11 狂った錬金術師

『私は首都から派遣された使徒ユースティティアの一人だ』 


『国王の名を以て我々に制裁を加える』


 ファウストはそう言った。


 つまりこの男は国王の権威を借りて私を脅している。大人気ない。


「どうして使徒ユースティティアがこんな辺鄙な都市に……」


 シアンがボソッと独り言を放った。


 市場や繁華街の様子を見る限り、フランドレア自体は全く辺鄙ではないと思うが残念ながら、現在のこの状況ではツッコミを入れる余裕はない。


「ジュースなんとかのお兄さん。大人気ないですよ」

「果汁を搾った飲み物みたいな言い方するな。使徒ユースティティアだ。国王直属の偉いお兄さんだ」


 もし彼が使徒ユースティティアであっても、ここで怯む訳にはいかない。ベアトリーチェをこの様な姿にしたのが彼であるなばやるべき事はひとつだ。


「か弱き子供達よ。早く去りなさい」


 女神像の正面からこちらを見据えていたファウストが口を開く。私達の反応が無い事に対して困惑したのだろうか言葉から先程の威勢は感じられない。

 

「それとも、下らない子供のイタズラで私を困らせる気ですか」


「えぇ。元々、貴方の側にバナナの皮を置いて転ばせようと思っていましたが、やっぱりやめました」


「下らなすぎるだろ」


「しかし、貴方の指示に従わなくてはならない理由が分かりません。私達はその女神像に拘束されているかたに用があります」


 トカゲを乗せた男は鼻で笑った。

 

「言ったでしょう。私は使徒ユースティティアだと。君たちが立ち去る理由はこれで十分な筈です。それとも、少し痛められたいのですか?」


 ファウストが右手を挙げると、部屋の様子が一変した。

 フレスコ画が描かれた地下室の天井がモヤに包まれる。そして、そこに薄らと星座の様な模様が現れた。

 どの様な魔法を使ったのか。まだ、この世界の常識に疎い私には分からない。しかし、一つの事実から彼がこちら側よりはるかに格上の存在だと分かる。


 なぜなら彼は魔法を行使した時に、一切の詠唱をしていない。


「俺がかつて人間に与えた『権力』と『法』が今ではこの様な状態になっているのか。興味深いな」


 しばらく沈黙を保っていたモフモフが呟いた。相変わらず平坦な声だ。感情の起伏は感じられない。


――何が『興味深いな』ですか。危機的状況なのですから貴方も助けて下さいよ。


 詠唱がないので、相手が使用している魔素エレメントは分からない。客室にあった書籍で、シールドを展開する魔法の使い方は載っていたが、魔素エレメントの使い方が多種多様である様に、相手が使用する魔法によって、こちらが展開すべきシールドの種類は異なる。


 ならば奥の手を使うしか無いか。

 シアンの方を見ると、彼はもう既に詠唱を初めているようだ。

 わずかであるが、唇が動いている。

 ならば私も……。


「ゲネシスエーテルエレメンツ。アデイジオ、ゲネシスヒダイルエレメンツ。ディストゥルエレメンツ」 

 

 最初に見えない壁を貼る。そしてその上に複数の魔素エレメントの壁を上乗せする。これで、シールドの強度は上がるはず。

 詠唱が長いせいだろうか。いつもより魔力が多く吸われている様な感覚に襲われる。

 シールドを貼り終えると、ファウストが魔法で精製した天蓋に変化が起きた。

 一つ一つの星の形が、変化し、槍となって地面に向かって降り注ぐ。

 先ほど貼った、シールドがそれを受け止めているらしく、それらは地面に到達する前に雲散した。


 その刹那。周りの空気に変化が起きた。

 何か重い物が体にまとわりついている様な感覚に襲われる。


 呼吸が苦しい。苦しい。苦しい。苦しい。

 息が吸えない。助けて。助けて。


 体がバランスを崩し、転倒する。


「コハクッ!」


 床は大理石。こんな場所に、頭でもぶつければ、タダでは済むまい。

 しかし、私が倒れた際に強い衝撃は無かった。

 ただ暖かい空気の様な物が体を包んだ。


 モフたんとシアンがこちらに駆け寄る。


「ありがとうございます。これは、貴方が……」


 モフたんに触れようとした途端、背後から恐ろしい声。


「あははは。面白い。素晴らしい。実に興味深い」


 どうやら私に近づいてきていたのはモフモフだけでは無いらしい。声の主は分かっているファウストだ。

 女神像からここまでは、かなりの距離があるはず。


 どうやってこの短時間でここまで来た? 


