さあ、断罪の時間だよ
「ユ……ユリアーナ!?」
「お義父様、何をそんなに驚いておられるのですか?」
「お、お前一体今までどこに……」
何故ここに……侯爵邸に居たのではないか。そう信じ切ってきっていた男爵の驚きは当然のことだろう。
(人を貶めようとした男がこうも他人の言を信用するとは……おかしな話だ)
その様子をサイゾは冷めた目で見ていた。
こうも簡単に引っかかるような相手に影を動かす必要があったのだろうか。贅沢な不満だとは分かっているが、なんだか腑に落ちない気分だった。
(ま、俺らは上の指示に従うだけっすけどね)
「ユリアーナ嬢、殿下の御前に」
「ええ」
サイゾが手を取って王太子の前に連れ出すと、ユリアーナは足の痛みを堪えて再び礼を取ろうとしたが、フランツが「楽に」とこれを制して言葉をかけた。
「無理をさせてすまなかったね」
「いえ、殿下のお召しとあれば」
「さて男爵、そなたの娘はこのとおり無事に生きておる。侯爵家が誘拐したとかなんとか申しておったが、一体何の話であろうか」
「いやしかし! 入院していた診療所を襲われて……」
「襲われたのではなく、私が保護したのだ。重要な参考人だからな」
ユリアーナが診療所から連れ去られた事件は報道で多くの者が知るところ。それが王太子自らの手によるものと告げられ、静まり返っていた会場に再びざわめきが広がる。
「どうして殿下が……」
「私が関わった人間が正体不明の者に襲われたのであれば、それが原因とも考えられる。保護するのは当然だ」
「ならば保護すると仰せになれば。何故あのような強硬手段に出られたのですか。殿下に何か疚しいところがあるからと疑われますぞ!」
「男爵、口を慎みなさい!」
「リーゼ、よい。何故と問われれば答えてやろう。今回の一件、裏でなにやら良からぬ企みがあってな、その者たちに私が保護したことを知られないようにする必要があったのだよ」
含みを持ったフランツの言い回しに、周囲の者が困惑する。聡い者や勘の働く者は「もしかすると……」と何かに気づいた者もいるようだが、それでも圧倒的に情報が少ないため、みな固唾を飲んで様子を見守っていた。
「男爵、私が何を言いたいのか分かるか?」
「はて、何を仰せなのか全く分かりませんな。父である私にも知らせず、何をもって保護すると仰せなのでありましょう」
「とぼけるか。では本人の口から伺うとしよう」
フランツが視線をユリアーナに送り発言を許可する。そこで彼女は言葉を発しようとしたが、緊張しているせいか身体が小刻みに震えて上手く口が開けずにいたので、リーゼが両手でその手をそっと握りしめ、力強く頷いた。
「お父上はこう申しておるが、君の口から聞きたい。リーゼから嫌がらせを受けた事実、有りや無しや」
「恐れながら申し上げます。そのような事実はございません」
「ほう……だが命を狙われたのは事実。それでも違うと言い切れるのか」
「はい。全ては私の行いが原因でございます」
王太子がお忍びで城下を巡る際の案内役を買って出て、それを機に懇ろになろうと近づいたこと。そして自身が嫌がらせを受けたり殺されそうになったのは、リーゼの評判を落としたい何者かが、彼女が嫉妬してそれを指示したかのように見せかけて行った謀り事だと言う。
「私に近づこうとしたのは君個人の考えか」
「いいえ。そこにいる義父の指示です」
「な! 何を言う!」
「そうでなければ、血縁関係でもない、養護院で暮らす孤児であった私が男爵家の養女になる理由がありません」
その発言で周囲が再びざわめき出す。血のつながりの無い孤児を引き取るということはそう珍しくもないが、それはその子に何らかの価値があるからだ。
