■ 002 ■ 天災ゴリラと愉快な仲間たち

「そんなわけで次の巡礼に発つのは貴方、と会議室クリアで提案、採択されました」

「当事者である私の意向を無視してですか」

「反対するサンクタスがディー以外いませんでしたので」


 【至高の十人デカサンクティ】の纏め役である【神殿テンプル】、カイ・エルメレクの私室に呼び出され、(ツァディに担がれて)向かったそこで駆けつけ一杯(無論お茶だ)の後にそう告げられたラジィは露骨に顔をしかめた。

 どうやらこの組織には子供を働かせたくてたまらない連中がひしめいているらしいと。


「自業自得だアホが、だから口酸っぱくして会議室クリアに来いと言ったんだよ」


 ソファに身を投げ出しヘッと笑っているゴリラの腹にラジィは肘鉄の寸勁をお見舞いするが、ツァディの脇腹はまるで鋼のように易々とラジィの肘を跳ね返す。

 ラジィにとってツァディは幼い頃から幾度となく全力で挑んで未だ全戦全敗の、本当に同じ人類かどうかを本気で疑いたくなるミラクルマッスルゴリラだ。


 なおカイから見れば目の前にいるのはどちらも異様な才に恵まれているウホウホマウンテンゴリラである。


 生まれながらにして魔術を行使できる魔獣とは異なり、人は神に希うことでしか魔術を発動することは能わない。地母神マーターはそんな人を御護り下さる神々の一柱である。

 地母神教マーター・マグナにおいて「才に恵まれている」ということは、即ち地母神マーターに愛されているということ。【至高の聖域サクロ・サンクトゥス】内においてこの二人を認めない者などいるはずもない。好きか嫌いかは、別にしてもだ。


「巡礼の準備をなさい【書庫ビブリオシカ】、ラジィ・エルダート。断るのであれば【至高の十人デカサンクティ】の地位を返上するように」


 【至高の十人デカサンクティ】が地母神マーターに愛された存在なればこそ、彼ら彼女らには民草のために力を振るう義務がある。

 そのもっとも形式的かつ代表的なものが【至高の聖域サクロ・サンクトゥス】を出て五年間を民とともに暮らす、巡礼と呼ばれる修行である。


 地母神教マーター・マグナ地母神マーターの代弁者として民に認められるための、これは欠かすことのできない聖務である。

 【至高の十人デカサンクティ】とて、いや【至高の十人デカサンクティ】だからこそ、これを拒否することは能わない。

 民の為に地母神マーターの力を使わない奴が特権階級として汗水垂らして働くことなくのうのうと禄を食むなど、決して許される話ではないからだ。


「でもなぁ」

「でもなんですか」

「私まだ十三歳だし。そうするとほら、死ぬまでにもう一回巡礼行かなきゃいけない可能性が高いじゃないですか」


 巡礼は【至高の十人デカサンクティ】の特定の誰かに固まることがないよう、時に順序は多少崩れるが十人の持ち回りで行なわれる。

 ラジィが渋っているのはこれが理由で、つまり十三歳という若さで巡礼に行けば寿命を迎える前にもう一回巡礼へ出ることになるからだ。


 怠け根性ここに極まれりである。


「……貴方が真面目に働かないからそうなるのですよジィ。ラジィ・エルダート」

「いやだって私、外に出て働きたくないから強くなっただけですし」


 ラジィ・エルダートは孤児だ。ダート修道教会付属孤児院で育った親無し子だ。そんな子供が教育を受ける手段などそう多くはない。

 そんな子供が働きたくないという願いを叶えるために取れる手段などそう多くはない。


「【書庫ビブリオシカ】の肩書きを得れば書架の本は読み放題だって、そうカイ様言ったじゃないですか。話が違うじゃないですか」


 ひたすら魔術の才を磨いて、他にも基礎教養だと言われてあれやこれや何か色々学ばされて、ようやくこの地位を得たのが一年前の話だ。

 まだ書庫に籠って一年も経ってないのに追い出されるのはラジィからすれば話が違う。そう言いたくなるのは、まぁ分からなくもない。ないが、


「モノには限度があります。貴方、【至高の十人デカサンクティ】になってから一度も書庫から出ずに本読みっぱなしでしょうに。多少の不満は呑み込みなさい」


 実際、ラジィ・エルダートがこうして人前に出てくるのはほぼ一年ぶりである。書庫にいる間は食事も三食は取らず不定期、風呂に入るのも二週間に一度程度。

 白い髪は伸び放題でローブは埃まみれ。伸びた爪は適当に折って終わりだし、唇はガサガサで眼下は落ちくぼみ、贅肉がなくなったせいでお尻には骨盤と床の間で擦れた褥瘡じょくそうまであり、どう見ても病気を疑いたくなるような外見である。

