16、勇猛、賢明、慈愛、それら鏖す蛇毒

「ヒュドラ? 随分御大層な名前だが、そんなギルドの名前は聞いたことねぇな。なぁ、アルターこのお上りさんたち知ってっか?」

「同じくだ、まあ田舎から出たばかりの浪人だろう」

「広域指定団体の構成員と皇帝の懐刀、確かに貴方達にとって私は新参者でしょう。なので、是非、胸をお借りしたいと考えております」


 アルファと名乗る男は二人からの煽りを意に介することなく、慇懃無礼に腰を折ると共に懐に手を忍ばせる。


飛行形態ホルス!」


 先ほど短剣を投げて寄越したこと、そして一見すると丸腰なところから得物はみたまま短剣の可能性が高いと踏み、位置的有利を得るべくフェスタは飛び上がろうとする。


「例えば――」

「……え?」

我々貴方達の後釜に相応しいかどうか――試していただけませんか?」


 困惑。

 余裕そうな振る舞いを崩さなかったフェスタが見せた、初めての失態。

 雷に打たれたかのような激痛。

 飛べない。

 墜ちる。

 視点が立っていたころよりも下へ、地べたと這いつくばるように膝を付いてしまう。


「なんと! 敬われる先達の身でありながら、私のような者と視線を合わせてお話してくださるのですか。感激だ……」

「ハァ……ハァ……初撃は……ちゃんと防ぐべきだったか……」


 墜落したフェスタの呼吸は酷く乱れ、全身に脂汗が噴き出ている。


「先ほどのアイン隊長との激戦、とてもとても感動しました。まさに獅子奮迅、鳥のように自由に宙を舞うお姿、虎に翼が生えたかのようで、あまりにもあまりにもまばゆいので……僭越ながら、毟らせていただきました」


 杖を握りしめようにも指先は動かず、術を行使しようにも慣れているはずのやり方を間違えているかのように発動しない。

 体の自由が効かず、唯一にして最大の武器である魔術が出力できない。


「血中の魔力循環効率が下がってる……てか、神経が麻痺してらぁ……心臓の動きが悪ぃのか……?」

「フェスタ!!」

「フェスタさん!」


 アルターとルナが血相を変えて駆け寄る。

 それもそうだろう、フェスタ自身は見えていなかったが先ほど短剣を掠めた切り傷が、周りの細胞を巻き込んで紫に変色している。


「傷口が腫れあがってる、早く治療しないと……」

「皮膚の腫れ、心臓の不全……神経系の麻痺……毒か……そうか、アルファ……お前が……!」


 二コリと微笑むアルファは、静かに手を叩く。


「素晴らしい……! 私の『不死殺しオーバーキル』を受けて、悲鳴の一つも上げなかったのは貴方で二人目です。やはり、私の知見はまだまだ狭かったと痛感します」


 『不死殺しオーバーキル』、名前の通りの不死アンデッドなど存在しないだろうが、もしも死なずの化け物がいれば、赦しを許されない激痛の果てに死を懇願する。そんな予感をさせるほどの劇毒。


「痛覚が鈍いんでな……」

「フェスタさん、喋らないでください」

「黙らせるなら今の内だぜ」

「何も面白くないです」


 ルナはフェスタの頭を自分の膝に乗せるように寝かせる。

 起き上がれば、傷口の毒が心臓まで回りやすくなってしまう。


「患部から血と一緒に毒を抜きます。能力による毒なので、通常の応急処置が効くかは分かりませんが、麻酔はありません、なので我慢してください」

「アルターより、鬼だよお前」

「口を閉じて、血が口に入りますよ。『応急処置ファーストエイド流水洗浄クリーニング』」


 ルナは慣れた手つきで、水の術で患部を洗い流しながら化膿し腫れているフェスタの頬に触れ押し出すように血を出させる。


「医療用魔術か……治癒能力持ってるくせに」

「口!」

「……」

「使用回数に制限がある能力ばかりは頼りにできませんので、宮廷医師の方に教えていただいていました。何度かお忍びで街に出て臨床の現場を手伝ったりもしています」 


 毒がどれほどの量なのか分からないため500mlほど血を抜いた辺りでルナは手を止め、血が付いた自身の手も洗浄する。


「口開けてください」

「んぐっ!」


 ルナは躊躇なく清潔にした手をフェスタの口内に突っ込む。

「傷口から心臓に近い方の血管を圧迫します。毒の進行を遅らせるためです。気道は確保してますので、鼻で上手く呼吸を」


 ルナは考えを巡らせる。

 すでに毒の症状は出ている。

 手遅れかもしれない。

 毒の種類さえ特定出来れば? 出来たとして?

 自分の能力で解毒まで持っていけるのか?

