第33話 ■

 あれは、いつのことだっただろうか。


「フォンねえ~! いるー?」


「んー。いるよー」


 幼き日の汐音は、近所に住む少女に懐いていた。

 彼女の名は、ルフォン・エシレイア。

 ブロンドの髪と青緑のグラデーションの瞳を持つ、どこか変わった海外からの留学生だった。

 どうして出会ったのかは定かではないが、大した理由ではないことは覚えている。

 とにかく色々なことを知っていて、頭の良かった彼女に懐き、彼女の家によく遊びに行っていた。


「お邪魔しまーす!」


「はいはーい。今お茶淹れるから、適当に座ってて~」


 制服姿のルフォンに出迎えらえた汐音は、彼女の後について部屋に向かう。


「あ! お構いなくー!」


「って言いながら、くつろごうとしてるじゃん!?」


 いつも通りのやり取りをしながら、汐音は彼女の部屋に入り、いつも座っている場所に腰掛ける。

 彼女の部屋は、あまり少女らしさを感じない部屋だった。

 研究者のような部屋の中には、大きな本棚と大量の本があり、入りきらない本は床に積まれていた。

 さらに、何かの計算に使ったのか、ぐちゃぐちゃに書きなぐられた紙が床に散乱していた。


「相変わらず、汚いなぁ……」


 普段なら、その辺に置いてある本に手を伸ばし、適当に読み漁るのだが、いくら何でも、この現状は酷すぎると、汐音は少年ながらに思った。

 せめて、床に散らばっている紙ぐらいは片付けようと思い、手を伸ばす。


「……? ブラックボックス理論?」


 散らばった紙をかき集めてまとめているとき、一枚の紙に書かれていたその言葉が、何故か汐音の目に留まった。

 ルフォンは、汐音と一緒にいるときも、机の上のパソコンと本と睨み合いながら、何かを作成していた。

 何をしているのか聞いても教えてくれなかったが、もしかしてこれをずっと勉強しているのだろうか。


「おまたせー……って、どうしたの?」


 そんなことを考えていると、ルフォンがお茶とお茶菓子を持って、部屋に帰ってきた。

 彼女はテーブルの上に持ってきたものを置きながら、床に落ちてる紙を拾っている汐音を不思議そうに見つめていた。


「部屋、汚すぎるから掃除しようかなって」


「あー……それは本当にごめん。ちょっと熱中しちゃってて……」


「それって、これについて?」


 汐音は手に持っていた紙を、彼女に見せた。

 それを見たルフォンは、罰が悪そうに顔を歪めた。


「げ……。下書き、その辺に放り投げてたっけ……?」


「フォンねえ、適当すぎじゃない?」


 どうやら、見られてはいけないものだったらしいが、その割には扱いが適当すぎる。

 自分より年下の子供に、呆れられる気分はどういうものなのだろうか。


「それで、このブラックボックス理論って何なの?」


「んー……。本当は国家機密だし、難しい話だから秘密にしておこうと思ったのに……」


「だから、何やってるのか聞いても教えてくれなかったの?」


 何をしているのか聞いても、一切答えてくれなかった理由がようやく分かった。

 確かに国家機密であれば、どれだけ親しくても口にはできないだろう。


「そういうこと。……まあでも、汐音は良い子だし、教えてもいいかなぁ」


「え……? いいの?」


「うん。だって、汐音は秘密にしてほしいことは、ちゃんと秘密に出来るでしょ?」


「そ、それはそうだけど……」


 そんな簡単に教えるのであれば、最初から教えてくれてもいいのではないか。

 文句を言いたい気持ちもあるが、大事な秘密を教えてくれるぐらい信頼してくれていると考えようと言葉を呑み込んだ。


「そんなに拗ねないでよぉ~!」


「拗ねてないもん!」


 しかし、表情までは隠すことが出来なかった。

 膨らんだ頬を突きながら、彼女は自分の机の上にある紙束を持ってきた。

 それを汐音の前に置き、話を始める。


「人間の頭の中にはね、解明できない未知の領域があるんだって。でも、それがあるってことだけ分かってて、どうやってそれを明らかにすればいいのか誰にも分からない。だから、研究者たちはみんなその方法を研究してるの」


「それが、ブラックボックス……?」


「そう! それを開いた人は、超常の力を手に入れることが出来るとか出来ないとか……」


「どっちなの?」


「んー……一応、色々な文献を見てみた感じだと、過去にもそういう特殊な力を使えた人はいるらしいんだ。でも、その人がブラックボックスを開いたかも分からない。とにかく、分からないことだらけの研究のくせに、無闇矢鱈な研究ばっかりしてるの」


 ルフォンは自分のまとめた論文をめくりながら、ため息をついた。


「まあ、そんなわけで、この天才研究者ルフォンちゃんに声がかかったわけだけど……」


「うわ……自画自賛……」


「何よぅ! 事実なんだからいいでしょ!?」


 彼女の自画自賛に、若干引き気味になる汐音に彼女は講義する。


「それで、天才研究者のフォンねえは、この研究の答え出したの?」


「ん……何か、人に言われると恥ずかしいね、それ……」


 汐音はちょっとした悪戯で、彼女の言ったことを言い返してみたのだが、照れてしまった彼女は、頬を赤らめ、目を逸らした。

 その仕草に、幼き日の汐音は、完全にノックアウトされてしまったのだが、そのことに彼女は気が付かなかった。


「えっと、何の話だっけ?」


「研究の答えが出たのかどうかだよ」


「あ、そうだった! んー……まあ、一応信用に足る仮説は出来たと思う。思うけど……」


「どうしたの?」


「……もしこの仮説が、正しいものだったらって思うと怖いんだよね。本当にこんなもの、公表してもいいのかなって」


「……? フォンねえは、どんな仮説を見つけたの?」


「……うん。多分、ブラックボックスを開けるために必要なことはね──」


 彼女は、少しだけ躊躇いながら、自分が辿り着いた仮説を説明した。

 ルフォンの話を、汐音は信じ切ることが出来なかった。

 自身の仮説を、ルフォンが証明する日は訪れなかった。


 この数日後、汐音の前から、彼女は姿を消した。



 それから、数年後。

 ルフォンとの出会いも交わした言葉も全て記憶の奥底に封じて、日常生活を送っていた汐音はあるニュースを目にした。

 各局報道機関が、ある研究者によってブラックボックスが解明されたと報じる。

 その会見では、見たこともない白衣の男が、証明に至った経緯を説明していた。

 我が物顔で、これは自分の手柄だと説明していた。

 それを、汐音が信じられるはずもない。

 その理由は分からない。

 だが、何度聞いても、胡散臭い、下らない理論だと彼は思った。

 ブラックボックスを開くために、何が必要なのか。

 それを知っていたら、こんな承認欲求を満たすための道具にはできない。

 未知の領域が門を開くとき、その人の日常は終幕を迎える。


「──バカばっかり」


 憐れな愚者の姿をこれ以上見ていたくない。

 汐音は、静かにテレビを切り、ベッドに倒れ込んだ。


「……バカ」


 その言葉は誰に向けた言葉なのか。

 汐音は、理解を拒み、眠りについた。

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