第2話

「あ、椿野じゃん。……えーと、兄のほうだよね?」


 俺の存在に気づいたのか、羽鳥が突然そう尋ねてきた。

 何食わぬ顔で通り過ぎようとしたが、どうやらばれてしまったようだ。

 彼女が「兄のほうだよね?」とわざわざ確認してきたのは、俺と淳が見分けがつかないほどそっくりだからだ。

 特に今は髪型も似ているから、制服を着ている時は喋らなければ淳に間違われるほどだ。

 嘆息しつつも、どうするべきか迷っていると──


「はぁ……馬鹿ね。見た目は同じでも、夏輝は淳くんとは全然違うわよ。ほら、よく見てみなさいよ。隠しきれない陰キャオーラが漂っているでしょ?」


 そう言うと、珠莉はニヤニヤと醜悪な笑みを浮かべながら俺を指さした。

 そう、まるでギャルがクラスメイトの気持ち悪いオタク男子を蔑み嘲笑するかのように。……いや、その例えはギャルに失礼か。ギャルの中でも、性格のいい人は沢山いるしな。

 とにかく、俺の婚約者──翠川珠莉は、昔からこういう女だ。俺が何も言い返せないのを良いことに、友人の前でこれみよがしに馬鹿にするのだ。


「それに、どう見ても淳くんのほうがイケメンでしょ。まあ、顔は同じだけど、夏輝の場合は性格が根暗だしちょっとねー」


「……ねえ、珠莉。あんた、一応夏輝の婚約者でしょ? いくらなんでも、こき下ろしすぎじゃないのー?」


 成り行きを見守っていた本郷が、冗談っぽく笑いつつも珠莉に向かってそう指摘した。

 もしかしたら、彼女なりに助け船を出してくれたのかもしれない。

 つまり、俺は日頃から彼女の友人から同情をされるほど、こっ酷くこき下ろされているのだ。


「ま、まあ……私は正直迷惑しているんだけどね。でも、うちのお父さんは夏輝のことをすごく気に入っているから。だから、仕方なく結婚してあげる、みたいな?」


 本郷から指摘を受けた珠莉は、心なしか頬を淡紅色に染めながらそう返した。

 そんな彼女を見て、俺は心底辟易した。……何故なら、珠莉の心の内を見透かしているからだ。

 その実、珠莉は婚約者である俺のことが好きなのだ。なのに、素直になるのが格好悪いとでも思っているのか知らないが、小さい頃からずっと俺をボロクソに貶して嫌いなふりをしている。

 そして、散々こき下ろした末にいつも同じようなセリフを吐くのである。


『私は嫌で仕方がないんだけど、うちの親が将来夏輝と結婚しろってうるさいから』


 ──反吐が出る。とはいえ、そういうのが好きな男が一定数いるのは頭では理解している。

 でも、はっきり言って俺は無理だし、生理的に受け付けない。そう、俺は珠莉のそういう「素直になれない部分」も含めて大嫌いなのだ。

 一度、友人に胸襟を開けて相談したことがあるのだが、その時は「何言ってるんだ? 素直になれない彼女なんて可愛いにもほどがあるだろ? 惚気けるのも大概にしろ」と逆に説教されてしまいまともに取り合ってもらえなかった。

 恐らく、彼女は「どうせ結婚する仲なんだから、こいつには何を言っても許される」とでも思っているのだろう。その胡座をかいたような舐め腐った態度も、彼女を嫌いになる要因の一つだった。


(『きっと本心では好きなんだろうから、許してやれ』と? ……冗談じゃない)


 過去に友人に言われた心ない言葉を思い出し、更に腸が煮えくり返る。

 所詮、他人事だからそんなことが言えるんだろうな。実際にやられてみろ。可愛くもなんともないし、ただ憎たらしいだけだぞ。


「あはは……酷いなぁ、珠莉」


 珠莉からの駄目出しを受けた俺は、当たり障りのないように頬をポリポリかきながら苦笑した。

 下手に言い返せば、彼女の家族や自分の家族からの圧力が余計に増すだけだ。

 だから、俺はいつもこんな風にへらへらと笑ってやり過ごすしかないのだ。


「まあ、とにかく……駄目出しされたくなかったら、私に相応しい男になりなさいよ。わかった?」


「う、うん……わかってるよ。ごめん。あのさ、俺、これからバイトなんだけどもう行っていいかな? 今日、シフト代わってくれって頼まれちゃって」


「はぁ? バイト? 何やってるのよ、早く行きなさいよ。遅刻したらただじゃおかないからね」


(お前らが呼び止めたせいで足止め食らったんだろうが……)


