第3話 クマ族の住民たち

「やあ、ラズさん、クランさん、それにブルー君」


 カウンターの前まで来て、彼は用意された椅子の上にちょこんと座る。もともとクマ族用の椅子なのだが、それでもこの度の客人──絵本作家のバーナードには少しばかり小さいかもしれない。彼はそのくらいの巨熊で、しかしながら私の知る限り、クマ族──いや、多種族も含めて誰よりも穏やかな心を持っているといえる人物だった。


「こんにちは、バーナードさん」


 カウンター越しに私が声をかける横からブルーもひょこっと顔を出した。


「バーナードさん、ご機嫌いかが?」

「とてもいいよ」


 優しく頷いてから、バーナードは言った。


「ただ、ちょっと困ったことがあってね」


 そう言って長いかぎ爪で頭を掻く。


「まあ、お困りごとですか? 私に協力できそうな事でしたら、ぜひご相談ください。ベリーで解決することなら、お手伝いできるかも」

「ありがとう、ラズさん。ベリーで解決するかどうかは分からないけれど……実はね、昨日、ここへ来た時に落とし物をしてしまったみたいなんだ」

「落とし物?」


 ブルーが問いかけ、くんくんと鼻を鳴らす。


「ボクの自慢の鼻で解決できないかな?」

「はは、心強いですね」


 そう言ってバーナードは笑った。だが、その笑みに力がない。よっぽど困っているのだろう。そう思い、私はそっと問いかけた。


「何を落としたんですか?」

「手帳だよ。日記帳ってわけじゃないんだけれど、日々の思ったことや感心したことなどを書き留めていてね。大した価値があるってわけじゃないのだけれど、やっぱり諦めがつかなくてね」

「……手帳ですか」


 使いかけのものならば、盗まれるという可能性も低いかもしれない。いや、しかし、バーナードは人気作品も出している絵本作家だ。もし、ラフスケッチなどが描かれていれば、そこに価値を見出す人もいるかもしれない。

 しかし、盗まれたと判断するにはまだ早い。この町の人たちが善良であると信じるならば、伝えるべきことはあった。


「落とし物でしたら、おそらくここの市場長チーフが預かっているはずです」

「ここの市場長……というと、どちらに?」

「そうですね……ええと」


 タイトルページのベリー市場を仕切る市場長。オズボーンという名前の彼は、常にベリー市場のどこかを巡回している。職員は遠目でも分かるように同じ制服を着ているものだし、巡回ルートは決まっている。

 だが、ベリー売りではない客人だとちゃんと声をかけられるだろうか。バーナードのように控えめな人物だと、諦めて帰ってしまうかも。そう思うと少し心配になってしまった。それに、広大なベリー市場のどこをどう歩いているか、口頭で説明すること自体も難しい。

 困っていると、ふと、後ろから声がかかった。


「……一緒に行ってやれば?」


 クランだ。


「口で説明するよりずっといいだろ? 店は俺がいればいいだろう。あんたの分の商品は見張っといてやるからさ。お客を引き止められそうだったら引き止めとく」

「まあ、珍しい。お客さんの前だからっていい顔しているのかしら」

「そんなんじゃねえし。俺は賢いから合理的な判断ができるだけさ。行ってやりなよ。バーナードさんもその方が安心だろう?」

「……ありがとう、クラン。よろしくね」


 ひとまず素直に礼を言ってから、私は改めてバーナードに向き合った。


「バーナードさん、そういうことなので一緒に行きましょう」


 すると、バーナードは大きな体で肩をすくめた。


「ありがとうございます。すごく助かります」


 そのやり取りのすぐ後ろで、クランはブルーに言った。


「おい、ワンコロ。ちゃんとラズを守れよ。勇ましくきりっとした表情でな」

「うん、分かった!」


 得意げになって胸を張るブルーの姿に思わず笑みがこぼれてしまう。

 ともあれ、そうして私たちは持ち場を離れ、オズボーン市場長を捜してさまよいだした。

 相変わらずベリーを買い求める客の数はすごかったが、いつもと違って周囲の人々が道を譲ってくれるのは気のせいじゃないだろう。

 バーナードがそれだけ有名人であるということでもあるが、それだけじゃない。バーナードを怖がっている人々もそれなりにいるようだった。


 同じクマ族であっても、バーナードほどがっしりとした者はいない。それもそのはず、バーナードはただのクマ族ではなく、人里離れた森で暮らすグリズリーの血を引いているのだ。

 グリズリーたちはクマ族とは違う。服も着ず、二足歩行もしたがらない彼らはケモノであり、その独自の価値観は時に人間たちと衝突してしまう。

 そんな話がいくつも報告されてきたから、いかに見た目が似ていようと人間であるクマ族たちはグリズリーを警戒するし、その血を引いているという噂が漏れてしまっているバーナードのことをどうしても恐れてしまうという人はいる。


 ただ、幸いなことに、この町のベリー市場を取り仕切るオズボーンはバーナードの姿を見ても動じるような人物ではなかった。


「市場長、ちょっといいですか?」


 声をかけると、オズボーンは振り返り、バーナードの姿を見て表情を柔らかなものに変えた。ひと目でベリー売りと客人の違いが分かるからだろう。それだけでなく、どうやら彼はバーナードの作品の読者だったらしい。


「おや、ラズ君、それにブルー君。今日は有名人をお連れのようだね。うちの子たちがあなたの絵本を気に入っているのですよ、バーナード先生」


 朗らかな声掛けに、私はだいぶホッとした。

 照れた様子のバーナードの代わりに、私はオズボーンに言った。


「実は落とし物をしたそうなんです」

「落とし物……それは大変だ。何を落としたのかな?」

「あ、はい、黒い手帳なのですが。昨日、ここへ来た際に落としてしまったみたいで」


 バーナードが恐る恐る言うと、オズボーンは何度か頷いた。


「なるほど、昨日落としたのですね。ならば、心当たりがあります」

「本当ですか?」


 目を輝かせるバーナードに、オズボーンは冷静に告げた。


「まずはご確認を。……ラズ君、ありがとうね。あとはこの私、オズボーンにお任せを。貴重な時間はベリーのために」

「ありがとうございます、ラズさん」


 オズボーンとバーナードは交互にそう言って、そのまま立ち去ってしまった。

 何となくその姿を見送っていると、隣にいたブルーが尻尾をぱたぱたさせながら見上げてきた。


「落とし物、バーナードさんのだといいね」

「そうね」


 無邪気な言葉に頷いてから、私もまた持ち場へと戻っていった。

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