第2話 覚醒

「…………犬?」


 思わず呟いた。


 見れば見るほど不思議な見た目の犬だ。ぴこぴこと僕を見上げながら、小さな耳がかすかに震える。


 ジッと黒曜石のような瞳がこちらを捉え、お互いに沈黙する。


 犬相手に……それも、子犬相手になにを怯えているのかと意識を現実に引き戻し、僕は大きく息を吐いてからダンボールに近付いた。


 普通、人間が近付けば犬は逃げる。にも関わらず、青白い子犬に一切の動揺はない。いまだ視界に僕を入れたまま、今度は尻尾が揺れ動いた。


 ——なんだか可愛いな……。


 思わずそんな感想が内心で浮かんだ。


 自分の制服が雨に濡れることも厭わず、広げた傘をダンボールの上にかざす。


「どうしてお前はこんな所にいるんだ? もしかして、ご主人様に捨てられたのか?」


 僕がそう尋ねると、こちらの言葉などわかっていないはずなのに、


「ワンッ! ワンワンッ!」


 大きな声で犬が吠えた。


 まさか理解した? と思った矢先に、『ありえない』と即座に自分の馬鹿げた考えを切り捨てる。偶然。そう、たまたまだ。


 首を左右に振って、再び口を開く。


「元気だな……。しかし、犬をダンボールに入れて捨てるなんてまた古風な……。飼えないなら最初から拾ったり買ったりするなって話だよな。お前もそう思うだろ?」


 手を伸ばして子犬の頭を撫でてみる。嫌がるかな? と思ったが、子犬は僕の予想を裏切って気持ち良さそうな声を出す。


「くぅ~~ん!」


 まるで甘えるように僕の手に自らの頬をすりすりとこすり付けてきた。


 愛らしい表情と相まって、僕の心臓は萌えた。


 ……子犬って、反則なほど可愛いなおい。


「甘え上手なことで。……そうだな。ここで会ったのもなにかの縁か。幸いにも僕が住むマンションはペット禁止じゃないし、どうせなら一緒に来るか? 一人暮らしだから犬が一匹くらい増えても問題ないぞ」


 なでなで、なでなで。


 自分の手や制服の袖が汚れることも気にならない。そのまま子犬を撫で続けると、やはりこちらの言葉がわかっているかのように、子犬は「わふわふっ! わわんっ!」と不思議な声で反応の示した。


 それがさらに可愛くて困る。


 決心した僕は、ならばと撫でていた手を止めて片腕でワンちゃんを抱えた。子犬だから十分に持ち上げられる。


「家はすぐそこだから少しだけ我慢してくれよ? 落ちたら危ないからな」


「わふっ」


 了解、みたいな返事が返ってくる。くすりと笑ってから、僕は子犬と一緒に歩きだした。


 ずっと変わらぬ平凡だけが広がる人生かと思っていたら、突如として、僕の人生に新たな家族が増えた。


 小さくて、愛らしくて……可愛らしい家族が。




 ▼




 雨の中を突っ切って自宅に到着する。たまたますれ違った人が、ちらりと僕たちのことを見てくるが、そりゃあこんな雨の日に子犬を抱えた学生がいたら珍しいだろう。


 だが、この子は利口だし可愛い。少し見られるくらいなんのストレスにもならなかった。


 扉を開けて自室に入る。


 まずは浴室からタオルを引っ張って、子犬の体に付いた水滴を拭く。


 恵方巻きみたいにタオルでワンちゃんをぐるぐる巻きにすると、暴れず騒がず子犬はされるがまま、どこか楽しそうに「くぅ~ん」と喉を鳴らした。


 取り合えずクソ可愛いので写真を一枚撮ってから自分も制服を脱ぎ、「明日はクリーニングいきだな……」と考えながら洗濯物カゴにぶち込む。


 風邪を引いて体調を崩すと困るので、子犬とともに風呂に入り、お互いにホカホカっと湯気をのぼらせながらソファに腰を下ろした。




「ふう……さっぱりしたな」


「わふっ」


「そうか。お前が風呂嫌いじゃなくてよかったよ。こんな綺麗な毛並み、雨で湿らせておくにはもったいないしな」


「わふわふっ!」


 なぜか自信満々にドヤ顔を浮かべているように見えた。


 可愛いので写真を撮る。


 だが、いつまでもこの子を可愛がってる場合じゃない。僕には早急にやるべきことがあった。


 ペットといえば、なことが。


「さて……と。そろそろお前にも名前を付けてやらないとな」


「わん?」


「名前だよ名前。いつまでもお前とか子犬とか呼ぶのも変だろ? 生き物といえば名前だ。僕にだって犬飼透って名前があるしね。けど……」


 問題なのは、僕にネーミングセンスがないこと。いろいろカッコイイ名前や可愛い名前を脳裏に浮かべてみたが、そんな名前を付けられてこの子が喜ぶかどうか。


 ここは、尖った名前より汎用性が高い名前のほうが僕も呼ぶときに恥ずかしくないし困らない。


 そうなると……無難な名前、か。


「やはり犬といえば…………これしかないな」


 ややキリっとした表情を浮かべて、僕は子犬に自慢の名前を授ける。




「よし! 今日からお前の名前は——ポチだ!」


「わんっ!」




 びしり、と人差し指を突き出してそう宣言すると、僕の動きに合わせて子犬——ことポチが堂々たるポーズをとる。


 ……コイツ、実はこっちの言葉を理解してるんじゃ……と思ったその時。


 それは唐突に僕の脳内に響いた。




『スキル【テイム】を取得しました』

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