第十二話 イスカンダルの燈 後編

 ◇


 蒼天の下。平地と街路樹が続く片田舎の道端で、木陰を笠にボクは自動車オープンカーを整備する。

 視界に垂れてくる薄紫の髪を耳の後ろに掻き上げ、刺々しく銀色のピアスで覆われた耳を露出させた。黒いシャツと半ズボンをラフに纏い、腰に白衣を巻いてエンジンに燈を放射する。「よし、整備終わりっ。ベル、出発の準備出来ましたよー!」

 茂みに背を預けてくつろいでいたベルはボクの声に身体を起こし、身体をほぐしながら車へと近付いてくる。その身体には赤いアロハシャツを着込み、ベージュの短パンと合わせて現代的かつリラックスした出で立ちに落ち着いている。

 彼は助手席に乗り込みながら、世界地図を開いた。ボクはその傍に座り、ベルと一緒に世界の縮図を眺める。

「それにしても、海へ出てみなくてよかったんですか? オケアノスからなら、すぐにでも世界の最果てエルシオンを目指せたのに」

「乃公はまだこの世界の事を何も知らぬからな。海の向こうの景色がどれ程感動的なものなのか、比較対象があった方が楽しいであろう?」

「それもそうですね。それに大陸の中でも、オケアノスの先に負けず劣らずの驚きに出会えると思いますよ。あのイスカンダルでさえ、大陸の全てを見て回った訳ではありませんからね」

「乃公達はゆっくりと世界を見て回るとしよう。景色も、息づく人々も、彼等の愛する味も。その全てが一つの人生では味わいきれぬのであれば、それでいい」

 旅の結末を急ぐ必要は無い。世界を果てへと辿り着いたその先に、ボク達は何も求めてはいないのだ。親友と共に最果てへと続く景色を楽しむ。その過程こそがボク達の求めたものに他ならないのだから。

「先ずは、地底の国:アガルタだな。地底の国と聞けば、冥界を想わずにはいられんが……。どういう国なのだ?」

「アガルタの人々は海へと注ぐ河の先に、冥界があると信じている人々なんです。故に彼等は河の流れる地上を聖域とし、自分達は地下に作った巨大な空間へと住む事を選んだのだといいます」

「バビロニアの民とは真逆の価値観ではないか! 人間とは本当に面白いな。同じ大陸に住んでいるというのに、まるで異なる世界が継ぎ接ぎに結び付いているかのようだ」

「案外お前の言う通りだったりして。全てを説明できる真理なんてものは無くて、誰もがばらばらな法則の中で生きているのかもしれません。……尤もこんな事を学会で唱えた日には、紛糾する事間違いなしでしょうが」

「乃公にしてみれば、八柱もの神が動かす世界をたった一つの完璧な法則が支配していると考える方がよっぽど不思議だがな。……それはそれで浪漫があって乃公好みではあるが」

 ベルはにっと笑い、ボクの顔を覗き込む。

「アルカ。最果てに真理があるのだとしたら、一体何を望む?」

 真理。それはあらゆる事象を実現する事のできる、究極の『答え』。今のボク達には必要のないものだが、それでももし実際に手に入るのだとしたら……。

「もっともっと広い世界を、いつまでもお前と一緒に冒険したいって思うのかもしれません。……これって永遠の命を願う気持ちなんでしょうか?」

「そうかもしれんな。だが否定はせんぞ。願いというのは馬鹿げている方が、叶え甲斐もある」

「ふふっ。何ですかそれ」

 視界の奥に長く続く道へと期待を募らせ、ボク達はシートベルトを締めた。ハンドルを握るボクの横でベルはより細かい地図を広げて楽しんでいる。

「アルカ、この定期市とやらへ行ってみよう。面白いものに出会えるかもしれんぞ!」

「いいですね。ついでに出店で美味しい物でも買って、ブランチにしましょうか」

 燈を注がれて駆動した自動車が、何も無い道を一直線に駆けていく。その先に続く景色はボク達に、これからも無数の驚愕と興奮を与えるだろう。

 遥か昔、人々がまだ生まれ故郷だけを自分の世界に生きていた時代から、ボク達はまだ見ぬ世界への魅力に囚われている。何千何百年。偉大な王が最果てへと辿り着いて尚、その衝動は留まる所を知らない。

 きっとこの世界に芽吹いた命の数だけ、最果てへと続く旅路があるのだ。


 されど未だ真理へは至らず。


 世界の全てを知りたくば、イスカンダルの燈を紡げ。

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燈火のアルスマグナ:黄金の王と鉄学者 鯨鮫工房 @Jinbei_Sha

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