三人目 雛人形

 ――余所様のうちから、雛人形を貰うのだけはおやめなさい。

 いつも優しい祖母が静かながらも厳しい声で怒ったのはあの、一度きりだった。

 祖母の家は昔ながらの名家で地方では名を知らぬ者の居ない程、有名だった。お嬢様であった祖母は様々な品を持っていて、私はそのうちの一つ、雛人形が欲しかった。何故なら祖母の雛人形は珍しいものだったからだ。

 全てが白、なのである。何もかもが、白い色。内裏雛に始まり三人官女、五人囃子、金屏風、緋毛氈、道具、そして髪すらも透き通るように白い。その美しさに私は魅入られた。

 私は祖母に雛人形が欲しいと言った。しかし祖母は、表情を消し、首を振り、厳しく静かな声で言ったのだ。


 ――あなたは、この家の出ではないから差し上げることは出来ません。


 祖母と私は名字が違う。祖母は雛人形はその家でしか受け継がないことを決めており、いくら孫とはいえ名字の違う私にはあげられないとのことだった。

 だけど、私は諦められなかった。それでも祖母は首を頑として振らず、雛人形はとうとうあるお寺に供養した上で処分されたのだった。

 そして祖母はその数日後に息を引き取った。

 その数年後だろうか。祖母が持っていたものと同じお雛様を持っている親戚が居る、と父が嬉々として報告してきた。しかし、母は義母の言うことを守りなさいとたしなめた。

 父は祖母の言うことを聞く意味が分からない、と我を通し、私も雛人形が欲しかったこともあり、母の反対を押しきって貰ってきた。

 それはもう立派なものだった。

 客間に飾った白い雛人形を前に私はご満悦だった。

 父も綺麗な雛人形を前に満足そうに頷いていた。ただ一人、母だけが不安そうな表情で雛人形を眺めていた。

 そこから数日経った時の事だろうか。父が階段から落ちて右足を骨折したのだ。

 次に母が交通事故に巻き込まれた。幸いにも車が傷ついただけで済んだ。

 雛人形が来てから、三日のうちに起きた出来事だった。だけど、父は思うところがあったらしい。

 何故なら、雛人形を貰った家の父親が階段から落ちた後に母親が交通事故に巻き込まれたからだ。どちらも幸いにして何もなかったことを正月の集まりで嬉々として話していたので覚えていたそうだ。

 偶然とは言え、気味が悪いな、と父は苦笑したが、母は笑っていなかった。


「返しましょう。今からでもお義母様の言うことを聞きましょう」


 それでも父は意地をはって首を縦にふらなかった。

 私もだ。だってあんな、綺麗な雛人形を手放したくない。

 そしてその夜のことだった。

 寝苦しさに目を開けると、暗闇に白い顔が浮かんでいた。切れ長の目がぎょろりと動いて私を見る。

 小さな手が私の頬に触れる。

 一瞬、何か起きたか分からなかった。

 白い白粉の小さな口がゆっくりと動く。小さな歯がちらりと見えた。

 そして、開くはずのない目を大きく開いた。

 底知れぬ闇のような目が恐怖に引き攣る私の顔を映す。

 

 ――おまエじャなイ。


 私は無音の叫び声をあげた。喉の奥から声を絞り出しているのに声が出ない。引き攣った息が喉から出るだけだった。

 その後は気絶していたようで、朝方、目を覚ました時には汗でびっしょり濡れていた。

 私はベッドから飛び起きて、慌てて客間を見たが、雛人形は変わらず並んでいるだけだった。

 だが、父も同じ夢を見たようで、祖母の雛人形を供養したお寺に行くことにした。

 そうしなければならないと思ったからだ。

 そして突然の来客にも驚くことなく、お坊さんは私たちの話を聞き、雛人形の写真を見て、顔を歪めた。


「今直ぐにでも持ち主に返すか、供養なさい」


 だが、父は迷いながらも聞いた。


「せめて、祓うことは出来ませんか。娘が気に入っているんです」


 お坊さんは怪訝な顔をしたが、雛人形を手に入れた経緯を聞くや、丁寧に説明してくれた。


「おばあ様は、あなたを守りたかったからこそ、しかるべき対応をなされたのですよ」


 私は意味が分からなかった。だが、お坊さんは優しく言った。


「雛人形は、持ち主の厄を引き受ける、いわば、身代わりなんです。代々の一族を主として、それ以外を認めることはありません。ですから」


 お坊さんは悲しそうに微笑んだ。


「別の人に雛人形をあげると言うことは、厄をあげるということなのです。善意であろうとも、呪いと同じです。祝いは転じて呪いとなる」


 そして、お坊さんはやんわりと続けた。


「特に、この雛人形は余所に受け継いではならない品だと思われます。


 それを聞いて父は青ざめてしまった。

 後に分かったことだが、雛人形を父にあげた親戚は分かっていて、父に譲ったのだそうだ。正月の集まりの度に嫌なことを言われた仕返しだったらしい。

 雛人形は結局、供養した上で処分された。

 そして私は今も、雛人形を見ることが出来ない。

 あの日見たあの目を、聞いたあの声を、思い出してしまうからだ。

 なぜならあの声は、祖母と同じ声をしていたからだ。

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