第9話

 何で? どうしてこうなった? 黒兎はうねるような快感に悶えながら思う。


 あんな事をされて、もう雅樹は来ないものだと思い込んでいた。なのに。


 黒兎の身体がひときわ大きく震える。乱れた呼吸と戻ってきた光と音に、より一層心が重くなった。


「……良かった。この間は、苦しいだけみたいだったし」


 少しは役に立てたかな、と口角を上げる雅樹の愛撫は、これ以上ないくらい良い。なのに、その度に重苦しいものが胸に溜まり、どろどろとうちから腐っていくように感じる。


 リビングのソファーで、ゆっくり楽しむ余裕も時間もなく、黒兎はあっという間にまた堕ちていき、今だけ、と思いながら雅樹に縋り付いた。


◇◇


「……随分丁寧にやるんだな」


 気が済むまで二人で慰めあったあと、ソファーに並んで身を寄せ合う。お互い片想いの相手を想いながらしたむつみ合い。やはり自分に心が向いていないことに気付いてしまい、そっとため息をついた。


 ボソリと黒兎が呟くと、雅樹はそりゃあ、大事にしたいからね、と苦笑する。


「きみこそ……ヤケで貞操を捨てるくらい、相手のことが好きなんでしょ?」


 そう言われ、口の中が苦くなった気がしてそっぽを向いた。


 いっそ、高校の時から好きだったと言えれば良かった。しかし、何かで繋ぎ止めておきたいという想いの方が強く、今の関係のままでいいから壊したくない、と口をつぐむ。


「……そろそろ時間だ。着替えてください、木村さん」


 情事の時以外は社長と整膚師せいふしだ。切り替えのためにそう言うと、随分キャラが変わるんだね、と雅樹は苦笑した。


「……そうですね」


 自分がゲイだと気付いた時から、嘘をつくことと、本心を隠すことが普通になった。それがわずらわしくなったので、話しかけられないように、存在感を消すことも覚えた。その代わりか、素の自分は鬱憤うっぷんを吐き出すかのように、口が悪くなる。


 黒兎は微笑むと、何事もなかったように服を着た。雅樹も着替えながら、苦笑する。


「今思えば長い初恋だったんだよ」

「……」


 雅樹の言葉に、自分の想いがバレたのかと思った。黙って背中を向けると、雅樹は先を促したと思ったのか、吐露を続ける。


「初めて会った時、その瞳の強さに惹かれた。あの子は今も、その瞳を持ってる」


 十年、雅樹はその子を想い続けていたらしい。しかし、幼馴染みのライバルにあっさりと奪われたという。


「けれど悔しい事に、あの子とその恋人は、タッグを組むと飛ぶように売れる。社長としても、そんな商品をダメにしたくない」


 黒兎は雅樹のその話を聞いて、最近Aカンパニーで露出が多い人物を連想した。


(月成つきなり光洋みつひろと……)


 Aカンパニーイチオシの俳優、すぐるだ。ハッキリ名前は口にしないが、多分間違いないだろう。


(ライバルが舞台俳優とか……無理ゲーだろ……)


 雅樹はため息をついた。


「……何だか、先生相手だと何でも話したくなりますね」

「……」


 仕事で聞く分には良い。けれど、雅樹の恋愛話は、正直聞きたくない。そんな事は言えるはずもなく、黒兎は黙って雅樹のために温かいお茶を出した。


 そして嘘をつくことに慣れた黒兎は、こう言うのだ。


「……聞くだけですが……俺で良ければいつでもどうぞ」


 自己嫌悪で吐きそうになった。

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