 ツァディと違って埃アレルギーみたいなのもないラジィは元が孤児とあって不潔慣れしてるので、今の見た目もまるで浮浪者のようだ。


「それに巡礼は【至高の十人デカサンクティ】の義務です。あと【御厨コクイナ】、シン・レーシュも先の巡礼は二回目ですよ。貴方が特別苦労しているわけではありません」

「カイ様、私は特別になりたいんです」

「特別に三回行きますか?」

「嫌に決まってるじゃないですか」


 まるで母子の会話だな、と傍らにいるツァディは内心で思った。もっとも思っただけで外には絶対に、欠片も零さなかったが。

 そんなことを言ったら両方から非難と拳が飛んでくることくらいツァディがいくらゴリラでもよく分かっている。女に年齢の話は禁句なのだと。


「いいから働きなさいジィ。貴方がいま生きていられるのは地母神マーターの、いえ地母神教マーター・マグナに寄付して下さる民と貴族と商人のおかげなのですよ」


 【至高の十人デカサンクティ】は徹底した実力主義者集団だ。故に神への信仰こそ第一と考える者の方が少数であり、実質的な教皇位である【神殿テンプル】、カイ・エルメレクもそれは例外ではない。

 世の中生きていくには金が必要なのだ。民に金を落とさせるために【至高の十人デカサンクティ】は善行を成す巡礼に出るのだ。


 言わば地母神教マーター・マグナ最大の広告塔になるのが巡礼である。自ら生産、製造をしない宗教団体は信者から受け取る金がなければ食っていけないのだ。


「お金のために働きなさいジィ。ただ飯ぐらいはこの私が認めません」

「とても地母神教マーター・マグナ最高聖職者のお言葉とは思えない暴言よね」


 そうラジィは最後の抵抗とばかりに頭を振ったが、あくまでそれは最後の抵抗に留まった。

 爛々と輝くカイの目は隣のツァディよりも危険な獣じみていて、これ以上の拒絶は命に関わると警鐘が胸の中で鳴り響いていたからである。


 確かにラジィは【至高の十人デカサンクティ】のナンバー2とはいえ、他のメンバーもまたやはり地母神マーターに愛されたハイパーゴリラであることは事実。

 敵に回した彼ら彼女らに必勝できるという確たる信など、ミラクルゴリラであるラジィとて持ってはいないのである。




      §   §   §




「おかしい、何かがおかしいわよこれ……」


 数日後、菜園の神殿に押し込められ徹底して食事管理をされたラジィは元の愛らしい少女の姿を取り戻していた。

 【至高の十人デカサンクティ】が一柱、【菜園サジェス】テッド・ヨドカフの得意魔術は土地の活性化と地形操作だ。


 そんなテッドの菜園で収穫された野菜を【御厨コクイナ】、シン・レーシュが調理して、ラジィも調理助手として付き合わされて。

 そんなこんなで栄養満点、かつバランスを考慮した食生活を送ったラジィは、みるみる膨れあがっていく己の肉体に軽い恐怖を抱いた。

 骨川筋右衛門があっという間にふっくらとした柔らかさと瑞々しい生気を備えた美少女に早変わりするの、これどう考えても異常というかドーピングだろう。


「おかしいのはその年で私たちを圧倒するゴリッゴリゴリラな貴方だと思いますよ、ジィ」


 穏やかな中年男性である【菜園サジェス】テッド・ヨドカフにそう諭されても、ラジィとしては全く納得がいかない。


「レディに対してゴリラとか、失礼しちゃうわ」

「レディならせめて人前に出られる容姿を維持しましょうね。あと巡礼中も好き嫌いせずちゃんと食べるんですよ。では行ってらっしゃい」


 うぬぅ美少女をゴリラ扱いとか実にケシカラン、とごねるラジィを連れてツァディが次に向かったのは地母神教マーター・マグナが一柱、【武器庫アーマメンタリウム】アレフベート・ギーメルのお膝元である。


「ようやくジィも初陣みずあげか。そらよ、赤飯代りの選別だ」


 アレフベートが投げ渡してきたのは、どうにも大金の匂いをぷんぷん纏ったショートソードが二本だ。


「魔力を遮断する緋紅金ヒヒイロカネ、切れ味と粘りの竜麟、最後の一本はお前がいねえと仕上がんねぇ。少し待ってろ」


 アレフベート・ギーメルの得意魔術は鍛造と加工、平たく言えば鍛冶である。

 普通の貴族家、とくに武辺の家ならこれが一本だけでも家宝になるような品をポイポイ投げ渡されて、流石のラジィもツァディも開いた口がふさがらない。


 更には目の前で聖霊銀の剣がみるみる鍛え上げられていき、お前のだからと何故かラジィまで相槌をやらされて、まあ研ぎはアレフベートがやってくれたが。


「ほれ、これでお前の魔力だけを増幅する聖霊銀剣ミスリルブレードの仕上がりだ。ま、こんだけありゃよほど馬鹿なことしねぇかぎり死にやしねぇだろ」


 三本目の剣を投げつけてきたアレフベートときたらもう二人に用はない、とばかりに背を向けて、


「さて、次は何を打つか……」


 素材の山と睨めっこを始めてしまっている。


「あ、ありがとうございます」


 背中に声をかけてもアレフベートは最早片腕すら上げもしない。

 まるでバナナを前にしたモンキーのようだとラジィは思ったが、口にしない程度の分別はある。頭を下げて武器庫を後にする。

 そんな武器庫の壁際には鎧というか、金属製のゴーレムっぽい何かがズラッと並んでいたような気がしたが気にせず武器庫を後にする。

 君子危うきに猫いらずである。


「とりあえず、五年は持つものにしないとね」


 その次。【納戸ホレオルム】ことラム・メドムに着替えされられたのは一般的な、これまでも着ていた【至高の十人デカサンクティ】用のローブである。だがデザインは同じでもその材質がおかしい。


