身近にいた彼の心情

ピンポーン


今日もまた母を頼りにしてきた人々が、家を訪ねてきたようだ。俺は自分の部屋に引き込もり、静かになることはない下の階へは近付かない。扉を見つめながら、ため息を吐いた。静寂な部屋に響くので、さらに空気を重くするのを助長しているようにも感じるのであった。




俺の母は、勇者パーティに在籍していた魔術師であった。父と結婚し、俺を妊娠したため辞めてしまったのだが、魔術学びに来る者や母に相談をする者などが毎日入れ替わりのように訪れてくる。

家族以外の人が家にいて、順番を待っている間に俺や弟と妹たちの相手をしてくれた。

みんな母のことを慕い、尊敬してくれる人から母のことを聞くのは楽しみであった。だから、俺も初めは母を頼ってくる人々は良かったのだ。

その上、期待に応えて、力になっている母の姿を見ることが出来たから。その時間がとても大好きだったし、誇らしい気持ちだったから。


でも、今では尋ねる人々や、その姿に寒気と嫌悪感を覚えるのであった。そのせいで、周りに冷たくなり、素っ気ない対応になり始めた。それに伴うように母との会話も減っていた。

この家は、朝と夜はできる限り一緒に食べることになっている。俺は自ら話すことをせず、質問に応えるだけだった。母、弟と妹が楽しそうに話すのをBGMに、食事をしている。流し込むよう入れたので苦しくなるが、すぐに立ち上がった。そのままお皿を持ち、台所で水に浸した。母が


「明日はお弁当必要?」

「友達と食堂に行くからいらない」

「そう。お金は足りるかしら?」

「足りるから大丈夫。ありがとう、母さん」


軽く頭を下げて、リビングを出ようとするが、母と目が合う。顔にある隈が前よりも濃くなってたりしているなと思う。目を逸らしながら


「ちゃんと寝ろよ」


呟いた。母は俺をじっと見て


「大丈夫よ」


笑顔で答える姿にまた腹が立ってきて


「そうかよ」


ぶっきらぼうに答えた。母の視線から逃れたくて出た。

扉がバタンと大きな音が出たせいで、母が何を言ったのか分からなかった。

かき消された声はいつものように言葉をかけたのだろう。俺のことを気にかけるからな。

そう思う自分にも腹が立ち、鍵を閉めてベッドに座り込んだ。部屋を出る時から、握りしめていたであろう拳に気がついて、力をゆっくり抜いた。


「ふざけんなよ。いい加減に分かれよ」


誰にも聞かせる気はなかったため、ちゃんと言葉になったのか怪しかった。いつものように部屋へ逃げ込んで、母のことで、そして、自分に対してのイライラが止まらないことにも。

言葉で表現することの出来ない感情が、また膨らんできて頭を搔く。行き場のない感情を飲み込んで、抱えたままベットで横になった。

顔を窓に向けると、空は赤と黒のグラデーションで染まっている。まだこんな時間だったのかと思いながらゆっくり目を瞑る。今日もどうにもならなかったことに、心を締め付けられながら意識が遠のいていくのであった。




パッと目を開けると、外からは薄い光が指し込んでいる。時計を見ると、針はちょうど2時を指している。まだ真夜中のようだ。俺はのどがカラカラとしていたから、台所に向かおうと起き上がる。静寂が廊下を包んでいたが、足音が響き始めた。そろりそろりと足を進めて下へ降りる。母の書斎の方から明かりが漏れていたので、消し忘れかなと思い、電気を消そうと歩み始めた。扉の隙間から机に向かう母が見えた。俺に気づくことはなく、手を迷うことなく動かしている。本や資料らしきものを見るその目は、やる気と使命感に満ち溢れていたが、身体は疲労を纏っているようだった。 手に力を込めて扉を開けた。


「母さん」

「うわあっ」


体を跳ねさせて、動きを止めた母。俺は不貞腐れたような声を出してしまった。母は目を細めながら俺の方を見て、


「あぁ、どうしたの?何かあった?」


首を傾けている。俺はまた同じように


「いい加減寝たら? 明日やればいいだろ」

「でもね〜、困っているらしいし解決したいのよ。もう少しだけやるわ」

「もういい加減にしろよ!」


さえ切るように同じ言葉を繰り返す。ペンを持つ手を掴み、睨みつける。母は固まってしまい、首を傾ける。俺はため息を吐きながら、


「なぁ母さんが偉大で尊敬される人なのは、よく知っている。誰よりもお人好しなのも知っている。でも…でもなっ」


涙が零れ落ちてきて、言葉を紡ぐことができない。母は空いた手を伸ばしてくる。俺はその優しさに甘えてしまいたくなるが、自分を叱咤して振り払う。空中で手は固まり、空気は重たくなっていた。何も言わないまま、時間が止まったような感覚に襲われる。母が立ち上がって、


「…席に座ろっか?」


来賓用のソファを指して座った。俺はチラリと母の机にある本を確認しながら、母の言葉に従い、席に腰を下ろした。

本の内容や、最近の行動から母の状態を確信した。

母が病気になっていることを。先月から来客も増え、机に向かう時間も増えた。それにも関わらず、俺たちの学校でのことを前よりも聞くようになった。

その上、やりたいことはないのかと探るように聞いてくる。そして、3日前にも確信する出来事があったから。母が父と一緒に自身の本や、仕事道具をどうするかという話し合っているのも聞いてしまった。

これはまさに生前整理という言葉が当てはまるのではないか。思考が止まらず、乱雑に顔を拭いながら、


「俺たちに隠してることあるだろ?」


母は目を丸くしたが、すぐに目を細めて


「どうして?」


冷静な声で反応する。だが、俺は母の息子で、母が冷静じゃないことぐらいは知っている。焦っている時は、顔に手を当てるのだから。


「やっぱり隠してるんだな…」

「今日は色々話してくれるのね」


しらばっくれる母にイライラが止まらないが、母の書斎に向かって隠したつもりのノートを取り出して、


「これはどういうことか説明してくれよ」

「……」

「そりゃ言えないよな。お母さんは優しいから、隠すことくらい知ってるよ。だけど、後から知らされる俺たちの気持ちを考えてくれよ。消えない傷を残すことくらい分かるだろ?」


俺はノートを歪めてしまった。

母の顔も歪めてしまったが、俺自身の顔も酷い有様だろう。

母は俺のことを抱きしめて


「ごめんなさいね…」


と呟くのであった。


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