 視界に突然入って来たのは男性の手。

 ファウストがこちらに手を差し伸べている。


「お嬢さん、コハクというのですね。貴方が使用した術式、実に興味深い。我々が目指している理想に叶っている」


「気が触れましか?」


「おやまあ、私は賞賛しているのですよ。貴方に与えられた類まれなる才を」


「お褒めに預かり光栄です。しかし、もう結構。その口を閉じなさい」


 顔を上げると逆光で殆ど表情が読み取れない男の姿があった。

 この風景は病院で裁定神アルシエラの手を取ったあの日の風景によく似ている。


 無論、この男の手は取らない。


「しかし、いくら優れた苗木でも、鉢が無ければ育たない」

「何が言いたいのですか?」

「君は自身の才能を、自身の手で潰している」

「だから貴方の仲間になれとでも言いたいのですか?」

「平たく言えばその通り。貴方の才能は、この国の神秘と高潔を守るために使うべきだ。」


――優れた才能ねえ。

 

 側で、こちらを見守っていたモフモフを肩に乗せる。

 彼の言う『優れた才能』が、『全ての魔素エレメントに適性があること』であるのならば、これを才能と呼ぶのは間違っている。

 正しくは『偶然手に入れた奇跡であり、呪い』だ。

 

「私は裁定神アルシエラから祝福を受けました。その時点からもう他の者の手は取る気はありません」

「私の誘いを断ると? この国の頂点へと立てるチャンスなのに?」


 怪訝そうな顔をする。男に満面の笑みを見せてやる。


「えぇ。福利厚生云々が心配なもので」


 赤毛の男は鼻で笑った。

 そして何かを言おうとしたが、それは叶わなかった。


「あら、フラれちゃったのねえ」


 部屋の入り口から女性の声。


「母さん。どうしてここへ……いや、違う」


 シアン君が叫ぶ。部屋に入ってきたのは、見覚えのある美しい女性。

 フリルがふんだんに使われているマーメイドラインのスカートにくびれが見えるトップズ。そして、シャナさんとは違いオッドアイではない目。

 

 その姿は紛れもないティナの物だった。


「今更登場するのか。二匹目のハムスターめ」

「まあ、ハムスターだなんて。可愛らしい表現ね。私はただ管理者として害虫駆除に来ただけよ」

「害虫とは心外な。死にかけている一人の少女の悲願を叶えてあげただけですよ。現に貴方も今まで私の行動を黙認してきたでしょう? 」


 死にかけている一人の少女? 

 ふと、ベアトリーチェの方を見る。

 痩せ細った彼女の、肌からは一切の血の気を感じられない。

 まるで、命の灯火が消えかけている様だ。

 

 その時だった。少女がうっすらと、目を開けたのは。


「ベアトリーチェ!」

「待ちなさい」


 シアンが女神像に駆け寄ろうとするのをファウストが止めようとする。


「止めてはいけないわ。もういいのよ」


「正気か? もしあの少年が私の作った生命維持装置に手を出したら」


「生命維持装置? 私からしてみればフランドレア中の星木ヴァイダを吸い取る迷惑実験装置だけどねえ。コハクちゃんがここに来たばかりの頃、私はあの少女に話したわ。ファウスト貴方の魂胆と今起きている全てをね。そうしたら彼女は言ったわ。『もういい』って」


「余計な事を」


 ティナがこちらに歩み寄る。

 その、佇まいは優雅かつ厳かだった。


「それと、さっきの話。私は別に黙認なんてしてないのよ。今までなんとか魔素マナのバランスを保てないか町中を覆っている結界の調整をしていただけ。現に私は今ここで私は貴方に罰を下さんとしている」


「ほう。女神様のご登場私も身を引くしかあるまい。しかし、その前に一つ聞かせろ。ここに滞在していたはずである『最初の分身体』は何処にいるか知っているな?」


 女神?

 ティナさんが?

 よく考えればティナは市場でそれらしい事を言っていたような。



「えぇ。知っているわ。でも真実なんて語らないわよ? 私は縫飾神ミネヴァ。いつも、繕って、飾ってばっかりの未熟な女神なのだから」

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