第19話 取れちゃった

「おふぁようございまふ」


 キッチンでベーコンエッグを焼いていると、そんな間抜けな声が聞こえた。


「おはよう、詩織」

「ふぁい」


 詩織は寝ぼけ眼のまま、フラフラと席に着いた。


「相変わらず、朝弱いなぁ」

「……ふぁい」


 やれやれ。

 俺は火を止めると、冷蔵庫から牛乳を出してコップに注ぐ。

 詩織の席にそれを置くと、乱れたネグリジェを直した。


「ほれ、これ飲んで起きるべし」


 ゴシゴシと目を擦った詩織は、両手でコップを掴みながら、


「……お兄ちゃんミルク、いただきまふ」


 詩織さん? 誤解を招く発言は控えてください?

 お兄ちゃん「が用意した」ミルク、ですからね?


「今日はたくふぁん……出ましたね」


 そんなに出ません。コップ一杯も出たら「とある筋」から引っ張りだこだわ。

 俺はため息をつくと、パパッと朝食の用意を済ませ、詩織の正面に座る。

 その頃には、詩織はすっかりと覚醒していて。


「いよいよ、今日ですね」

「あぁ」

「緊張、してます?」

「してないと言えば嘘になるけど」

「?」

「勝たなきゃいけない理由ができたんだ。絶対に優勝するよ」


 昨日の事を思い出す。

 我ながら……随分と出しゃばった真似をしてしまったと思う。

 他人の家族の問題に口を挟むなんて。

 ……ただ、黙って見ている事なんて出来なかったんだ。

 後悔は、ない。


「理由って、何ですか?」

「……秘密」

「む」


 分かりやすく「兄妹間で秘密ですか」と頬を膨らませる詩織。

 芹沢さんの家庭の話だ。許可なく話すのはNGだろう。


「後で話すからさ」

「……約束ですよ」

「俺が約束を破った事があったか?」


 しばらく考え込んだ詩織は、


「数えきれないくらいありましたね」

「ですよねぇ」




 空き教室にやって来ると、すでに相方の姿があった。


「おはよう」俺は言う。

「うん、おはよ」

「昨日は眠れた?」

「それはもう爆睡よ」


 何の根拠もないけど、嘘だな、と思った。

 今日の結果次第で転校しなければいけないんだ。ぐっすり眠れるとは思えない。


「……昨日はありがとね」

「あぁ、うん」

「絶対に勝つわよ」

「そのつもりだよ」


 よし! と立ち上がる芹沢さん。どうやら、やる気はマックスみたいだな。


「早速、ネタの最終確認を……」

「遊びに行きましょう!」

「いや何でぇ!」


 被せ気味にツッコミを入れる俺。若干声裏返っちまったやんけ。


「だって、ネタはもう完璧でしょ」

「まぁ」


 ストリート漫才でバカ程やったからな。

 自分で言っておいてアレだけど、最終確認なんて直前に数回すれば十分だ。


「遊んで、リラックスした状態で勝負に挑んだ方がいいと思わない?」

「……そう、なの?」

「そうよ!」




 黄色い電車に揺られ、ターミナル駅にやって来た。

 ストリート漫才をした場所を通り過ぎると、


「どこに行く?」

「ノープランだったのかよ」

「ま、そうなるわね」


 何故ドヤる。


「定番なのはカラオケとか?」

「却下」

「何でだよ」

「カラオケなんて行って声枯れたらどーするのよ」

「そんな本気で歌うつもりはないんだが」

「とにかく却下よ」


 芹沢さんの意志は固そうだ。俺は次なる案を模索する。


「ボーリングとかは?」

「アンタ、左手で投げるつもり?」

「……そうだった。俺、指動かないじゃん」


 両手で転がせば何とかなりそうだけど、カッコ悪いしやめておこう。


「じゃあ、ゲーセンは?」




 と、いう訳でゲーセンに来ると、芹沢さんは入口付近にあるUFOキャッチャーを見て瞳を輝かせた。


「桜井! アタシ、これやる!」

「どれどれ」


 景品は小さな猫のぬいぐるみだ。

 特別クレーンゲームに詳しい訳ではないが、そこまで難易度が高い物とは思えなかった。


「いんじゃね」

「一回百円だけど、五百円だと六回挑戦できるのね」


 言いながら、芹沢さんは財布を取り出す。


「どっちがいいと思う?」

「クレーンゲームは得意なの?」

「あんまりやった事ないから分かんない」

「とりあえず、百円で様子を見れば?」

「ん、そーする」


 百円を投入し、ゲームスタート。

 この機械は、ボタン1で横、ボタン2で縦操作のシンプルなタイプ。

 案外、一回で取れちゃったりしてな。

 芹沢さんは真剣な面持ちでふたつのボタンを操作し、アームが下降を開始する。


 スカッ


「「あっ」」


 アームは何もない空間をすくい、電子音と共に元の場所に帰還した。


「むむむっ」

「ドンマイ」

「……理解したわ。次は絶対取れる」


 再度百円を供給し、アームを稼働させる。


 スカッ


「にゃあ!」


 スカッ


「何でっ!?」


 スカッ


「お、惜しいッ!」


 ちなみに、全然惜しくない。

 景品に触れこそしたものの、掴めてすらいないのだから。


「もう怒った。本気出す」


 最初から出せよ、とツッコミを入れたくなったが。


「……ふぅ」


 雰囲気が……一変した。

 芹沢さんの目付きは勝負師のように鋭く、ボタンに向かう指はピアニストのように滑らか。

 何の根拠もないけど、これは取るな、と感じた。


「そこーッ!」


 ——スカッ


「いや取れないんかい!」


 しかもかすってすらいないし。

 絶望的にこの手のゲームが下手なやつやん。


「うー」

「もうやめたら?」


 ぬいぐるみの相場なんて知らないけど、見た感じ五百円も出せば買えそうだし。


「……嫌よ。取れるまでやるわ」


 ま、そう言うだろうなぁ、とは思ってました。


「ちょっと両替してくる」

「行ってら」


 芹沢さんは店内を見回すと、両替機を発見してそこに向かう。

 ……さて。

 俺は財布から百円玉を取り出すと、芹沢さんの狙っていた猫ちゃんに狙いを定める。

 繰り返しになるが、俺は別にクレーンゲームマスターって訳じゃない。

 むしろ、ほぼやった事すらないのだが?

 アームはタグの部分を引っ掛けると、そのまま取り出し口の上部まで移動し。


 ボトッ


「……簡単やんけ」


 猫ちゃんを拾い上げると、


「よーし、次こそは絶対に本当に本気を……」

「取れちゃった☆」

「来ちゃった! みたいに言わないでくれるっ!?」

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