❖ ミステリー ❖

大学通りの殺人事件

 大学と駅を繋ぐ寂れた商店街、通称大学通りに位置する喫茶店。

 時代遅れな外観のこの店に、寄り付く学生などいない。駅前まで出れば、お洒落なカフェがあるのだから。

 だが私にとって、その静かさが心地良かった。眩い学園生活など、私の性分には合わない。淡々と講義を受けた後は、こうしてひとり最奥の席に腰を落ち着け、新聞を眺めながらコーヒーを口にする。その時間が、数週間前に思い切ってこの店に入った時からの楽しみとなった。

 いつものブレンドコーヒーに角砂糖を溶かす。そしてカップに手を伸ばしたところで、私はある新聞記事に目を止めた。

 大学裏の雑木林で発見された他殺体。この大学の女学生であるSだが、遺体発見からひと月経った今も、未だ犯人は捕まっていないようだ。

 その後、隣の連載小説に目を移したところで、向かいの席に座る気配がした。――空席の目立つ店内で、わざわざ私と相席を選ぶ理由などあるのだろうか。

 不審に思い、私は顔を上げた。

 そこには、同じ学部の先輩がいた。特に親しい間柄ではない。むしろ、変人で通っている近寄り難い人物だ。

 そんな彼が、私に何の用なのか?

 不審がる私の顔をまじまじと眺め、彼は運ばれてきたコーヒーをテーブルの中央へ移動させる。

 そしてこう言った。

「君は何をしにここに来るのかね?」

 何かと思えば、奇妙な質問だ。私は煩わしさを隠しもせずに答える。

「コーヒーが好きだからですよ」

「ほう。君はコーヒーのどこに魅力を感じるのかね?」

 一体何が言いたいのか。投げやりな調子で、

「香りです。甘く香ばしい香りです」

と、私は新聞を畳んだ。

 すると彼は目を大きく開いて身を乗り出した。

「しかし、味はどうだ? 苦いと感じる人が大多数だろう」

「はぁ」

「だから、砂糖を入れて味を誤魔化す、君のように」

 そう言うと彼は、自分のカップに角砂糖を放り込んだ。

「この行為はつまり、人が感じるコーヒーの『甘い』香りという理想に、味を強制的に近付ける行為だ。……それは、本当にコーヒーを愛する者が行う行為かね?」

 私は次第に苛立ってきた。大袈裟に顔を背けて、壁に掛けられた時計に目を遣る。もう少しゆっくりしたかったのだが、切り上げざるを得ない。

 私は、

「どのようにコーヒーを飲もうが私の勝手でしょう」

と、コーヒーをガブ飲みし、軽く腰を浮かせた。

 その様子をじっと見ながら、彼は呟く。

「だが、君は私に嘘を吐いた」

「何ですか一体!」

 ガチャンと音を立ててカップを置き、私は目の前の男を睨む。

 すると彼はニヤリとした。

「――それは、私が注文したキリマンジャロだ」

「…………」

「君が時計を見た隙に交換した。つまり、君はコーヒーを味わってなどいないのだよ」

 嫌な汗が背筋を伝う。彼はテーブルのふたつのカップを再び交換した。

「君は、コーヒーが好きでこの店に来ている訳ではない。ならば、何をしに来ているのか?」

 鈍く光る目を睨み返しつつ、私は何も言い返せないでいた。そんな私の表情をじっくりと観察しながら、彼はテーブルの端に置いた新聞に手を伸ばす。

「君はアパート暮らしだ。新聞など取っていないだろう。しかし新聞を買える場所は、この近辺には大学構内の売店しかない。そこで急に新聞を買い始めては、否が応にも目立つ。図書館も然り。他の学生の目があるからだ。――だがここには、他の学生は来ない」

「…………」

「コーヒーが好きだと言い訳は付く。コーヒーを飲みながら、店に置いてある新聞を読む行為も不自然ではない。連載小説に興味があるとでも、何とでも理由は付けられる」

 彼は抉るように目を細める。

「そうまでして、君が新聞を見たい理由。それは……」

 そして彼の指は、先程私が見ていた記事を示した。

「――君が起こしたこの事件の、進展を知りたいから」

 私は感情を押し殺した目で彼を見据える。

「……何を証拠に?」

「彼女が死亡したと推定される時期と、君がこの喫茶店に通いだした時期が、一致するんだよ」

 私はしばらく鈍い色の目を見返していた。だが、全く揺るぎのないその光に気圧されて再び椅子に腰を落とし、黒く揺れる液体に視線を逃した。

「君はコーヒーの味を変えるように、彼女に自分の理想を押し付けようとした。それに反発した彼女が、君に別れを告げた事に逆上し、君は……」

 それらの言葉は、私の耳に届くと、無為な雑音として処理された。何も響かない私に諦めたように、彼は立ち上がった。

「最後に、ひとつだけ伝えておこう。私がこの事件を執拗に追った理由を」

 淡々とした声はだが、私の脳内でグワングワンと鐘のように鳴り響く。

「――君の殺したSは、私の妹でね」

 彼はそう言い残し、店を後にした。

 残された私は、ただコーヒーと向き合った。

 そして、全く味に興味のない、甘さで誤魔化し切れない苦く黒い液体を口に流し込む。

 ――今日のそれは、痺れるように苦く、アーモンドの香りがした。

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だいたい二千字くらいの物語 山岸マロニィ @maroney

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