第18話 小瓶一つ

「──それで、ここからはどうする予定なの?」


「んー……そうだなぁ。こうなった時のために、色々と用意してたんだけど、荷物は全部瓦礫の下敷きになっちゃったし……」


 宿の店主が気遣いで用意してくれた服に着替えるイリス。

 背後から聞こえる衣擦れの音が、シオンの理性を壊しそうになるが、どうにか気を逸らしながら話を続ける。


「唯一持ってたのは、これだけかぁ……」


「? 何か持ってたの?」


「そっか、シオンに見せてなかったっけ。これだよ」


 彼女の後ろから、白く細い腕が伸ばされる。

 その手の先には、小瓶が握られていた。

 小瓶を受け取ったシオンは、それが何か分からず、色々な角度から見てみる。


「これ、炎?」


 瓶の中には、薄っすらと炎のような揺らめきがあった。


「そうだよ。正確には、精霊瓶って言って、火の精霊術が込められてるの」


 着替え終わったイリスは、水を飲みながら、シオンの隣に腰を下ろした。


「それを使うと、精霊術が使えない人でも術が使えるようになるの。まあ、使い捨てでお値段もお高めだけど」


 イリスの苦虫を嚙み潰したような表情に、貨幣価値の分からないシオンにも高価なものであることが伝わってきた。

 王家の人間であるイリスが嫌そうな顔をする値段とはいくらなのだろうか。

 気になるところではあるが、今はそれよりもこの瓶自体についてが気になった。


「どうやって使うの?」


「普通の精霊術を使うのと同じ……って、それが分からないんだもんね。細かい精霊術の説明はまた今度するとして、火の精霊瓶は瓶を砕いて、“フラム”って唱えると使用できるんだよ」


「へぇ……。結構、簡単なんだね」


「でしょ?」


感心するシオンの様子を見ながら、イリスは穏やかに笑って立ち上がる。


「それ、シオンにあげる」


「え? いいの……?」


「いいよ。シオン、自分の身を守るもの、何も持ってないでしょ? いつ、どこでこの前みたいな戦いになるか分からないし」


 イリスは、シオンの服から少しだけはみ出した、左肩に巻かれた包帯を見て呟いた。

 葬具を使う戦いになれば、シオンを守ることは保証できない。

 一歩間違えれば、イリス自身が彼女を害しかねない。

 だから、自衛の手段は少しでも多い方がいい。


「ありがとう、イリス……!」


 だが、精霊瓶を受け取ったシオンの想いは、イリスの思っていたものとは少しだけ違った。

 彼女が、防衛手段のために精霊瓶を渡してくれたことは理解していた。

 ただそれ以上に、シオンは自分も戦う手段を手に入れたことが嬉しかった。

 少しでも戦う力があれば、イリスが困っているときに力になれる。

 本当は、こんなもの一つでは戦うことなんてできないと分かっていても、それでも嬉しかった。


「それじゃ、目的地に向けて急ごう……って、言いたいところだけど、まずは荷物を回収しにいかないと」


「宿代も払えないもんね……」


「店主さんに事情話してから行こっか」


「了解っ!」


 葬具を手にしたイリスと精霊瓶をポケットにしまったシオンは、部屋を後にする。



「……おかしい」


 廊下を歩き、受付にやってきた二人は、周囲を見渡し、違和感を覚える。


「お客さんがいないだけならまだしも、宿の人が誰もいないなんて……この世界だと普通だったりする?」


「私の少ない経験が根拠でいいなら、そんなことはないって断言できるよ」


「だったら、この状況って……」


 あまりにも不自然な状況。

 間違いなく人為的に作り出された状況であることは、シオンにもすぐに理解できた。

 ではそれを行ったのは誰なのか。

 この街で、自分たちだけを──イリスを孤立させる理由がある人物。


「一応想定はしてたけど、いくら何でも早すぎる……!」


 シオンよりもその犯人に気が付いていたイリスは、青ざめた表情を浮かべていた。


「……シオン。今から私が、外に飛び出して様子を見てくる。」


 そして、何かを覚悟した彼女は葬具を抜き放ち、宿のドアの前に立った。


「その間に、シオンは裏口から出て、街の外に逃げて」


「囮になるつもり……!?」


「そんなことしないよ。ただ様子を見てくるだけ。……ただ、もし騎士団がこの街に来てるなら──十分以内に片付けて、シオンに追いつく」


「イリス……」


「大丈夫。せっかくシオンと約束したばっかりなのに、自分の命を犠牲にしたりなんてしないから。絶対に。約束する」


 振り向いたイリスの表情は、真剣で、そこに嘘はなかった。

 そして、その真剣な表情の奥に、恐怖を隠していることがシオンには分かってしまった。


「……分かった。約束、だからね?」


 それでも、彼女の覚悟を理解したシオンは、イリスの作戦を受け入れることにした。

 自分には彼女を引き留める力も、守る力もないのだから。


「うん……!」


 イリスは笑顔を浮かべ、深呼吸をする。


「──行ってきます。また後で!」


 そして、彼女はその言葉と共に、ドアを開け放ち、外に飛び出した。

 その背中を、シオンはまたしても見送ることしかできなかった。

 彼女の苦しみを知った今でも、シオンに何もできないことは変わらなかった。

 イリスの夢も笑顔も願いも、全部守りたい。

 絶対に壊れさせたりなんてしない。

 どんなことになっても、どこに行っても絶対に助ける。

 そんな大口を叩いておいて、実際にはイリスの助けられてばかりの自分が悔しくて仕方がなかった。


「……やっぱり、このまま守られてばっかりなんて嫌だ! オレがイリスを守るんだ……!」


 シオンは、ポケットの中の精霊瓶を握りしめる。

 こんな小瓶一つでどうにか出来る問題ではないことは分かっている。

 それでも、ここで逃げ出すことを、シオンは選べなかった。

 彼女の後を追って、ドアに手をかけたその時。


「──君、バカなの? そんな小瓶一つで、戦場に行くなんて」


 シオンの耳に、聞き覚えのある、呆れた声が響いた。


「は? え……!?」


 驚いたシオンが振り向くと、そこには暗赤色の髪をなびかせる少女が立っていた。

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