動き出す運命

 ラングバート家の門前に馬車をつける。

 馬車を降りた途端、リネッタの身体がふらついた。足元がおぼつかないような姿を見て、クウィルはリネッタの身体を抱え上げる。


「歩き、ます。歩かなくちゃ、少しでも」

「明日からまた、たくさん歩けばいいでしょう」

「でも」

「少しは格好つけさせてください」


 抱えたリネッタの身体が熱い。ひどく汗をかいている。熱がこもるのを防ぐためか、胸のボタンが広く開いたままだ。クウィルはそれとなく目を逸らした。


 エントランスに入るなり、ニコラを呼ぶ。クウィルの大声に気づいた母とアデーレが顔を出すが、何も言わず階段を上がった。


 ニコラはちょうどリネッタの部屋を整えていたらしく、慌てて飛び出してきた。いつものように声を張り上げようとしたニコラは、クウィルの腕に抱えられたリネッタを見て息を飲んだ。そして冷静に尋ねてきた。


「ご指示を」

「着替えを、手伝って差し上げて欲しい。終わったら呼んでくれ」

「かしこまりました」


 ニコラが扉を開ける。クウィルは部屋に入り、ベッドに彼女を座らせて部屋を辞した。

 廊下に出ると、母とアデーレが立っていた。アデーレは怯えるように母にしがみついている。

 騒がしくしているのに義姉が姿を見せない。おそらく、ラングバート家から一時的に離れているのだ。


「こちらでも何かありましたね?」


 母に問う。母は微笑で首を横に振った。


「くだらないこと。気にかけるほどでもないわ」

「……アディ?」


 母で駄目なら妹だと、しゃがんで目線を合わせる。アデーレは唇を噛んで耐えていたが、やがて両目からぶわりと涙を湧き出させた。


「リネッタ様がご病気だって。お、王家じゃない婚約が、いけなかったのだって」

「そうか……義姉上は?」

「大丈夫よ。ご生家にお使いに出てもらったわ」


 ラングバートの家に迷惑をかけた。母に視線で詫びると、柔らかい笑みで返される。

 そこへ、父が上がってきた。


「クウィル、少しいいか」


 議会からの戻りがずいぶん早い。嫌な予感を覚えながら、クウィルは父とともに書斎へと向かった。


 * * *


「浄化のやり直し、ですか」


 父の書斎に通されたクウィルは、ソファに腰を下ろしながら問い返した。父はクウィルの向かいに座りながらうなずく。


「聖堂が決定した。議会もおおむね賛同している。ひとつの神殿に一ヶ月かける予定だ」

 