よくあるのは剣技や魔法の才、学問に優れ、いずれその子が長じて家の役に立つと見込まれた者。またはユリアーナのように容姿に優れ、長じて後に貴族の妾や金持ちの後妻に送り込むための駒として使うため……
ユリアーナの発言で、男爵とは血縁関係でないことは明確に否定された。だとすれば、彼女が養女になった理由はそういう目的であり、王太子に近づいたのもそういうことなのだろうと推察できる。
「男爵の娘ごときが寵を得られるとは思いませんでしたが、そのうちに嫌がらせが続くようになり、命を狙われるに至って、私は捨て駒なんだと思うようになりました」
「違う! だからそれは侯爵家の者が!」
「お義父様、リーゼ様も侯爵家の皆様も関与していないことは殿下が既にお調べになっておられます」
「なん……だと」
睨みつける男爵の視線から守るように、フランツがユリアーナの前に立つと、リーゼの関与が全く無いということを明らかにし始めた。
「王族には護衛として影の者が付いている。無論、必要とあれば婚約者や関係者にも付けることがある。その者たちの手によって、リーゼが何もしていないことは証明済みだ。お前がやったという証拠はまだ無いが、侯爵家を犯人と仕立てようとしたからには何か企んでいるのだろう。きっちり調べさせてもらうぞ」
「そういうことなのでお義父様、悪あがきはおよしになった方がよろしいですよ」
「おのれ……大事にしてやった恩を忘れおって!」
「大事に……? 何人もの男の夜のお相手をさせられたことが……大事にしてもらったということでしょうか?」
ユリアーナがさらりととんでもない事実を放り込んだ。そこに婉曲な表現は一切無い。言葉を額面通りに受け取れば、男爵は自身の養女を男たちの慰み者として供与していたということ。要は売春である。
「な、な、な、何を根拠に!」
「殿下、この男は以前から身寄りのない少女を言葉巧みに誘っては身体を売らせ、他国の娼館に売り飛ばしているのです。私が相手をさせられた男には貴族も多くおりました。証拠なら邸にあるはずです」
ハウエヴァ―伯爵がユリアーナに強要したとき、申し出を断れば子供たちがそうなるぞと脅していたわけだが、実のところはそれ以前から犯罪に手を染めていたということ。
援助していた養護院は伯爵たちとグルであり、もしユリアーナが断ったとしても、その身を亡き者にした上で新たな候補者を見繕っていたことだろう。
アンツォが診療所で彼女を説得したとき、影たちはそのことを既に承知していたが、それをそのまま話していたら心が壊れてしまうかもしれないと感じ、ユリアーナには後に調べを進めた結果そういう事実が見えてきたということで、昨晩サイゾの口から伝えられた。
その真実を知ったときの彼女の顔は、今でもサイゾの脳裏から離れない。彼女と共に養護院で過ごし、先に巣立っていった少女たちが何人もいた。その子たちが見知らぬ土地で男たちにいいように弄ばされているのだと思えば、涙の一つも出るのかと思いきや、眉一つ動かさず無表情であった。
それは茫然としていたからではない。男爵、そして伯爵に騙されたという怒り、友達の身を案じる悲しみ、そしてそしてそれらをない交ぜにした上で、自身の手で決着を付けるという決意の表情だった。
本来なら自身が慰み者になったことを公言したい女性などいないだろう。それでもなお、彼女はこれ以上被害に遭う子供を出したくないという一念で、それを満座の前で暴露することにした。
そのことはフランツもリーゼも承知していた。だからこそ辛い顔を見せては却って彼女に対して失礼に当たると、毅然としてその話を聞き入ると、衛兵に男爵を捕らえるよう命じた。
「侯爵家を冤罪にかけようとした罪に、人身売買の嫌疑も加わったか。男爵よ、もう逃げられはしないぞ」
