疑惑の渦中で夜会は淀む

――夜会当日の午後・侯爵邸


「良くお似合いで」

「褒められている気がしないわ」


 邸の中では侍女の格好に扮して不満げなリーゼを、サイゾがひとしきり褒めちぎっていた。


「いやいや、美人は何を着ても似合う」

「それを言うなら彼女の方が似合っているわ」


 そしてもう1人、侍女服に身を包むのはユリアーナ。彼女たちは今夜の夜会に出席することとなっているが、それを悟られないよう、侯爵夫人のお付きに混じって王城へと向かうのだ。


「そうですね。ドレスよりこちらの方が落ち着きます」

「嫌味で言ったのよ」

「でも事実です。お貴族様のドレスというのはどうにも着慣れません。この服ですら私には十分な仕立てです」

「おや、随分と仲良くなったものですね」


 昨日、ユリアーナを連れてきてから侯爵邸で一晩預かってもらう間、リーゼはその生い立ち、今回の事態に至った経緯などを彼女と色々話をしたようだ。


 その上でリーゼは許した。自身の家を貶めようとした陰謀に加担していた相手であるから、本来なら烈火のごとく怒り狂い、死んだ方がマシだと思えるような屈辱を与えることだって出来ただろうに、彼女は個人的な感情を抜きにして、ユリアーナの人となりを見計らった上でだ。


 そこに同情の心が無かったとは言えない。脅されて仕方なくとはいえ、彼女のやったことは国を乱す奸計である。リーゼが赦免を願い出たところで、もっと位の高い者が断じればどうにもならない。だからこそ、今この時だけは同年代の女性として彼女を遇してあげようと思ったのである。




「……っていうことっすよね?」

「あまり人の心を覗き込むのは感心しませんよ」

「失礼しました。職業病ということでご容赦を」


 自身の心を見透かされたかのように感じたリーゼが窘めるが、サイゾは飄々としてこれに応える。もっとも、そのことを公言するようなことはしないだろうと分かっているので、リーゼもそれ以上怒ることはしなかった。


「それで、あちらに衣装はあるのよね」

「昨夜のうちに手配はしております」


 今日の流れとしては、まず婚約について話があると称し、侯爵夫妻が他の貴族が着く前に城へ入り、侍女として同行した2人がそこで隠し部屋に入って着替えた上で、先にリーゼが王太子と共に夜会の途中から参加する。


 もしそこでハウエヴァー伯爵か男爵、または他の誰でも構わないが、例の一件に言及するような動きがあれば、ユリアーナも遅れて姿を現すという手はずだ。


 昨晩、サイゾはこのために人知れず王城と侯爵邸を行ったり来たりしていた。やり直しの利かない一発勝負の準備であったが、アンツォとシルヴィアはブルート族の長と対峙していたし、サスークは養護院の監視にあたっていたため、他に差配できる者がおらず大忙しであった。


「報酬はイタリー卿にしっかり請求するのよ」

「元よりそのつもりです」

「ならいいわ。さ、参りましょうか」




――同時刻・伯爵邸


「ユリアーナが侯爵邸にいるだと!」

「手の者から知らせが来た。間違いない」


 伯爵、そして男爵にそう伝えるのは、昨晩アンツォに倒されたはずのブルート族の男だった。


「まさか向こうが動いてくれるとはな」

「よし、侯爵邸に乗り込むぞ」

「止めておけ」


 これまではあくまで噂の域でしかなかったが、わざわざ向こうから動いてくれたのは好都合。ユリアーナを侯爵邸内で保護したとあれば、言い訳の利かない証拠になると男爵は鼻息荒いが、男はそう簡単にはいかないぞと否定的だ。


「警備が厳重で、行っても門前で小競り合いになるだけ。邸内も警戒しているようで、暗殺も難しそうだ」

「忌々しい……」

「いや男爵殿、そうでもないぞ。ユリアーナが侯爵邸に居るというのが確かであれば、今宵の会でそれを明らかにすればよい」


 思い通りにいかぬと男爵は面白くないようだが、正面切って突っ込めないのなら裏手から回ればよいと、伯爵が何かを思いついたようでほくそ笑んだ。


「男爵、夜会で殿下に訴えを起こすのだ」

「私がでございますか?」


 伯爵の考えはこうだ。


 夜会の場で男爵が、娘の失踪したこと、そしてその身が侯爵家によって誘拐されたことを王太子に訴える。当然侯爵家はそれを否定するだろうが、ならば家探ししましょうと持ち込み、現場を押さえればよいのだと言う。


「その間に逃げられたら何とします」

「逃げられないように取り囲んで監視するということだな。伯爵殿」

「そういうことだ」


 侯爵邸の中に居るのであれば、外に出られないように閉じ込めればいい。万が一夜会の件が先に知らされてどこかへ移送するようであれば、その現場を押さえればいいということだろう。