 四ヶ月の略式巡礼。期間は通例の二年からずいぶん短縮される。完全な巡礼をもう一度行うには莫大な金がかかるのだ。


 略式とはいえ儀式をやり直せば、今戻りつつあるリネッタの感情はまた消失してしまうのではないか。クウィルは即座に了承できず、父を相手に食い下がる。


「聖堂から、この事態について説明はないのですか」

「彼らが聖剣と聖女の秘匿ひとくを破ることはない」


 父はふっと息を吐いた。


「婚約を続ける気はあると、殿下からお聞きしたが」

「そのようにお答えしました」


 クウィルの答えを確かめた父は、腕を組み天井を見上げた。そうしてしばらく悩むそぶりを見せたあと、パンッと自分の両頬を叩いた。


「どうしました!?」

「……私からクウィルに、謝ることがたくさんあってね」


 頬を軽く色づけた父は、渋い酒でも飲んだかのような顔でクウィルと目を合わせた。


「まず、だ。クウィルの生母であるオルガ様は、アイクラントの血筋ではなかった」

「……は?」

「クウィルは、純血のベツィラフトなんだ。養子に迎えるとき、周囲の反発を押さえるために混血と偽った」


 思わずソファから腰を浮かせ、父の渋い顔を凝視する。


「ですが……私のこの目は琥珀石の色だったでしょう」


 十二歳までのクウィルは確かに琥珀の瞳を持っていた。黄色寄りの橙色。ベツィラフトらしからぬその瞳は、クウィルが混血であることの証だったはずだ。


「ご両親がクウィルの呪術を封じていたからだ。それを、私が解いてしまった。魔獣の血は呪術を呼び起こすから、近づけないでくれと。オルガ様に頼まれていたのに」


 父はテーブルに両ひじをつき、両手に顔を押し付けて長々とため息をついた。


「父上のせいでは無いでしょうに」


 魔獣の血を受けたのは、クウィルが勝手に飛び出してしでかしたことだ。十二歳の自分が起こした癇癪かんしゃくが、父をさいなんでいるなど思いもしなかった。


 父は顔を上げない。顔を伏せたまま、くぐもった声で続ける。


「呪術がどういったものかは知っているね?」


 騎士団で魔術を学んだときに、ギイスから聞かされている。

 呪術は、魂に干渉する力。自然の力を増幅するアイクラントの魔術とは、根本から異なる力だ。

 魂は命あるものの内に必ず宿り、その精神、感情を司るもの。呪術においての基礎で、魔術には無い考え方だ。

 ベツィラフトの呪術はその魂に作用し、他者の精神を操る。魔獣の使役は、呪術の使い方のひとつでしかない。

 魔獣であれ、人であれ。呪術はその精神を病ませることも、傀儡とすることも、癒すこともできる。


「オルガ様は呪術のなかでも希少な、解呪――かけられた呪術を解くことに長けていた。あぁ、ラルスと殿下の恩人だという話はしたかな?」

「母が、ふたりを救ったとしか聞いておりませんが」

「やんちゃなあの子たちは、聖剣に触れて魂を捕らわれた。オルガ様はご自分の命を削り、ふたりを連れ戻してくださった。オルガ様が早世されたのは、そのせいなんだ」

「よく、わかりませんが……それも、父上が謝ることでは無いでしょう。というか、さっきから父上は何の話をしているのですか」


 てっきり、リネッタの再巡礼とふたりの今後にかかる話だと思っていた。それがなぜか、出自と過去の話をされている。記憶にない母の話にいたっては、どう反応していいかもわからない。


「大事な話だ。クウィルはどうやら、オルガ様の解呪を受け継いだようなんだ」


 ――本当に、何の話なのだろうか。


 ぽかんと口を開けたクウィルを前に、父はようやく顔をあげた。渋みを味わった顔に、今度は哀を足したような。なんとも複雑な表情の父は、ため息でテーブルを撫でた。


「リネッタ嬢の感情を封じていた呪術を、クウィルが解いただろう」


 急に自分の両肩に大きなものが下りてきた。そんな気配がする。ざわざわと胸が騒ぎ出す。


「解呪は、オルガ様が隠し、クウィルに受け継がれることを恐れた力だ。そして……聖堂と聖剣の解体を願う陛下が、欲して止まない力でもある」


 父は立ち上がり、窓辺の書き物机へと向かう。引き出しを開けて中から何か取り出すと、ずいぶん厳しい顔つきでこちらへ戻ってきた。日ごろから穏和な父の、こんな顔は初めて見る。


「巡礼の始まりには、陛下とリネッタ嬢が必ず顔をあわせる。戻った感情を陛下に気取らせないのは至難だろう。クウィルの解呪もおのずと陛下に知れてしまう。そうなってからでは遅い」


 父はソファに座りなおすと一度息を整えた。そして、手にした物をテーブルに置く。


 鍵だ。

 持ち手に王家の紋章があしらわれた、古い鍵。


「王宮図書館の最奥、禁書庫の鍵だ」


 クウィルはいぶかしく思いながらも、その鍵に手を伸ばした。手の中におさめた鍵はひやりと冷たく、見た目よりずっと重い。


「聖剣と聖女。ベツィラフトとアイクラント、そしてリングデル。全てが絡み合った本当の歴史がそこにある」

「本当の……歴史?」

「クウィルのためにも、リネッタ嬢のためにも。呪術を手にしてしまったからには、知るほうがいい。殿下も賛同してくださった」


 父の両手が、鍵を持つクウィルの手を包み込む。強く握る手には筋が浮いている。


「この鍵は、王家のご裁可さいかあるいは侯爵位二名の許可状で使用を許されるものだ」


 頭の奥深くがすっと冷える。そんな気がした。


 爵位の無いクウィルが王家に裁可を求めることは到底できない。

 貴族院議会を通して許可を得るには、騎士の肩書きが邪魔をする。騎士団長を除いて、騎士が議会に進言することは禁じられている。もともとは、貴族令息が多く在籍する白騎士団の規律を乱さないために定められた制約だ。これが黒騎士に対しても同じく課せられる。

 

 この鍵を使い、禁書庫を開きたければ。


「私に騎士を……やめろというのですか?」


 信じられない思いで、父の顔を見る。

 クウィルが騎士団に対し抱く情を、父は誰よりわかってくれていると思っていた。ラングバートの家に滅多に顔を出さないことも、不満はもらせど否定されたことはなかった。

 裏切られたような心地で父から顔を背ける。そんなクウィルの頭を、父の手がぐしゃりと掻き回した。


「な! なんです、急に!」

「すまない……守ってやれずに」


 父は、テーブルに額をつけるほど深く頭を下げた。


「オルガ様に大恩がありながらクウィルを呪術から守れず、それどころか大切な場所を奪おうとしている。それでも、私はおまえを陛下の手に渡したくない」

「……なぜ、そこまで」

「かつて陛下は、余命幾ばくも無いオルガ様を解呪のために使い潰した。クウィルを同じ目にあわせたくない。今は騎士団を離れて……レオナルト殿下を頼りなさい」


 クウィルをいたわるような声ながら、はっきりと命じる言葉。こんな風に父の判断を押し付けられたのは、ラングバートの家族になってから初めてのことかもしれない。


 それほど、自分の置かれた状況は危ないのか。


 頭を下げたままの父を見つめる。父の話を正しく理解するには、この鍵を使わなければならないのだろう。今のクウィルでは、混乱ばかりで何もわからない。

 けれど。

 ラングバートの家が、どれだけクウィルの盾になってきてくれたか。父がこの鍵を渡すのをどれだけ悩んだか。どれほど追い詰められた心境でこの場をもうけたのか。

 それぐらいはわかる。

 ラングバートの次男を二十年もやってきたのだから。


 鍵を手に、クウィルはソファから立ち上がった。


「時間を、ください。すぐには決められない」

「巡礼の出立日。そこが限界だろうと思う」


 軽く礼をして、クウィルは書斎を後にした。

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