第16話 旅立ちの日に向けて

「施しのベリーがいつの間にかあなたのもとに、か」


 宿の客室にて、売上金を数えながら、私はふと呟いた。

 バーナードにスピリットベアの欠片を返してから数日後、タイトルページでの私のベリー売りとしての日々には変化が訪れていた。

 あの夜、彼が呟いた言葉について、私は何度も思い出す。ドラゴンメイドの古い諺は、今の私の状況にも当てはまった。


 グリズリーたちと話し合い、ビヨンを助けた赤いずきんのヒト族と喋るオオカミのコンビを訪ねて、ベリーを買いに来る客が以前よりもだいぶ増えたのだ。人助けが思わぬ結果につながった。

 別に私はそれを計算していたわけではない。一応、一般的な商人並みの打算的な部分はあると自覚しているけれど、この結果は予想外だった。

 決して悪い事じゃない。むしろ助かることだ。おかげで売り上げは想定より上回っているし、目標金額も無事に達成できそうだった。


 予定していた額まで稼いだら、次の町へ。

 目的は勿論、ミルキーウェイへ向かったという兄ブラックの後を追いかけることである。とはいえ、故郷の実家への仕送りも同じくらい大事なので、予め決めてある金額を稼ぐまでは移動することは出来ない。だからこそ、この結果は有難かった。


「まさか、こんな収穫があるなんてね。おかげで思っていたよりも早めにタイトルページを発つことが出来るかもしれないわ」


 予定が早まるのはいいことだ。それだけ、ブラックに追いつける可能性が高まる。追いつけなくてもいい。兄と直接会った人物に出会い、話を聞くことが出来ればそれでいい。だから、今の状況は上々だった。


「お兄さん、まだミルキーウェイにいるかな」


 共に見守ってくれていたブルーがふとそう言った。


「いるって信じたいわね。でも、いなくてもいいの。各地を巡って彼がどうしているのか、それを聞きながら、再び彼の立ち入りそうなところで伝言を預けておく。その繰り返しよ」

「ふん、それに何の意味があるんだよ」


 と、私とブルーの会話に横から茶々を入れてきたのは、同じく客室で自分の事務作業をしていたクランだった。


「もう何年だ? 各地であんたの伝言を聞いているはずなのにさ、あのろくでなしは手紙の一つもよこさない。仕送りもだぜ? 信じられるか、長男のくせに」

「事情があるのよ、きっと。それに、意味はあるわ。帰って来て欲しい、探している、その意思を伝え続けるだけでも意味はあるはずでしょう。少なくとも何も伝えないよりは」

「ふん」


 クランは鼻で笑い、黙り込んでしまった。私もまたため息を吐いてから、作業を続けた。ブルーだけが心配そうに私たちを見つめている。そんな彼の眼差しに申し訳ない気持ちになりながら、私は思い直した。

 いや、クランだって本当に兄を憎んでいるわけではないだろう。だって、かつては私以上にブラックを慕っていたのだから。それだけに失望も大きかったのだろう。


 クランの気持ちは分かる。だって、私も同じだから。

 兄に直接会えたなら、ぶつけたい文句は一つや二つじゃない。いうなれば、彼の代わりに家族を支えている弟妹の一人として言葉で殴りたいから探しているともいえる。


「大丈夫だよ、ラズ。きっとお兄さんに会えるよ」


 ブルーがふと口を開いた。軽く尻尾を振りながら、彼は言う。


「それに、分かり合えるよ。グリズリーとだって分かり合えたんだもの。同じ人間、同じヒト族の……それも血を分けたお兄さんとだったら、きっと分かり合えるよ」

「グリズリーよりも厄介な男だけどな、奴は」


 私が答えるよりも先に、クランがそんな事を呟いた。

 それに対して、否定する気にはなれなかった。


「ありがとう、ブルー。でも、いずれにせよ、旅立ちはもう少し先よ」


 手提げ金庫に売上金をしまい、鍵をしながら私は言った。


「目標金額に達しないうちは油断してはダメ。それが、ベリー売りの基本なの。ブルーも覚えていて。最後に気を抜かなかった者が、ドラゴンメイドの微笑みを受ける。だから、今は兄さんの事は忘れて、明日の商売の事を考えましょう」

「そうなんだね。うん、分かった。ちゃんと覚えておく」


 ブルーはそう言って軽く尻尾を振った。

 親しげな笑みを浮かべる彼の頭を撫でながら、私は明日の準備をさらに進めた。

タイトルページに滞在して二週間ほど。すでに色々あったけれど、旅立つ日までは気が抜けない。

 ベリー売りとしての日常は危険がたくさんある。高価なベリーを狙った盗賊に狙われたり、森林のベリー畑で野獣に襲われたり。これから先も色々起こることもあるだろう。そこに不安を感じないわけではない。

 ベリーは人を幸せにするが、人の目を眩ませる。争いを解決するのも、争いを拗らせるのもベリーなのだ。

 けれど、私は不安よりもずっと期待の方が大きかった。だから、ベリー売りなんてものをやっている。


 ベリー売りの使命は、ベリーの正しい知識と付き合い方を人々に広めることだ。そして、その結果として、多くの人に幸運が訪れることを願っている。

 不安になったり、思い悩んだりして、道に迷ってしまいそうなときは、今回の事を思い出してみよう。この度のグリズリーたちとの思い出もまた、私の心の中のベリーロードの一部となっているはずだ。その道に沿って歩けば、きっと私は道に迷ったりしない。


「ねえ、ラズ」


 ブルーがふと声をかけてきた。


「明日からも頑張ろうね」


 無邪気に笑う彼に、私は静かに肯いた。

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オオカミと赤いずきんのベリー売り ねこじゃ じぇねこ @zenyatta031

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