傀儡

北海ハル

第1話

「この先、五キロメートル以上道なりです」

 無機質なナビの声が、荒い山道で跳ねるタイヤの音で遮られる。

 車一台が通る隙間も無い、道と呼べるかも怪しい林道をせっせと進む。

 それなりに長いこと乗り続け、もう既に擦り傷や凹みで一杯の愛車に傷が付くことは、もう厭わない。

 男の行動指針はつまり、愛車を優しく愛でることよりも厳しい道を進むことにあった。


 ○


 先週のことである。

 いつものように大学の民俗学研究会で茶をしばきながら滑稽な木彫りの置物を指で転がしていたところ、同じ研究会メンバーの小太り男が声をかけてきた。

「『傀儡村』って知ってるかい?」

 男は小太りに嘲笑で返す。

「知らんし、お前の持ってくる話はだいたい眉唾みたいな話が多いから、信用してない」

「そう言いながらいつもお前は失踪して車に傷を付けて帰ってくるよな。何だかんだ期待しているんだろ」

 ふがふがと鼻息を荒くして、小太りが笑う。

 ち、と舌打ちをしたあと、男は訊き返した。

「詳しく聞かせろ」

「よしきた」

 小太りは手近な丸椅子を引っ張ってきて腰掛ける。高さ調節の機能が完全に死んだ丸椅子は、小太りが座った途端に参ったように低くなった。


 そもそも、男の所属する研究会は、民俗学というよりほぼ心霊スポット、オカルト研究会のような行動を行っていた。

 噂があれば片道どれだけかかろうが駆け付け、何も無ければまたその道を引き返す。要するに野次馬根性のバイタリティが振り切れているのである。

 そんな中、男だけは熱心に、真面目に未踏の民俗学を探究していた。見えないものに気を取られて、どうも見えているものを判断する能力はなかったようだ。

 小太りもまたオカルトの片棒を担いでおり、それでいて怖がりなものだから大体の案件を男に丸投げして研究室で暇を持て余している。どうしてこの研究会にいるのか、問うて答えが帰ってきたことはとうとうなかった。

 そんな話しか出ないものだから、男の学術的探究心はそのままに、しかしながらその努力は実を結ぶことなく着々と肝っ玉に還元されていく。

 ちなみに研究会のメンバーは二人である。三人いた先輩が卒業し、後輩が入る目処も立たないために消滅が確定した。


「例に漏れなく、今回もお前は不参加なんだろ?」

 呆れたように男が聞くと、小太りは「うえっへへ」と変な笑い声を上げた。

「ま、そうだな。名前からして怖いし嫌だな」

 ち、と男は再び舌打ちし、傍らに置いた煙草の箱を手に取り、一本を口に咥えた。

「いいか、先に言っておくが廃村だとか廃寺とか、そういう何の文献も無さそうなところはやめろ。未踏の民俗学とはいえ、まだ人の目にも付かない、それでいて独自の文化を持った……まあ正直かなり難しい条件だけど、そういう案件が欲しい」

 溜息と共に煙草の煙を吐き出す。煙の奥の小太りがにやにやしながら男を見つめた。

「まあそう言われると厳しいけどな……今回のもオカ板情報だから眉唾には変わらないんだ。ただこれまでのモノよりも少し人の息遣いを感じる内容っぽいんだよ」

「具体的に」

「まずは─────」


 ○


「間もなく、目的地周辺です」

 大学から数百キロ車を走らせた。

 北海道、士幌町の更に北部を進み、道路脇の獣道を登った先だった。

 夕刻を回り、森に囲まれ辺りはすっかり真っ暗である。

 とうとう車を進めることすらままならなくなり、男は車を降りて僅かな細道を進んだ。

 小太りの仕入れた情報だと、この辺にあるはずである。

 詳細な位置まで細かく指示されたうえ、さらにその隙間にある道とも呼べぬ道を進む。

 この手の話で具体性が増してくるのは中々珍しい話であり、またホラ話である可能性も若干高くなるものだ。

 小太りはオカルト掲示板から仕入れた情報だと言うが、しかしその書き込みは一体誰が行ったのだろうか。

 この手の書き込みはどう見ても助からないような書き方で締めることが多いために、じゃあ今どうやって書き込んでいるんだ、という突っ込みを入れたくなる。だから信用していなかった。


