七人目 猫

 猫は開けた襖を閉めることはありません。もし、自ら開けた襖を閉めたらその猫は化け猫です。


 遠い記憶の、亡くなった叔母が猫を撫でながら楽しそうに言う言葉を私は今も覚えております。他所の家から貰った雄の三毛猫を撫でながら、叔母は怖がる私を見て楽しそうに笑うのです。

 もう、酷い叔母でしょう。この後、怖がる私に追い討ちをかけるように、この猫も化け猫かもね、と囁いたのですから。

 あの後、私は大泣きして、母に抱き上げられました。叔母に呆れながら怒る母の声もどこか楽しそうで、私は機嫌が悪くなりながらもそのまま、寝てしまったのです。

 五歳の頃の、出来事ですよ。

 あんな昔の話をよく、鮮明に覚えていたものだと思います。でも、忘れられないんですよねえ。

 猫にまつわるお話でしたから。

 猫ですか? 猫は猫です。叔母からは絶対に名前をつけないように言われていましたので、これからも猫は猫のままです。

 その猫ですが、印象に残っていることがあります。

 叔母の十三回忌の集まりのことでした。私は叔母が私の為に用意したらしいお酒を飲んでおりました。叔母が好きだったお酒で、私が成人したら飲むのを楽しみにしていたそうです。

 だけど、叔母は私が中学生の時に呆気なく亡くなってしまいました。

 病気でも事故でもない。自殺でもない。叔母がどうして亡くなったのかは未だ、知らされないままです。

 それから葬式続きだったことも、覚えております。近所のおばさんや、仲良くしていたお兄さんに、お爺さん……あの時は、悲しいことだらけでした。

 ああ、すいません。話を戻しますね。

 ……賑やかな声の中に猫の鳴く声が聞こえて。紙を引っ掻くような音に振り返ると、叔母が可愛がっていた猫が襖を開けて入ってきたのです。

 開いた襖をそのままに私の元に歩いて来た猫はなぁう、と鳴くと私の膝にのりました。

 喉を慣らし私の膝の上で寛ぐ猫の顎を撫でてやると目を閉じて気持ち良さそうな顔をするのです。

 お前は変わらないね、と言うと、猫は示しあわせたように目を開けて、なあ、と鳴くのです。

 まるで言葉が分かっているような口振りに私が目を丸くすると、猫は意に介さずと言ったように私の膝の上で再び、寛ぎ始めたのです。

 猫ってそういうところがあるでしょう。

 そこで、妙なことに気づいたのです。

 猫の首です。

 本来、この猫の首に首輪はありません。一度、鈴のついた首輪をプレゼントしたことがありまして、叔母が悲しそうな表情をして、私にごめんね、と謝るのです。

 叔母曰く、猫の耳には鈴の音が爆音なのだそうです。

 歩く度に鈴の音が鳴る。猫の耳には爆音の、鈴の音が耳元で響く――。

 私は鈴の音が常に耳に付きまとう不快感を想像して青ざめました。

 知らなかったとはいえ、ごめんなさい、と首輪を仕舞おうとした私に叔母は貰っても良い? と聞いたのです。

 その首輪は今、叔母の仏壇に飾られている筈でした。

 私は周囲を見回して、猫の首から首輪をそっと、外しました。すると猫は直ぐに立ち上がって、私の顔を見て、なあう、と鳴くのです。

 まるでお礼を言っているかのようでした。

 そして猫はそのまま、開けた襖からそのまま、出ていったのです。

 その時でした。声がして顔をあげると、親戚の一人が声をかけてきたんです。最も苦手な人でした。

 折角だから着けたのに、と酔っ払いながらその人は言ったのです。私は吐き気が込み上げる程の、大きな嫌悪感を覚えました。

 仏壇から勝手に取り、勝手に猫に着けたのか、と。

 一言申したかったんですけど、私は何も言いませんでした。言えば面倒なことになるのは分かっているからです。居るでしょう? そういう人。

 相手も私が何も言わないのを分かっているものですから、勝手なことを言ってくるのです。

 その言葉の醜悪たるや。ぞっとしますよ。

 それでも我慢しながら、はぁ、そうですか、と返すのも面倒になった時、その人は急に黙ったんです。

 私が顔をあげますと、その人は目を恐怖に開いて唇を震わせていました。何を見ているのだろうと思ったのですが、その目の先は私の後ろ、襖を見ているようでした。

 真っ赤な顔はみるみるうちに青ざめ、なにかしら小さな言葉を発すると、その人は私から離れていったのです。

 すると、襖を閉める音がして、私は咄嗟に振り返りました。

 ……開いたままの襖が、閉められているのです。

 私はすぐに大広間を見ました。

 全員、居るにも関わらず、襖は閉まっています。誰が閉めたのか……。

 そこで私は叔母の言葉を、思い出しました。

 だけど、不思議と納得しておりました。叔母が可愛がっていた猫は、もう既に化け猫となっていても可笑しくない年齢でしたから。

 私は襖に視線を移して、小さな声で言ったのです。


 ――ありがとう、と。


 すると、襖の奥から、なあう、と声が聞こえました。ああ、と私は一人納得して、閉まった襖をずっと、眺めておりました。


 ……そういえば、あの後だったんですね。

 何かの集まりだったかは忘れたのですが、その人の話になりました。

 そうです。猫に勝手に首輪をつけたその人です。祖母の話で亡くなったことを知りました。どうでも良かったのですが、死因は不明なのだそうです。ただ、亡くなる前に猫に、ああ、他所の猫です。その猫に引っ掻かれたそうで、破傷風じゃないか、という話でした。

 母は不謹慎だけど、面倒な人だったからせいせいするわ、と言いました。冷たいけれど、私もそうでした。結構、面倒な人でしたから、親戚一同、冷たいけれど安堵したのですよ。

 酷いと思われるでしょうけど、そんなものですよ。

 そしたら、猫の鳴く声がして、振り返ると、襖を開けようとしているところでした。小さく開いた襖から顔を出した猫は私を見ると、満足そうに鳴いたのです。

 その満足そうな顔を見た時に思ったのですが、祟られたのだろうな、と思いました。うちでは何故か、猫を傷つけた人は早死にするんです。

 叔母が亡くなってから、ずっと、です。

 猫ですか?

 今も祖母の家で健やかに生きておりますよ。 

 

 

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