涙のバレンタイン

 今日は土曜日と言うこともあって、僕は朝からカッピングを繰り返していた。

 

 酸味、フルーティ、紅茶のような味わい、甘さ、苦さ、ワインのような…ってワインは飲んだ事ないから、わからないな。最初の印象と同じだったり、若干変わったり。うーん…


 独り言を言いながら、眉間にシワを寄せる。

「なにがですの?」

「⁉︎」

 この声は…目線を下に落とすと、綺麗に切り揃えられた黒い髪に大きな瞳が見えた。

綾小路鈴華あやのこうじすずかだ。

「表はでしたけど、ちょうど翔吾様のお祖父様もいらっしゃって、入れてくださいましたの。」

 じぃちゃんは窓際の椅子に腰掛け、新聞を読んでいた。

「全然気が付かなかった。」

「集中してたからな。」

 独り言を聞かれたかと思うと恥ずかしかったので、とりあえず笑って誤魔化ごまかした。

「これは、なにをしていらっしゃいますの?」

 綾小路鈴華は並んでるカップを不思議そうに見つめた。

「これはね、カッピングといって豆の味と香りを僕なりに鑑定してるところなんだ。あ、良かったら綾小路さんもやってみる?」

わたくしが、ですか?コーヒーの味もわからないのに、上手く出来るかわかりませんわ。それでもよろしいのかしら。」

「コーヒーでもこんなに味が違うんだって、楽しんで貰えれば大丈夫だよ。」

「そ、それでしたら!」

「じゃあ座って。」


 僕は綾小路鈴華の前にカップを並べ、カッピングスプーンを渡した。

「スープ用のスプーンですの?」

「これはカッピングスプーンと言って、コーヒー専用に出来ているんだ。こうやって、スプーンの半分くらいを目安にすくって…」

 シュッ‼︎

「吸い込む。」

「え、えっとこうやって…」

 ジュビジュビ…

「上手く出来ませんわ。」

 綾小路鈴華は悲しい顔をした。

「大丈夫、最初から上手く出来る人はいないし、吸い込む事に集中しちゃうと味と香りがわからなくなっちゃうから、普通に口をつけて飲んでみて。」

「わかりましたわ!」

 綾小路鈴華は三つ目のカップをすると「味の違いがわかりましたわ!」と満足げに微笑んだ。

「良かった。」

 そういえば、彼女は何故ここにいるのか?と、今更だけど気が付いた。

「ごめんね、すっかり夢中になって付き合せちゃったけど…いつものお持ち帰りのコーヒーを買いに来たんだよね?」

 綾小路鈴華は「あっ。」と思い出したように、鞄から可愛くラッピングされた包みを出した。

「今日、バレンタインですのよ。翔吾様にお渡ししたくて来ましたの。」

 

 バレンタイン!18年間生きてきて一度も縁がなく、そんな日があった事さえ忘れていた。


「ありがとう。僕、はじめて貰ったよ。」

「それは本当ですの?」

「うん、凄く嬉しい。よし、これで頑張ってブラジルに行けそうだよ。」

「ブラジル?」

「うん、就職が決まって。仕事の前に勉強でブラジルに行くんだ。」

「そう…そうでしたの。それで出発はいつですの?」

「まだわからないけど、4月に入社してからかな。」

「寂しくなりますわ。私のお祖父様も翔吾様のコーヒーが好きでしたのに。」

「もっと成長して帰ってくるよ。だから、お祖父様によろしく伝えてね。」

「今日は帰りますわ。ごきげんよう。」

 綾小路鈴華はそのまままっすぐドアに向かって、ドアを開けた。と、同時に白いワイシャツの大きなお腹に激突した。

「し、失礼しますわ。」

 ひとこと残し、そのまま出ていった。

 白いワイシャツの大きなお腹…は牧野さんだった。


「なんだなんだ、きちんと謝りもせず。」

 牧野さんはブツブツ言いながら、ふとなにか思い出したように立ち止まり、じぃちゃんを見た。

「マスター、今のって。」

「あぁ、昨年偶然やってきてね。誰かと同じ席に座って、同じようにワッフルを食べってったよ。誰かにそっくりだ。」

「まさか…。」

「翔吾、牧野さんにコーヒーを頼む。今日は思い切り苦味を効かせてやってくれ。」

 そのまま牧野さんは、窓際のじぃちゃんが座ってる向かいの席に座った。

 僕は、その理由を聞かずにコーヒーを淹れた。

 牧野さんはゆっくりコーヒーに口をつけ、「にがっ!本当に苦いな、これ。」と目を潤ませていた。


 牧野さんが帰ってから、じぃちゃんが教えてくれた。

綾小路鈴華あの子は牧野さんの、別れた娘なんだ。」

 

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