 がざがざと音を立て、足元の土だけを頼りに枝葉を掻き分け進む。

 信用していない、とは言ったものの、心のどこかで期待する自分がいるのもまた確かである。情報の選別も必要ではあるものの、今は質より量、当たって砕けろを指針として行動するのみであった。

 男は自分の軽率さに溜息をつき、衣服に着いた土緑色の汚れを拭う。─────と、顔を上げた時である。

 眼前には、さっきまで無かったはずである金網が広がっていた。

 赤茶色に錆びた金網は横に伸びており、草木が邪魔をして終わりが見えない。ちょうど男の目の前は、ゲートになっていた。

 ゾンビ等のパニック系映画でお馴染みのゲートには、仰々しい文字が踊っている。

『禁禁禁禁禁禁禁禁禁禁禁禁』

『入ルベカラズ入ルナ入ルナ』

『禁禁禁禁禁禁禁禁禁禁禁禁』

 金網は錆びで酷い反面、その文字が書かれたであろうペンキはさほど汚れ、色褪せが見られない。

 ……?

 地元の不良がアジトにでもしているのだろうか。と、一瞬思案したものの、市街地からは遥かに離れた山奥である。山ガールならぬ山不良など、こんな所にはいないだろう。

 とはいえ、現状小太りの情報筋は確かなようである。男は小太りの言葉を反芻するように思い出した。


「いきなり目の前に錆び錆びの金網が現れる。で、奥に入るためのゲートには『入るな』的な文字が書いてあるんだってよ。そして不気味な話のお約束、携帯電話は────」


 ごそごそと、ポケットをまさぐる。手元に寄せたスマートフォンの電波を確認すると……


 今度は小太りの言葉に合わせるように、男が呟く。

「圏外────か」


 ○


 具体性を持たない不審、不安感は恐怖心の増幅において最も大きな要素だろう。

 懐中電灯を片手にゲートをくぐった男の後ろには、既に人工物などありはしなかった。

 入口が消滅した、と考えるべきだろうか。それとも、元々無かった幻覚を見ていたに過ぎないのだろうか。

 来た道を戻れば車に戻れるのかすらも怪しい。

 元より安牌を打って新たな情報が仕入れられるとも思っていなかったため、男の中の恐怖心はそれほど増すことは無かった。

 再び小太りの言葉を思い返す。

「結論から言うと、その金網をくぐった後は無事に戻ってこられるらしい。だけど、元来た道を辿って帰る頃には数日が経っているって話だった。別に体感時間が遅いとか、そういう話じゃない。くぐった先での出来事を送った上での、真っ当な時間経過みたいだ」

 現実と非現実を行ったり来たりするような書き込みに、男は思わずため息をつく。どう考えても信憑性は無いが、聞いてしまった以上は行かねばなるまいと、男の矜持がそう告げていたのである。


