36話


 僕はあの日から、みなもと顔を合わさなくなった。だけど、そんなことはどうでもよかった。どうせ、アイツの方から謝ってくるはずだ。

 それよりも、何ら変わらない日常を過ごす中で、アテナのいないという事実が僕の首をじわじわと締めてゆく。何も考えずに何かに没頭しても、それが終われば、アテナのことを考えてしまう。僕は彼女がいなくなったことを頭でわかっているのに、断られたことを理解しているのに、感覚が受け入れられない。

 ——きっと、天国は、悲しみも涙もない素敵な場所なはずだ。アテナはそこに旅立てただろうか? 彼女はあの姿のままだろうか? 幸せに過ごせているだろうか? ……僕のことを憶えてくれているだろうか?

 わからない。彼女と会いたいけど、僕は今、現世ここにいる。僕はここで会えないことを嘆くしかできないんだ。


 あの日から一週間たったが、未だに同じことを考えていた。

 部屋の窓から何も変わり映えしない景色を眺めながら、時折アテナのことを考える。そして、そんな考えから逃れるように、用事もないのに、コンビニに買い物に出かけて、ついでに何も考えずに散歩をした。だけど彼女の残像が頭から離れることはない。

 部屋に戻ると、あの日から散らかったままの部屋が僕を迎える。アテナがいるときは、部屋が綺麗だったから、掃除すると、アテナのことを思い出してしまって、辛い思いをしそうだ。だから、片付ける気にもなれず、僕はここで、ぼーっとしている。そうすることで、いろんなことから逃れられる気がするから……。

 扉をノックする音が響いた。

「ちょっとお兄ちゃん? 今日の晩御飯なに? また吉牛とかだったら、カズハもう飽きちゃったんだけど」

「うん……どうしようかな?」

 僕は上の空で答えた。

「どうしようかなって、ちゃんと考えてよ……うわっ」

 一葉は扉を開くなり、僕の部屋をみて驚いた。

「いったい何があったの?」

「うん? 別に何も……」

「絶対何かあったでしょ?」

「幽霊が……幽霊がさ……」

「幽霊? 何言ってんの? 本当に頭がおかしくなっちゃった?」

「幽霊がさ、いなくなったんだ」

「はあ? いなくなったんならいいじゃん」

「それが、結構キツイんだよ……」

 言っていて、何もかもがどうでもよかった。世界の終わりでも来ないかな……。

「もういいや。幽霊、幽霊って、みなもちゃんに電話しなよ」

 一葉は部屋に入り、机の上に置きっぱなしのスマホを僕に渡した。

 見てみると、みなもの着信が、一週間前に何件か入っていただけだった。電話をかけてみると、電源が入っていないと自動音声が流れた。

 ……そういえば、ここ一週間、みなもに会ってないな。ほぼ毎日顔を合わせていたのに。あの日以来、学校でも見てないな。アテナがいなくなって肩の荷が降りたとか言われて、あの時、頭をかち割ってやりたいぐらいにムカついたっけ……。

 あの時、人生ではじめてみなもにムカついた気がした。いや、いつもムカついたりつまらない喧嘩はするけど、あそこまでムカついたのは初めてだ。

(だけど、みなもは、アイツは僕を本当に怒らせるようなことは、絶対にしなかった。それは人生を賭けていい)

 あの時、僕が怒ったのは、たぶん、アテナがいなくなって、もうどうしていいかわからなかったからだ。

 僕はため息をついた。どうして、あんな言い方なんかしたんだろう。あんなのただの八つ当たりじゃないか。

(……みなもは僕が辛い時にいつも助けてくれた。そばにいてくれたよな?)

 ああ。アイツは僕が辛い時はいつもそばにいてくれた。

(みなもはいつも僕のことをわかろうとしてくれたのに、僕はみなものことをわかろうとはしなかったよな?)

 ……そうだな。認めるよ。僕はあいつから、いろんな意味で逃げてばかりだった。

(でも、そんな僕をなんだかんだ言って受け止めてくれたのは、みなもしかいなかった……)

 僕の心が再び締め付けられた。


§


 次の日、学校でみなもの姿を探すが、見つからなかった。職員室で先生に尋ねると、一週間前から休んでいると教えてくれた。

 僕は放課後に、みなもの家に真っ直ぐ向かった。みなもが病気をしているかもしれないと心配になった。

 みなもはこういうとき、いつも連絡をくれるはずなのに……。

(僕が体調を崩した時は、いつも心配してくれたもんな)

 ここ最近はアテナのことしか頭になかった。

(そうそう。アテナのことを1番に考えていたな)

 みなもは2番目だった。アテナに取り憑く前はそんな事すら考えなかった。

(……いや、違うだろ。本当はわかってるんだろう?)