「布地は精霊銀糸と結晶蜘蛛の糸で編み上げてるし、金羊毛で守護の刺繍をしてあるからワイバーン程度の歯なら余裕で跳ね返すわ。吊糸を切れば折り畳んだ部分が伸びるようにしておくから、背が伸びたら切りなさい」


 【納戸ホレオルム】ラム・メドムの得意魔術は刺繍付加、平たく言えばお針子だ。布製なのに鎧より頑丈な防具を平然と拵えてしまうという、ラジィには理解できない生き物だ。当然、ラムが仕上げる衣服も家宝物である。

 いい加減ラジィも金銭感覚がおかしくなってきて、だから何も言わず素直に着せ替え人形と化すことにした。人は慣れる生き物である。


 仕上げに貴方の手で、と少しだけ御護りの刺繍もやらされ、ラムとの実力差にラジィは泣きたくなった。

 美しい服を自らの手で汚してしまった感覚だが、これでラジィによく馴染むようになったのだとラムは言う。


「じゃ、頑張って地母神教マーター・マグナを喧伝してきてね。私たちの材料費がかかってるんだから」


 なるほど、とラジィは頷いた。どうやら彼ら彼女らの研究素材費もお布施から出ているとあって、だからこうも皆が親切なのだろう。

 翻せばラジィが五年間を雑に過ごして帰ってきた場合、完全武装で栄養満点、オマケに最高の健康状態気力充溢の【至高の十人デカサンクティ】全員に寄ってたかってボコボコにされるということだ。

 流石のラジィもそれは生きた心地がしないというか確実にサンドバッグにされて終わりだろう。ラジィは心底震え上がった。


「よかったな、何だかんだで皆もお前のことを心配してくれてるんだよ」


 そうツァディが感激して鼻声でラジィの髪をわしわしと撫でるが冗談じゃない。

 裏の脅迫を全く察することができていないツァディに、こいつ馬鹿だなとちょっとラジィは呆れた。


 その後一週間の間に【御厨コクイナ】、シン・レーシュがなんか一粒で24時間戦えそうな消費期限五年の保存食を、【温室ハーバ】、ダレット・ヘイバブが霊薬エリクサーを数本、【宝物庫セサウロス】サヌアン・メフィンが睡眠時でも完璧にあらゆる魔術を妨害阻止してくれるアミュレットを、ダメ押しに【神殿テンプル】、カイ・エルメレクがお手製の人工聖霊をそれぞれ準備して――一部作業はラジィも手伝わされたが――くれて、


「【書庫ビブリオシカ】、ラジィ・エルダート様のご出立である!」

「【書庫ビブリオシカ】、ラジィ・エルダート様、巡礼の旅へとご出立!」


 皆の喝采を背にラジィ・エルダートは一人、いや【スタブルム】ザイン・ヘレットから正式に与えられたスフィンクスのフィンの背に乗って【至高の聖域サクロ・サンクトゥス】を出立した。

 なお【道場アリーナ】ツァディ・タブコフがくれたのは熱い思いとその眼差しだけである。ツァディの得意魔術は自己強化なのでそれくらいしかラジィに与えられる物がないのであった。


 幼馴染のくせに別れ際に愛の一つも囁かないとは実に情けない男である。


 まあ、帰ってきたら結婚しようはどう考えても死亡フラグなので、逆にツァディはいいことしたのかもしれないが。

 いや、単純にツァディは幼馴染のラジィに恋愛感情を一切抱いてなかっただけかもしれないが。




      §   §   §




 ラジィが【至高の聖域サクロ・サンクトゥス】を発ってから一ヶ月後。


 シヴェル大陸の各国を数百年の長きにわたって悩ませてきた古死長竜アンデッドエルダードラゴンが突如として消滅したとの噂が大陸中を駆け巡った。

 激戦が繰り広げられたであろうリグレフォティス古戦場はさながら全域が瘴気を放つ毒の沼地と化し、これの浄化には【神殿テンプル】、カイ・エルメレクを筆頭とした地母神教マーター・マグナ上位神官たちが数週間も総出で当たる必要があったほどだ。

 だがその甲斐もあって浄化された土地には死体の一つも転がっておらず、またこれを境に巡礼者、ラジィ・エルダートの足取りはぷつりと途絶えることとなった。


 【至高の十人デカサンクティ】が一柱、【書庫ビブリオシカ】ラジィ・エルダート、巡礼開始一ヶ月にして早くも作戦行動中行方不明MIAである。

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