 金網に辿り着くまでの道のりとは裏腹に、くぐった後は土で均された道が続いていた。草木も綺麗に整えられており、裾や袖に汚れが付くこともなかった。


 十数分ほど歩いたところで、茂っていた草木が開けた場所に出た。どうやら少し高いところに位置しているらしく、足下は切り崩れた崖になっていた。


 ────崖下に見えた火灯は、点々と、しかしながらしっかりと人の存在を知らしめる元となった。


「……看板は読まなかったのですか?」

 不意に背後から声をかけられ、男は思わず「うわっ」と叫んで飛び退いた。そしてその先は────崖である。

 僅かな直角から鋭い坂になっていたために、真下に叩き付けられることはなかった。しかし、男の体を転がし、意識を奪うには十分すぎる衝撃であった。


 薄らいでゆく意識の中、男はまたしても小太りの言葉を思い出す。


『いいか、よく聞いておけ。今回は信憑性どうこう以前に重要な話だ』


『……書き込んだヤツは、五体満足では帰ってこられなかったらしい』


 ○


 ぐわりと頭が揺れる感覚と共に、男は覚醒した。

 温かな感触が頭に当たるのを感じ、体を起こすと額から濡れたタオルが落ちた。

 下半身は布団に包まれており、どうやら介抱されたのだと理解した。


「目が覚めましたか」

 穏やかな声色の中に確かな怒気を孕んだ女性の声が背後からかかる。その声は間違いなく、あの時後ろからかけられた声と同じであった。

 男が静かに振り向くと、そこには色白の女性がこちらを睨んで立っていた。

「全く、外部者は警告というものをご存知でないのかしら…?」

「すみません。怖いもの見たさと言いますか、知的好奇心のままに入ってしまいまして」

 言葉を返すと、女性はようやく穏やかな顔つきになった。容姿に見合った、素敵な顔だった。

「ここはあなた方のような現代社会で生きる方には相応しくない場所です。どういった目的で来られたかはわかりかねますが、すぐにご退去いただきたいのです。この集落の者たちは、部外者を変に嫌うところがあるのです」

 女性は諭すように、そしてきっぱりと言い放った。しかし、そこで退いてはここに来た意味がないと、男は食い下がる。


 ─────今までにない未踏の事実と歴史に対面できそうなのだから。


「お気持ちはわかります。しかしながら私も民俗学を研究している身でありますので、こういった未開の地、ましてや禁足地のように外界を拒絶しているような場所、非常に興味があるのです。タダでとは言いません。他言も致しません。一介の俗物が、墓場まで持っていく秘密が増える事にご協力をお願いしたいのですが、それでもだめでしょうか」