「お、お待ちください! 殿下はユリアーナが傷ついたとき、酷くお怒りだったと聞く。ユリアーナを愛してくださったからでは! ヘンリク侯爵令嬢に対してお怒りだったのではありませんか!」
「お義父様、残念ながら私はリーゼ様にやられたとは一言も申しておりませんし、殿下もリーゼ様のお名前は一言も出しておりません」
「うん。単にユリアーナ嬢が嫌がらせされたことを怒っていただけだ」
「それと、殿下とは仲良くさせてはいただきましたが、男女の仲とか……恐れ多くて何を仰っているのやら」
もし噂通りそれが本当であれば、リーゼ様が黙ってはいないはず。それが何も仰らないのだから噂はあくまで噂ですとユリアーナがしれっと言い放つ。
そして話を向けられたリーゼもまた、「殿下とユリアーナさんの間には何もないと承知してますわ」と、これまたしれっと言ってのければ、他の者が異論を挟む余地は無いだろうという空気が出来上がっていた。
「まったく……くだらぬ噂が巷間まことしやかにささやかれているようだが、断じてそのようなことはあり得ん。噂の出どころは必ず突き止めて、厳しく罰してくれよう」
◆
「くそっ! しくじりおって!」
ハウエヴァ―伯爵は焦っていた。
夜会の場で侯爵家が断罪されるはずだったのに、当の王太子にその気は更々無いどころか、むしろ最初からこちらの企みに気付き、わざと引っかかったフリをされていた。
そしてユリアーナが自身への嘲笑などお構いなしとばかりに男爵の悪事を暴露したことで、伯爵にも捜査の手が及んでくることは間違いない。
なにしろあの養護院は伯爵がパトロンを務めている。院の運営者も伯爵の息のかかった者ばかりなのだから、人身売買や売春のルートを洗い出されれば、真っ先に自分の名前が出てくることになるのだし、少女たちを弄んだ貴族だって自身に近い者ばかりである。
座してあの場に残っていればあの王太子のことだ、既にあたりを付けていて自身も囚われることになるだろうと感じた伯爵は、男爵がオロオロして耳目がそちらに集中している隙に会場を後にして邸に戻ってきたのだ。
「いかん、いかん、早く逃げねば」
隣国なら伝手もある。金目になる物を持てるだけ持って急いで逃げようと伯爵が邸の中を駆け回っていると、突然「うわあーっ!」という叫び声と共に、男が自分目がけて飛んでくるのが見えた。
「なな、なんだぁ!」
慌てて避けた先で床に叩きつけられたのは、養護院の管理者だった。
しかし、どうしてコイツがここに? という疑問を挟む間もなく、男が飛んできた方向から1人の男が姿を現した。
「どこへ行こうってんだ」
「何者だ。私をウィロー・ハウエヴァー伯爵と知っての狼藉か」
「今から逃げたって無駄だぜ。養護院は俺が解放したし、男爵邸も今頃憲兵の手で押さえられただろう。今頃証拠がザクザクと出ている頃かな」
「お前は……たしかあのゴシップ新聞の」
「覚えていたのか。そのとおり、俺の名はサスーク。お前を捕らえに来た」
そう言うと一歩一歩近づいてゆくサスーク。伯爵はひいっと悲鳴にならない悲鳴を上げながら後ずさり、そこら辺にある物を手当たり次第に投げつけるが、筋肉番長のサスークにそんなものが通用するはずもなく、次第に距離が詰まってくる。
「ひいい、嫌だ、嫌だ、嫌だあああ」
サスークの圧に押されて、伯爵の顔にどんどん恐怖の色が浮かぶ。そして相手が身構えたのを見て、自分を襲う気だと思ったのか、叫び声を上げながら逃げ出した。
「待てコラァ〜!」
と、大声を張り上げながらも、サスークは追いかけない。追いかける必要がないのだ。
「待ってたぜハウエヴァー伯爵。さあ、断罪の時間だよ」
何故なら、その先には裏社会で悪魔と恐れられた男が待ち構えているから……
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