 そう思いつつも、俺は必死に笑顔を貼り付けながら本心をひた隠しにする。そして、角が立たないように三人に軽く会釈をしてその場を立ち去った。



 ***



 数日後。

 今日は日曜日だから家族はみんな家にいるようだが、俺はバイトを入れていた。

 できることなら、家族と顔を合わせたくない。そんな気持ちもあって、俺は休日になると逃げるように出かけたりバイトに勤しんだりしていた。


「あ、スマホ忘れた……」


 家を出て五分ほど経った頃。俺はようやく、俺は自分がスマホを忘れたことに気づく。

 まあ、どうせ友人も少ないし日頃から連絡もめったに来ないから大して困らないのだが。

 そう思いつつも、休憩時間に暇つぶしができないのは困るので一旦家に戻ることにした。


「あれ……?」


 ドアを開けると、玄関に見慣れない男性物の靴が置いてあった。

 少なくとも、俺や淳の靴ではないし、父さんもこんな靴を履いていた記憶がない。

 ということは、自分と入れ違いで客でも来たのだろうか? 怪訝に思いつつも、俺は忍び足でリビングのほうまで歩いていった。


「──もう一度聞くけどさ……兄貴たちは、本当にそれでいいのか?」


 不意に、家族以外の誰かの声が聞こえてきた。

 リビングのドアが僅かに開いていることに気づいた俺は、隙間から中を覗いてみた。

 父さんと母さんが並んでソファに座っているのが見える。その向かい側には、ここ数年会っていなかった叔父──幸也ゆきやさんが腰掛けていた。

 雰囲気から察するに、どうやら二人に詰め寄っているようだ。

 更に、三人から少し離れたところでは淳が腕を組みながらその様子をじっと見つめていた。どうやら、彼もこの話し合いに参加しているようだ。


(もしかしたら、親族会議か何かか……? もしそうだとしたら、わざわざ俺抜きでやる理由は何だ?)


 頭の中で疑問符が乱舞した。


「いきなり訪ねてきて何を言い出すかと思えば……お前には関係ないことだろ? 幸也。」


 暫く沈黙が流れた後、ようやく父さんが口を開いた。

 次の瞬間、幸也さんが突然怒号を上げる。


「全然、関係なくないだろ!? 夏輝は俺の甥っ子なんだから! あいつが翠川家の生贄になろうとしているっていうのに、黙って見過ごせるかよ!」


 幸也さんの口から飛び出した言葉に、俺は唖然とする。


(俺が、翠川家の生贄だって……? 一体どういうことなんだ?)


 彼は昔から正義感の強い人だった。それに、俺のことも可愛がってくれていて、小さい頃はよく色んな場所に遊びに連れていってもらったりした。

 口ぶりから察するに、恐らく俺が日頃から理不尽な扱いを受けていることを知り抗議してくれているのだろう。

 幸也さんは昔からちょくちょく我が家に出入りしていたが、俺が珠莉と無理やり結婚させられそうになっているという話自体は初耳だったらしい。


「仕方がないだろう? 俺たちは、一生あの一家には頭が上がらないんだから。なぁ?」


 父さんは、幸也さんから隣にいる母さんに話を振った。すると、母さんは深く頷きながら言った。


「ええ。珠莉ちゃんは、小さい頃から夏輝のことを気に入っていた。だから、あの子が夏輝を欲しがっているなら言う通りにするしかないのよ。……だって、私たちが珠莉ちゃんにできるといったら、それくらいしかないんだもの」


(罪滅ぼし? さっきから、一体何の話をしているんだ……?)


「あのさ、叔父さん。叔父さんは、夏輝が不幸だと思っているからそんなこと言うんだろ?」


 困惑していると、不意に黙って成り行きを見守っていた淳が口を開いた。

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