第25話

 岡崎はまだ人がいるであろう方向に向かって、ポリタンクを振る。中からばしゃばしゃと零れる灯油で気が付いたのか、村人が岡崎を止めようと飛びかかるが岡崎はひらりと避けて満遍なく灯油を撒き散らす。

 阿鼻叫喚。その言葉が正しいほどにその場は混乱を極めているが、そこに西園寺が火のついたマッチを放り込んだものだから更に混乱を極めることとなった。

「先輩! 一言声掛けてくださいよ! 火傷するところだったじゃないですか!」

「貴女なら平気でしょう、持ち前の幸運があるのだから」

「それとこれとは話が別です!」

 灯油に火がつき、あっという間に火の回った祭壇を後に、岡崎と西園寺はその場を逃げ出した。後ろでは岡崎達に罵倒を浴びせる声が聞こえるが、そんなものに構っている余裕はない。

 迷わないよう風嵐邸の農具倉庫から地上へ上がれば、風嵐が待っていた。岡崎の手にポリタンクがないのを視認して彼女は笑いを噛み殺した様な様子で口を開いた。

「あの祭壇を燃やしてくるとはね。呆れたもんだ、でもよくやった」

「はい! ありがとうございます!」

「あとはこの村から出るだけですわ。風嵐先生も来られるでしょう?」

「そうだね、もうこの村に用はないしご相伴に預かって一緒に出るとするかね」

「では神凪家へ向かいましょう」

 風嵐に声をかけると、彼女はもう纏めていたらしい荷物を手に二人に続く。ちゃっかりしているというかなんというか。契約で動いているに相応しいその準備に岡崎は少しだけ苦笑が漏れた。

 風嵐邸から神凪家へと向かう道中、祭壇に火が放たれたことが情報として回り出したらしい。岡崎達へ解読不明な言葉と共に殴りかかってくる村人達が複数居た。

 西園寺が蹴り倒して事なきを得たが、これがさらに増えるようでは行く手を阻まれるかもしれない。西園寺一人で片付く内に早く神凪家へと向かった方がいいだろう。

 急ぎ足で神凪家へと向かえば、そこに拡がっていたのはなんとも文明からは遠く離れた混乱だけであった。しきりに家へ向かって石を投げる者と、罵倒を浴びせる者。そして開かれた玄関から家の中へ押し入っている者。混乱に乗じた押し入り強盗かと思ったが、どうやら違うらしい。

 か細い女性の悲鳴の後、家から引きずり出されたのは梶野だった。

「これはまずいですよ」

「仕方ないわね、のしてくるわ」

「アタシも手伝うよ、原稿のストレス発散といこうかね」

 西園寺と風嵐が走って梶野を引きずり出している村人へと近付く。そして西園寺は頭を、風嵐は鳩尾を狙って二人の足と拳が空を切った。

 突然の襲撃に、村人はなすすべもなくそれらを受けることとなりその場に倒れて噎せ込む。その間に梶野を岡崎の方へと推しやり、西園寺は家に群がる人間たちにニーキックを食らわせ始めた。

「梶野さん、大丈夫ですか?」

「は、はい、何もされてません」

「なら良かったですが……少し状況が変わりました。ここから早く抜け出さないと私達全員お陀仏です」

「先輩は何を……」

「祭壇を燃やしてきたんです。そこで止まるかなと思ってたんですが、むしろ火に油を注いでしまったようでして。恐らく手順なんかはちゃめちゃにあの人達はこちらに向かってきますよ。祭壇でなくとも、花嫁と生贄を捧げればいい。きっとそういう思考なんです」

「せ、先輩……」

「大丈夫ですよ、西園寺先輩がいますから。西園寺先輩、ああ見えて新体操とかやってて体柔らかいので蹴りとかすごい高い位置に出来るんですよ」

 岡崎が指差す先で、西園寺が武器を持った男性から武器を蹴り落とし、頭に回し蹴りを入れている。鈍い音がしただけ、軽い脳震盪が起きたかもしれない。その場に倒れ伏した男性には構うことなく、次の男性へと蹴りかかる彼女の姿は勇ましいことこの上ない。

 西園寺の勇姿を見守っていた岡崎と梶野だったが、後ろから刃物を持った村人達が自身達へ近付いていることに気が付いた。梶野は動けずにいるが、岡崎と風嵐が即座に動き武器を奪い取る。

「梶野さんや私達をここで殺そうって魂胆でしょうが、そうはいきませんからね」

「よっ。……詩嶌! 早く車を回せ!」

「詩嶌さん、車今取りに行ってるんですか」

「多分な。アタシ達で何とかなってる間に脱出しないとアタシ諸共アンタ達ここが墓場になるよ」

「それはご勘弁ですねえ」

 下駄を履いた足で鳩尾を蹴った風嵐は、着物の乱れを直しながら周囲を見渡す。動いている車は見当たらず、ぞろぞろと村人達が集まっているのが見える。

 これでは埒が明かない。奪い取った武器で近付いてくる村人を牽制しながら、彼らの武器を狙って攻撃を繰り返していた時だった。ワゴン車が村人達を構わず横付けされた。

「待たせたな!」

「遅いぞ詩嶌! 早くお前達乗れ!」

「あら、白馬の王子様のお迎えかしら? そろそろ蹴りもしんどくなっていたところですのよ」

「先輩早く! 梶野さんも早く乗ってください!」

「は、はい!」

 ワゴン車の扉を乱暴に開け、梶野と西園寺が乗り込む。風嵐が助手席に回り込み、岡崎が最後に乗り込んで扉を閉めたところで荒々しい運転で車は発信した。

 車内でもみくちゃになる梶野達に構わず、詩嶌は村の太い道路を村外へ向かって運転し続ける。詩嶌の車を止めようと軽トラックが何台か後ろに続くが、前に来ないだけ意味を成さない。

 なんとか上半身を起こした岡崎は、村人に混じってすかわて様の眷属が村中に散見されることに気がついた。それらは車の方へ向かって手を振っているのか、ゆらゆらと酷く長い手を揺らしてそこに佇んでいる。

 これが見えているのは岡崎だけではあったが、岡崎をしても不気味だと言わしめるその光景が途切れた時。一度だけ岡崎達にかんからり、という下駄の音が聞こえた。

 それは下駄の音をしていたが、不思議と人の言語として彼女達は理解した。幼い少女の声で一言、安堵したようなそれは聞こえた。


ーーげんきでね、さよなら。

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