 この場に置いて、肩書だけの自分が、一番無力だ。


「おひふけ」


 ルナは手のこそばゆさに一瞬身体を振るわせ我に返る。


「十分だ。嫌ってる私に十分最善を尽くしてくれた。これで死んだとしても、お前のせいじゃない、仕方ねぇんだよ」

「『死んでも仕方ない』なんて、言わないでください!」


 命の温度が低くなっていくフェスタを前に、どんなに反りが合わないとしても、ルナは諦めるわけにはいかない。

 でなければ、人間の根源的な絶望を乗り越えるためのすべを否定することになる。


「どんなに手を尽くしても、満足な治療が出来ないこの場で完全な解毒は不可能ですよ。まぁ、ほんの数秒程度、命のタイムリミットを先延ばしにできるかもしれませんが」


 ルナの献身を、アルファがせせら笑う。


「笑ってるんじゃねぇぞ!」


 アルターは剣を抜き、薄ら笑いを浮かべる青年に斬りかかる。


「騎士団の皆様は血気盛んでいらっしゃる」


 懐から取り出した短剣でアルターの初太刀を弾いて受け流す。

 短剣は砕け散るも、身体に刃は触れもしない。


「私のような下卑た低俗な戦い方しかできない者は、貴方のような猛者と正面から立ち向かう勇気はありません」


 武器を奪えば、一撃必殺のアルターの『鋼砕き』を防ぐことは不可能。

 更に彼女は、一刀一銃の変則二刀、地の魔術。取れる手札の選択の幅が広い。相手の情報処理に負荷を掛けられる。


「注意すべきは、毒だけだと、そう思ってはいませんよね?」

「無論だ」


 アルファが手を挙げると物陰から手下達が襲い来る。

 そう、アルターらは囲まれているのだ。頭領自らが囮になるとは見上げた根性ではあるが、状況は数的有利をとってのリンチ。


断崖障壁シェルター!」


 フェスタのパクり。という訳ではなく、アルターは元々自力で壁を造れる。むしろ、即席で相手の術を真似るなんて器用な芸当はあらゆる属性の術を扱えるフェスタの専売特許だ。

 モーションは足の踏み込み。張る壁は正面、アルファとの間。


「素晴らしい、攻撃の範囲を三方向に限定したのですね!」


 相手が人間である以上、攻撃圏内に入ればスペースを食う。

 三方向であれば多くても四〜五人、両手足と武器を十分に動かせる範囲を考えれば三人。

 最適な襲撃人数は三人、二人毎の波状攻撃だろう。

 であれば、諸手もろてで戦えるアルターが片手対一で冷静に処理できる範囲だ。


「もう終わりか?」


 十人前後を斬り捨てたところで、襲撃の手は止まる。

 アルターは手負いのクセにほとんど手傷を負っていない。


「ええ、貴方相手に戦闘経験の少ない我々で人海戦術を展開しても、大した痛手を負わせられない。大切な部下たちを無闇に失うのは避けたいので。ただ、懸念事項は消えました」

「何だと?」

「元副長さん……貴方、皇太子に回復してもらいましたね?」


 一日三回しか使えない、ルナの治癒能力。

 負傷した人間ではありえない戦いぶり。完全で無くとも十全に回復している。

 それさえ分かれば十分だった。

 アルターの造った壁の裏から、敵の影が飛び出す。


「そこ――」


 見計らったようにアルターは反応する。

 敵の影。そうであることに間違いはなかった。


「『突然死サドンデス』」


 間違えたのは、アルファではなく――それが先ほど斬ったばかりの敵の死体だったこと。


「しまっ……」


 身代わりを使った単純なブラフ。

 だが、二、三人程度を軽く捌ける程度の反応の良さを逆手に取った、巧妙な一手。


「お勤めご苦労様です。元副長殿……」

「かはっ……」


 ドスっ……と背後から音もなく忍び寄ったアルファの短剣が、アルターの脇腹に深く突き刺さる。

 毒があろうとなかろうと急所を突いた致命の一撃。


「アルター!!」

「……殿……下……」


 短剣が抜かれ、栓が抜かれた水のように、血液が吹き出し、全身の力を奪われたアルターが地に伏す。

 最期にルナを見つめながら。 


「また……また……僕のせいで……」


 血溜まりの中、生気のない目玉が彼を見つめる。

 その光景に、ルナは強い既視感を覚える。

 自分を城から逃がすために、多くの者が死んだ。

 執事も、女中も、庭師も、従者も、近衛も……そして、父親も。

 彼らが肉の壁となるように、覆い被さり、庇い斬られ、そして、皆一様に物言えぬ身体になったとき、自分を見ている。

 死は、常にこちらを見つめている。


「これで、身に沁みてお分かり頂けたでしょうか。皇太子」


 何も恐れる者がないといった悠々とした足取りで、アルファはルナの目の前まで歩みを進める。


「貴方の周りの人間は皆すべからく、息絶える。貴方は、死を振りまく病源菌だ」


 もうルナは目の前の殺し屋に意識を向けていない。

 茫然と身を朽ちさせるような絶望感に苛まれている。


「…………サフィール」


 死の淵に立たされ自然とその名が溢れる。

 ボロボロになりながらも、必ず戻ってくると言った騎士の残滓が、僅かな支えとなっている。

 暗く沈んだ心に差す、僅かな希望。

 殺し屋はそれを見逃しはしない。


「あぁ、『千刃』ですか……まだ、フェスタ殿から聞いていなかったのですね」

「……っ!」


 フェスタは閉じかけていた目を見開く。


「ゃ……めろ……!」

「聞かされていなくとも、どこかで察しているものと思ってましたが、実におめでたい頭をされている」


 アルファは、この上ない笑顔で語る。


「何の話……ですか……?」

「死にましたよ。彼」


 至極あっさりと、その事実は告げられる。

 故に心構えなど出来ていようもなく――彼の視界は暗闇に染まった。

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