第3話 出会いは血だまりの中で

 森の中は、陽の光が木々に妨げられているせいで薄暗く、生物の気配を感じない静寂に包まれていた。

 恐らく、森に住む生物たちは、爆発か爆発前後の何かしらが原因で、森から逃げ出したのだろう。

 シオンが先ほど見た動物の群れの大群は、その一部だったのかもしれない。

 そんなことを考えながら、彼女は、血と煙の臭いが濃い方向へと進んでいく。


 「うおっ!?」


 ゆっくりと警戒しながら進んでいたシオンは、足元の何かに躓き、転倒してしまう。


 「いてて……何だよもう……」


 打った脚を押さえながら、足元を見たシオン。


 「え……? これって、鎧……?」


 そこにあったのは、中世の騎士を彷彿とさせる鎧だった。

 だが、その鎧は、何かに切り裂かれた後のように、胴体が引き裂かれていた。

 そして、そこから赤黒い液体が零れ出ていた。


 「……」


 シオンは、唐突に現れた足元の死体を前に、言葉が出てこなかった。

 無言のまま立ち上がり、何も見ていないと自分に言い聞かせながら先に進もうとする。

 しかし、そんな現実逃避は許さないとでもいうかのように、彼女の進もうとする方向には、いくつもの死体が転がっていた。


 「うぐっ……うぉぇえ……」


 そんな凄惨な光景を前に、シオンは崩れ落ち、胃の内容物を吐き出した。

 森に入る前に、こういうことがあるかもしれないというのは覚悟していたつもりだった。

 だが、どれだけ覚悟したところで、生ぬるい現実の中で生きてきた少女の覚悟だ。

 どれだけ覚悟を謳おうと、所詮口先だけの覚悟でしかない。

 シオンは、目の前の地獄から目を逸らしながら、よろめきながら、死体で飾り付けられた道を歩いていく。

 足を踏み出すほどに死体が増えていく悍ましい光景。


 「──っ!」


 震えながら進んだ先、シオンの視界が急に開かれる。

 森の中の暗さに慣れ切った視界は、急な眩しさに耐え切れず、目を開けることが出来なかった。

 しばらくして、眩しさにも慣れたシオンの目がゆっくりと開かれる。


 「──」


 彼女は、自分の目に映る光景に言葉を失っていた。

 太陽の光に照らされた、台風の目のように開けた場所。

 先ほど以上に死体が転がり、血の海が出来上がっていた。

 しかし、そんな光景が目に入らないほどに、信じられない光景がそこにはあった。

 赤い血の海の中心。

 太陽の光に照らされた舞台の中心に、彼女は立っていた。

 銀色の六翼を携え、白銀の槍を手にする少女。

 その姿は、救われた者には天使に、敵対する者には無慈悲な悪魔にも見える不思議なものだった。


 「──はぁ。もう、いい加減にしてよ……」


 少女は疲れたようにため息をつきながら、一瞬で間合いを詰め、シオンに白銀の槍を突きつけてきた。


 「え! あ、ちょっ!?」


 突然の事態に対応しきれなかったシオンは、体勢を崩し、その場にしりもちをつく。

 地面に触れた手には、生々しい液体の感触。

 脳裏によぎる数々の死体。

 このままでは、彼女の持つ白い槍に貫かれて殺されてしまう。


 「こ、殺さないで……!」


 死の恐怖に怯えたシオンは、頭を抱え、その場に丸まってしまう。


 「……ほえ?」


 その情けないシオンの姿に、少女は槍を下ろし、困惑した表情を浮かべる。


 「えーっと……あなた、王国の追手じゃないの?」


 「お、王国……?」


 「そ、そもそも、人間種(ヒューマノ)よね……?」


 「……?」


 少女が訪ねてくる単語は、シオンには理解できなかった。

 しかし、彼女にはその質問だけで、シオンが異端であることが伝わったらしい。


 「……あなた、どこから来たの? それにその見たことない服はどこの国のものなの……?」


 「……東京」


 「とう、きょう……? そんな都市あったかしら……」


 シオンの答えに、少女は黙って考え込んだ。


 「──っ!」


 だが、彼女は何かに気が付いたように顔を上げる。


 「もう次の追手……!?」


 シオンには何も分からないが、彼女にだけ分かる何かがあったらしい。


 「これ以上、ここで迎撃するのは現実的じゃないわよね……。……よし!」


 彼女は武器を格納し、この場から立ち去ろうとしていた。


 「あ……」


 シオンは、そんな彼女を呼び止めようとした。

 せっかく出会ったのだから、この世界のことについて、一つでも多く情報を得たかった。