「だがわが手の者だけでは数が足りぬ」

「心配いらん。見張るだけなら伯爵家と男爵家の人間を総動員すれば十分足りる」

「では早速手配しましょう。ヒヒヒ……侯爵家も裏をかいたつもりが却って仇になりましたな」

「お主もご苦労であった。後は我らで良きように取り計らうゆえ、そのまま任された地点の監視を頼む」

「左様か。では私は一旦引き上げることとしよう」




 伯爵たちがあれこれとシナリオを練るのを見てから邸を後にした男は、裏路地で誰もいないことを確認するとふうーっと一息ついた。


「やれやれ、これで貸し借り無しだぜ」


 そう呟きながら変装を解いたニエトゥーノは街の人ごみの中に消えていく。


「こっちも本国に戻って忙しくなるからな。後は好きにやれよ、アンツォさん」


 その後、この国で男の姿を見た者はいない……




――同日夜・王城


 煌びやかな明かりで照らされたホールでは楽団による演奏が奏でられ、テーブルには各地から取り寄せた高級食材を使った料理が並ぶ。


 会場内は国内の貴族が一堂に会し、婦人方はみな趣向を凝らした衣装を身にまとい、優雅な社交の時間を過ごしていた。


「フランツ王太子殿下、ヘンリク侯爵令嬢の御成りでございます」


 会の途中、冒頭の挨拶の後に中座していた王太子が自身の婚約者を連れてきたと聞き、多くの貴族がまさかと驚いた。


 何しろリーゼは渦中の令嬢である。確証のない疑惑段階ではあるが、ここ最近は邸に籠っていると聞いており、今日も最初は王太子1人で姿を見せていたから、ここに来た全員がてっきり欠席とばかり思っていたのだ。




「殿下! 訴えたき儀がございます!」


 そんなところへ響いた男の怒号が更に不穏な空気を増す。その声のする方向を見やれば、もう1人の渦中の令嬢を養女に持つ男爵が、王太子フランツに何やら直訴したいことがあるという。


「男爵、夜会の場で訴えとはいかなることか。場を弁えよ」

「いいえ殿下、我が娘が行方知れずと言うのに黙ってはおれません!」

「たしかにそれは親として不安であろうが、みな懸命に捜索にあたっている。気を強く持て」

「いえ、殿下がいかに手を尽くされようとも、娘は見つかりません。何故ならヘンリク侯爵家がその身を監禁しているからであります!」


 行方知れずとなっていた娘が侯爵家で囚われている。その訴えは周囲の耳目を引くには十分で、リーゼの登場でざわついていた会場がその行方を見守るべくシーンと静まり返った。


「男爵、何をもって侯爵家がそのようなことをしたと言えるのだ?」

「そこのリーゼ嬢は我が娘が殿下と懇意にしているのを妬み、数々の嫌がらせを繰り返しました。先日娘が暗殺者に命を狙われたこと、殿下もご存知でしょう」


 命からがら暗殺者の魔の手から逃げ延びたものの、娘は傷付き意識も戻らない。そうなったのこの女のせいなのですと、男爵は涙ながらに訴えかける。


 その様子は鬼気迫るものであり、アンツォあたりが見ていれば、「コイツも意外と役者だな」と呑気なことを考えるくらいには様になっていた。


「待て待て、暗殺者の正体は未だ不明と聞く。まあ世間では……ヘンリク侯爵家が関与してるとかなんとかという風聞が囁かれているようだが」

「風聞ではございませぬ。事実です!」

「リーゼ、心当たりは?」

「いえ全く。あまり親しげになさるのはお控えなさいと苦言は呈しましたが、嫌がらせだの暗殺だのと物騒なお話、男爵殿は何をもってそのような虚言を仰るのか、私には理解いたしかねます」


 問いかけにしらを切るリーゼ。とぼけているわけではなく全くの無実なので、そう答えるしかないのだが、男爵にとってはそう答えるのが想定内だったようで、ニヤリと笑みを漏らすとシナリオ通りに言葉を進めた。


「先程申し上げたとおり、現在娘は侯爵邸にて監禁されております。もし覚えがないと仰せなら、今から捜索させていただきたく、そのご許可を願いたい」

「男爵、己が何を申しているか分かっているのか。そのような嫌疑をかけておいて、間違いでしたでは済まされぬぞ」

「元より承知。我が首をかけて」

「本当に良いのか?」

「二言はございません」


 自信満々な男爵の姿に、フランツは少々吹き出しそうになったが、ここで笑っては締まりがないので気を改めて言葉を発した。


「左様か。しかしおかしいのう、そなたの娘ならこの場に来ておるぞ」

「は……?」

「連れて参れ」


 そう言って王太子が側仕えに指示すると、ホールの奥から1人の少女が姿を現した。


 令嬢らしいドレス。しかしながらその丈は思いのほか短く、足元に痛々しく巻かれた包帯が顕わで、怪我が癒えておらぬのか、片足をやや引きずりながら隣に付く執事サイゾの肩を借りながら進み出てきたその顔を見て、男爵が言葉を失った。


「ごきげんよう、お義父様」


 令嬢なんて性に合わないとボヤいていたのに、中々どうして義父以上に役者じゃないかとサイゾが感心するほどに、凛とした佇まいと相当の覚悟をもって、ユリアーナが仮初の父に向かい礼を取った。

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