 必死だった。男の過去に例を見ぬほどの不気味さ、禁足地のように他者を受け付けない看板、その先で介抱されるなど、願っても叶わぬ状況であったからだ。

 他言しない、死すまで語らぬのも半分は本気であった。それほどまでに現状は、男にとって神秘であったのだ。


 女性が深く溜息を吐き、困ったように眉を下げた。「仕方ないですね…」

 背後の白いカーテンに目をやり、女性は諦めたように言う。

「こちらへ来て下さい。この村の人間と顔を合わせることは許可できかねますが、私の口から説明いたしましょう。…途中で帰ることも許しません。それでよろしいですね?」

 男は強くうなずいた。

「勿論です」





 カーテンをくぐった先には、おおよそ現世のものとは思えぬようなおぞましい光景が広がっていた。


 子供から大人まで、背丈が人そのものの人形が部屋一面に置かれている。

 僅かな光源を持った窓からの日差しが、それらの人形の肌色をまざまざと照らした。

 それよりも気になったのは、いずれの人形も体のパーツがどこか一つ、抜け落ちていることだった。足首だったり、腕だったり、果ては頭の無い人形まであった。

 かつて廃れた人形で埋め尽くされた海外の島の事を思い出したが、それよりも遥かに恐ろしいと感じたのは、その人形たちから僅かな生気が感じられたからだろうか。

 女性はぽつり、ぽつりと語りだす。

「いつからか、日本からは呪術や躁術といったものを一切認めなくなりましたね」

 男の口は開かない。ただ恐ろしさに息を飲み、首を縦に振るだけであった。

「呪術の起源は鎌倉。本州本土でしたが、あちらは陰陽師など呪いや霊を祓う職が盛んになったために、歴史と共に自然と消えていきました」

 言いつつ、女性が子供ほどの大きさの人形を撫でる。途端、撫でられた人形は息を吹き込まれたようにカタカタと動きだした。

「しかし、本州から切り離された沖縄や北海道は、土地そのものが神格化しているために、そういった幽世のエネルギーが未だに息づいているんです」

 人形が微かに喋り出す。

 お、お、おか、かあさ、おかあささんん。


 切り離したはずの恐怖心が知的好奇心を上回る。僅かに足を後ろへ下げるが、目ざとく女性が言い放った。

「途中で帰ることは許さないと言ったはずです」

 女性の眼光が冷たく光る。鋭くこちらを見る眼差しのあまりの恐ろしさに身が固まり、動きたくても動けなくなった。


 ────なぜ。

 民俗学を追っていたはずなのに、神だとか呪いだとか、そんな話になってくるんだ。


 その混乱を解くように、女性は再び穏やかな表情で語り出した。

「十六世紀ごろ、どういうわけか、本州から移り住んだ我々の先祖は呪術師の血を引く者が多かったようです。そこにこの土地における幽世のエネルギーと来たものですから、それはそれは研究が盛んになったようです。そして、江戸が終わりました」


「北海道の開拓時、この土地が目覚ましい発展を遂げたのは、このおかげだったのですよ」


 合点がいった。

 北海道、開拓の折。

 広大な土地を開拓するには、たくさんの人員が必要だったはずである。

 くらくらとした眩暈の中、男は信じ得ぬ事実に驚愕していた。


 「呪術において、既成の人形に息を吹き込むことは制御に問題があるために、呪術師ら自身で人形を造る必要があるのです。当時の私の先祖は時代も時代だったために、それはそれは造るのが上手だったそうなのですが……」

 女性が先ほど産声を上げた人形の右足首があるはずの場所へ触れる。人形が小さな声でぎゃう、ぎゃうと泣いた。


 「どうにも私は造るのが不得意なようで、ご覧のように体のパーツがどこか足りなくなるのです。……話を戻しましょう」

 女性の瞳は男と人形から、今度は窓辺へ移る。その姿はまるで、現況を憂いている用であった。


 「人形に息を吹き込んだだけでは、当然人はそれらを人とは認めませんよね。我々との考え方の相違に、僅かな軋轢が生まれていきました」


「人形とはいえ、生気があれば我々は彼らを人として扱っていました。ですが、何も知らない開拓時代の人間たちは、彼らを奴隷のように扱っていたそうです」


「そして大正時代に入るころ、非道の限りを尽くす連中に対し辟易した先祖は、外界とのつながりを完全に打ち切りました」


「独断で行った決別は、ほぼ開拓の進んだ北海道域の人間にとっては特段困ることも無かったようです。そしてその頃から、この村は蔑称として『傀儡村』と呼ばれるようになりました」


 「今では、科学……?といった文化が先行していると聞きました。私にはよく分からないものですが、きっとこの村の存在を否定するに値するほどに先進的なのでしょうね。だから貴方のような、身の程知らずで、前時代の歴史を知らぬ阿呆がのこのことやってくる」

 はっきりと語気に怒りが混ざる。


 先程まで拙い言葉を喋っていた人形は、既に人と同じような挙動で部屋を駆けまわっている。

 彼らの中にいるのは、一体何なのだろうか。

 目まぐるしく進む説明の中、男の脳内はこの村のことよりも、何よりも何故、民俗学を追究し始めたのかをぐるぐると考えていた。現状からの逃避であったが、女性の声が再び男の思考を現実へ引きずり込んだ。


「…まだ、話の続きがありますが」


「あなたは私と約束を交わしましたね。「途中で帰ることは許さない」と」


「あなたが気絶している間、あなたの記憶をこの地の霊にインプットさせました。大丈夫、あなたのお知り合い方には、今までとなんら変わらない日常にしかなりません」


「さあ、座ってください。これまでのこと、これからのこと。全てお話いたしましょう」


 成人男性ほどの大きさの人形が一つ、その部屋から消えていたことは、男にはもう認識出来なかった。


 ●


 ─────私は愛車を走らせ、山を降り、いつもの大学の研究室で小太りを出迎えた。

 私の急な帰宅に小太りは驚いたようだが、それよりも私の右手首が消え失せていることに愕然としているようであった。

 しきりに「すまん」や「俺が教えなければ」と謝罪をしているが、私にとっても、私だったものにとってもさほど不都合は無い。


 私は、ここにいるのだから。

 私だったものも、きっと幸せだろう。


 私はくつくつと笑った。

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