 しかし、彼女はどうやら切羽詰まった状況に陥っているらしい。

 恐らく追手に捕まれば困ったことになるのであろう彼女を、自分勝手な理由で呼び止めるのは気が引けた。

 だから、シオンは、伸ばしかけた手を戻し、黙って彼女を見送ろうとした。

 だが、伸ばしかけた手を戻しきる前に、少女がその手を掴んだ。


 「何ぼーっとしてるの? あなたも一緒に行くんだよ? ……困ってるんでしょ?」


 「あ……え、でも、オレがいたら邪魔に……」


 「じゃあ、置いていっちゃうけど……いいの?」


 「い、行く! 一緒に行きます! 行かせてください……!」


 意地の悪い笑みを浮かべながら、手を離そうとする彼女の手を、シオンが掴み直す。


 「ふふっ。よろしい! じゃあ、急いで森を抜けるよ!」


 少女はシオンの返事に微笑み、彼女の手を引き走り出した。


 「あ、そうだ」


 そして、暗い森を走りながら、何かを思い出したように、彼女は振り返る。


 「どうしたの?」


 「うん。大したことじゃないんだけどね。そういえば、あなたの名前、まだ聞いてなかったなって」


 彼女からの質問に、確かに自分の名前を告げていなかったし、彼女の名前も聞いていなかったなと思う。

 同時に、今の自分は何と名乗ればよいのだろうかと考えてしまう。

 自分は未だに、橘華汐音という少年なのだろうか。

 住んでいた世界から遠く離れ、性別まで変わってしまった。

 おまけに、帰る方法も、本当に帰ることが出来るのかも不明。

 日本という国家では、生死不明のまま行方が分からなくなって、7年経過すると死亡扱いになる。

 それまでに帰ることが出来る確証などあるわけもなかった。

 それはつまり、橘華汐音という少年は死んだ、ということに等しいのではないだろうか。

 だからといって、どう名乗ればいいのかも分からない。


 「……オレは」


 考え込んだ末、彼女の出した答え。

 それは──。


 「──オレは、シオン。ただのシオン。君は?」


 橘華汐音としてではなく、シオンという一人の少女として、新しく生きていくことだった。


 「……うん。私は、イリス・ラスティア。……訳あって、私も今は、あなたと同じ、ただのイリスよ」


 自分の名前を告げるイリスの表情は、よく見えなかったが、きっと明るい表情ではないことだけは、声のトーンですぐに分かった。

 だが、それを深く聞いたところで、自分の状況も分かっていない自分にどうにか出来るわけもない。


 「……そっか。よろしく、イリス」


 今はただ、自分を救ってくれた彼女の名前を、脳裏に、魂に刻み込むだけに留めた。

 そして、シオンは立ち止まり、イリスに向けて手を差し出した。


 「うん。こちらこそよろしくね、シオン」


 シオンが立ち止まったことに気が付いたイリスもまた立ち止まり、優しい微笑みを浮かべながら、差し出された手を握り返した。


 「って、立ち止まってる場合じゃなかった⁉ 急ぐよ!」


 「あ、ちょ、ちょっと待って!」


 しかし、イリスは自分が急いでここから立ち去ろうとしていることを思い出し、即座に走り出す。

 その後を、シオンは慌てて追いかけていく。

 しばらく走ると、イリスは目的地に到着したらしく、立ち止まって、辺りを警戒していた。


 「はぁ、はぁ……。こ、ここは?」


 追いついたシオンは息を切らしながら、小屋の前で立ち止まるイリスに、何をしているのか問い尋ねる。


 「私の秘密基地……って言うのは冗談で、ここに荷物とか色々隠しておいたの」


 周囲に誰もいないことを確認したイリスは、ゆっくりと小屋の扉を開ける。

 その中には、移動用に使っているのであろう馬と、彼女の荷物が置かれていた。

 彼女は荷物を馬の背に積み込み、馬を繋ぎ止めていた縄を解く。


 「さ、乗って!」


 馬の背に乗り込んだイリスは、シオンに手を差し伸べる。

 その手を握り、シオンも馬の背に乗る。


 「しっかり捕まっててねぇ!」


 「え……? それどういう──」


 イリスの言葉の意味を問おうとした瞬間、彼女の踵が馬の腹に少し触れる。

 次の瞬間、馬は小屋の壁をぶち破り、猛スピードで走り出した。


 「うあぁぁぁぁぁ!!」


 あまりの速度に、シオンは絶叫する。

 その様子を見て、前に座るイリスは、楽しそうに微笑む。

 こうして、シオンとイリスの旅が始まりを告げるのだった。

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