十人目 狐の嫁入り

  日が照っているのに雨が降る天気のことをね、狐の嫁入りと言うの。

 そうそう。今のようなお天気。綺麗ねえ。

 お嬢ちゃん。こういう時はね、雨宿りをして、止むまで待つの。雨の音に紛れて、鈴の音が聞こえるでしょう。そう。あれはお狐様の嫁入り行列の音。

 でもね、お狐様は意地悪じゃないから、しばらくしたら……あら。止んだわね。ほら。止んだでしょう。

 そしてあの空、見て御覧なさい。虹よ。とても綺麗ねえ。

 私達の所に居れば、いつでも見られるわ。見たい?

 そう。じゃあ、また今度、迎えに行くわねえ。


 *

 あれはいつのことだったが、少なくとも小学校に入る前のことであったろうと思う。

 親とはぐれて迷子になって、突然に雨に降られて心細くなったところを老齢の女性に助けてもらったのだ。

 今も妙に覚えているのはあの時見た空の虹がとても美しかったからだ。あれ以来、どんな虹を見ても心が動くことはない。

 それ程までに美しい虹だったのだ。周囲の景色をも巻き込んで、あんなに綺麗に煌めいた景色の美しいことったらなかった。

 両親は子どもの見た夢と信じてくれなかったけれど、私は今もあれを夢とは思っていない。

 結婚して子どもが出来て、子どもがあの頃の私と同じ年になった時、私は、あの日の女性に会ったのだ。

 旅先で突然の雨に降られ、子どもと雨宿り先を探している時だった。日は照っていて足元に影が落ちる程であるのに雨はその影さえも飲み込んで降り注いでいた。

 夫とはぐれ、ただでさえ困っている所のことだった。老齢の女性が目の前に現れ、こっちだよ、と手招きしたのだ。

 私は驚きながらも、子どもの手を引いて女性の後を着いて行った。どこかの店先の軒下に避難した私は、鞄からハンカチを出すと、子どもの顔を拭いた。子どもはくすぐったそうに目を細めた。

 そして、女性にお礼を言った。女性は首を振って、私を見上げて言った。

「あんた、私のこと、覚えているかい?」

 私は目を丸くしながらも頷いた。

 やはり、子どもの時に助けて頂いた女性だった。あの頃と変わりないように見えたが、子どもの記憶だ。かなり年上に見えてしまっていたのだろうか。

「今度、迎えに行くって、言ったでしょう」

 ね、と女性は微笑んだ。

 叩きつける雨の音の中でも鮮明に、ちりん、と鈴の音が聞こえる。

 軽やかで、どこか冷たさを感じる音だった。

「御狐様の音だよ。そら、もうすぐ雨が止むよ。ほうら、止んだ。こちらに来て御覧なさい。そう。そしてあの空を見て御覧なさい。綺麗でしょう? あら。泣く程に嬉しかったの。そう……。ごめんなさいねえ。迎えに行くまでにはもうちょっと、成長しないといけなかったのよ」

「え?」

 女性の言葉に私は目を瞬かせた。女性は嬉しそうに目を細めている。その顔がまるで狐のようだった。


 ちりん。


 鈴の音に振り返る。背後にいた筈の子どもの姿はどこにもなく、女性の姿も消えていた。

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