が止まる。


「……そんなことを聞いて、どうするんだ?」

「どうって……友達なら、気になるでしょう?」

「……そうか?」

「そうだよ」


 黒兎の想像する友達像は、自分でもだいぶ歪んでいると自覚しているけれど、雅樹もだいぶ歪んでいる。そしてああそうか、と合点がいった。


 ずっと──何なら高校生の時から仕事のことばかりだったのだ。付き合いと言えば相手の好きな物、好きな言葉を贈り距離を縮め、お互いウィン・ウィンの関係へ持っていく。それが彼にとっての普通なのだ。


 それなら、施術以外で黒兎が雅樹にしてあげられることは何だろう? と思う。そしてやはり、なんの取り柄もない自分は、雅樹に釣り合わないと思うのだ。


 そして、次はちゃんとお金を払うか、断ろう、と心に決める。


「それで? 好きな食べ物は?」


 まだ諦めていなかったらしい雅樹が、もう一度質問をしてくる。


「……一応答えるけど、今度はちゃんとお金払うからな」


 雅樹のことだ、多分答えたら買ってくるだろう。しかも、それなりの店の、美味しいものを。


 すると雅樹は虚をつかれたような顔をした。そして次には破顔し、珍しく声を上げて笑ったのだ。


「本当に、きみは英くんにそっくりだ」

「……」


 よりによって例えがそれか、と黒兎は黙って弁当を食べる。しかし雅樹は黒兎が、笑われたことが不服らしいと勘違いして、悪かった、とまだ笑いながら謝ってくる。

 しかし、黒兎の態度が変わらないことに気付くと、笑うのを止め、真面目に謝ってくるから許さざるを得ない。


「……高校生の時に、きみと友達になっていたらなぁ」


 ぼやくように呟いた雅樹の声色は、少し寂しそうだった。たられば言ってもしょうがないだろ、と黒兎は突き放すと、彼は苦笑してそうだね、と弁当をつつく。


「思えば、あの頃が一番しんどかったんだ」


 父親のフォローとして役員に就いていたものの、その父親はやりたい放題でほぼその尻拭いだった。幼馴染同然な光洋にも嫌がらせがあり、彼を守ることに必死だったらしい。


「だから、何でも否定しないで聞いてくれる、綾原くんがいたら、と思ってしまったよ」


 黒兎は反応せず黙って聞いていた。多分それが良いのだろうと思ったからだ。そして、そういう話は社内ではできないだろうからこそ、黒兎に話すのだろう、と。


「……ごめん。何か愚痴っぽくなってしまったね」


 それで、好きな食べ物は何だい? と問われ、やはり忘れてなかったか、と黒兎はため息をついた。


「……焼売」


 ボソリと答えると、雅樹は笑みを深くして、今度一緒に食べよう、と言われる。


 黒兎は躊躇いながらも、おずおずと頷いた。

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