 ……そうだ。僕は今まで、みなもと向き合おうとしなかっただけだ。

(そう、答えを出そうとしなかったんだ)

 昔の自分は答えにこだわっていたくせに……。


 みなもの家に行ってインターホンを押すと、みなもの母が答えた。

「あら、そうちゃん。どうしたの?」

「みなもが電話に出ないから、家に来たんだ」

「ああ、ちょっと待ってね」

 しばらくすると、彼女が家から出てきた。

「そうちゃん、お待たせ。みなもは今、家にいないのよ」

「えっ、そうなの?」

 僕は驚いた。

「一週間前から、東京の大学でやってる、神職養成講習会に参加してるのよ。ちょっと緊急で神職資格がいることになってね。あと2週間ぐらいは家に戻らないんじゃないかしら」

「そうなんだ……」

「あら? みなもから聞いてなかったの?」

 僕は先週の一緒に登校した件を思い出した。そういえばあの時、みなもは僕に話を切り出そうとしていたけど、その話だったんだ。

 みなもの母はニヤリと笑った。

「どうせ、行く前に喧嘩でもしたんでしょ?」

「イヤッ、そういうことは……」

 僕はほんのり躱そうとすると、

「どうせ、そうちゃんのことだから、素直になれなかったんでしょ?」

 図星を突かれた僕は観念して、

「まあ、そんなところだけど」

 認めると、彼女は大笑いした。

「いいわね。アオハルってやつね。私も高校生に戻りたいわ〜」

 彼女は何かを思いついたように、ちょっと待ってと言って、ポケットからスマホとメモを家から持ってきた。

「あの子、おっちょこちょいだから、スマホ忘れて行ったのよ。持っていってあげて。場所はメモに書いてあるから」

 みなもの母は、みなものスマホと居場所のメモを僕に渡した。

「わかった。持っていくよ」

「電車賃は後で渡すから心配しないで」

「ありがとう」

 僕は立ち去ろうとすると、

「そうちゃん、今、悩み事あるでしょ?」

 彼女が引き留めた。

 僕はびっくりして、振り返った。

「みなもにどう謝ろうか考えてるんだけど……」 

 というと、

「違うわ。それもそうだけどみなも以外のこともあるでしょ?」

 言われた僕は観念して、

「……そうだけど」

 と言うと、みなも母は勝ち誇ったように笑った。

「やっぱりそうだと思ったわ。そうちゃんわかりやすんだもの」

 僕はいつも彼女にいろんなことを見抜かれることが多い。みなもにもよく見抜かれるから、やはり親子なのだ。

「だけど、今、話せるようなことじゃないよ」

 アテナの件を一から話すとなると、流石に長い時間が必要だ。

「それが何かは今聞かないわ。だけど、そうちゃんが思い悩んでいることって、本当に大切なことなのよ。それだけは覚えておいて」

「そうなのかな? 僕は今抱えている悩みが大切とはとても思えないけど……」

 むしろ辛いから、はやく忘れたいぐらいだ。

「今はそういうものなのよ。そうちゃんの気持ちがよくわかるわ」

 みなも母は微笑んだ。その表情がみなもにそっくりだ。

「高校の時の思い出や経験や悩みって、楽しかったり、辛かったり、何度も振り返ったり、なかったことにしようとしたりしか考えられないの。ううん、そうとしか捉えられないのよ。まだ、高校生だから当然よ。それに、それはそうちゃんにとってそれは思い出なんかじゃなくって、最近起こった出来事なんだから……でもね、時間が経つに連れて、同じことを振り返れば、それはいつの間にか思い出に変わっているものなのよ。その時、はじめて、人は大人に変わるのよ。あの時、ああだったな、こうだったな……だけど楽しかったなって具合にね」

 彼女は言った。

「つまり、僕が今悩んでいることも、今はまだ辛い出来事だとしか捉えられないけど、大人になれば、いろんな見方ができるようになって、その瞬間に思い出に変わっているってこと?」

「そうよ。やっぱりそうちゃんは賢いね」

 みなも母は優しい顔をした。言葉の意味は理解できるけど、僕の中で実感が湧いてこなかった。大人になってわかったことを、高校生の僕が理解するには、それこそ、僕が大人になって、さまざまな経験をしないと理解できないんじゃないか? だから、彼女の言葉に共感するのは難しかった。

「そんなことないよ。ただ、話をまとめただけだ」

 僕は謙遜するが、みなも母は頭を撫でてきた。

「もう高校生だから、そんなのはいいよ、恥ずかしいから」

 僕は彼女の手を払おうとするが、無理やり頭を撫で回される。

「いいからいいから、頭を撫でられるのは子どものうちだけよ。大人になれば誰も褒めてくれなくなるから」

「大人になれば褒めてくれなくなるって、それはそれで悲しいものだね」

 僕は思ったことを言った。

「だけど、褒められなくなる代わりに認めてくれるようになるわ」

「それもよくわからないよ」

「まあ、今は言ってもわからないでしょうね。もうちょっとだけ先の話だからさ」

 みなも母は言った。

「……ありがとう。話していたら、気持ちが楽になったよ」

「でしょ? あとね、そうちゃんが今悩んでいることは真剣に悩みなさい。解決策がわからなくても考え抜きなさい」

「……うん。そうしてみるよ」

 僕は結局、話の全部を飲み込めなかったが、みなものお母さんが言うことなら、素直に従ってみようと思った。どうしてかというと、彼女はいつも僕の立場にたって考えてくれるからだ。意外にそうしてくれる人は少ない。アドバイスをくれたりする人はもちろんいるし、両親の言葉に耳を傾けることもある。だけど、そのほとんどは僕の立場に立っていないものが多い。

(だけど、それは悪いことじゃない。アドバイスは大抵、自分の経験則を基にしたものだからな)

「じゃあよろしくね。ちゃんと仲直りするのよ」

「うん。そうするよ」 

 僕は彼女に手を振った。

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