第五話 流れ船の我が家 前編

親方マイスター、この二人は学者さんっすよ。生誕祭について調べてるらしいっす」ハルフィがボク達を紹介してくれる。

「ボクはアルカ。後ろにいるのは用心棒のベルといいます。お会いできて光栄です」

 他ギルドの親方マイスターなんて、滅多に会える存在ではない。少なからず緊張してしまっている。

「随分と可愛らしい旅人じゃな。……後ろの、ベルといったか。そなたはまた大層な名前を持っておるのう」

 シナン達は元はバビロニアの人間だ。大王ベルという名前に込められた、偉大さが分かるのだろう。名付け親としては悪くない気分なのだが、王だと勘付かれるのは好ましくない。

美女ベルですから。シナンさんも、お美しい方ですね」ボクは歯を見せて爽やかに笑う。

 ……ハルフィをお金で買ったのといい、此処に来てからなんだか自分が、キザイアのような女たらしムーブをかましている気がしてならない。気付けば、両手に花どころの騒ぎではなくなっている。

「ん……。そうかの? そんな事を言われたのは初めてじゃ……」

 シナンも、どうして満更でもなさそうなのか。頬に手を当てて恥じらうなー!

「座って待っておれ。あまり長くはないが、話す時間を作ってやる」そう言って彼女は絨毯から立ち上がり、右奥にある台所へと歩いていく。

「よかったっすね、アルカちゃん!」

 ハルフィも手伝いの為かシナンに続き、ボクとベルは二人で絨毯に座って待つ事になった。

「何だかんだで上手くいきましたね……。シナンさんも良い人そうですし」

「……フン。そうだといいがな」ベルは意味深に返す。

 見上げれば、顔には薄っすらと笑みが浮かんでいた。ベルがよくする、何かを見下すような笑みだ。ボクにとっては、あまり好ましいものではない。

 ボクは少しむくれながら俯いて待っていると、シナンとハルフィが台所から戻ってきた。ハルフィの手には、大きな皿に乗ったチョコレートの塊が乗っている。あれはザッハトルテという、法国のケーキ菓子だ。チョコレートを練り込んだバターケーキに杏子のジャムを塗ってから、チョコレートの糖衣フォンダンでコーティングを施したケーキであり、とあるシェフが貴族の為に考案したレシピだという。

「これは儂の好物でな。客人が来た際には、錬成して振る舞う事にしておる」

 シナンは銀のナイフでザッハトルテを切り分け、小さな皿に乗せて渡してくれる。仕上げに生クリームとサクランボを錬成し、添えてくれた。

「はわ……! こんなのご馳走になっちゃっていいんですか……?」

 ホタテ料理の塩分で丁度口が甘味を欲していた所だ。駄目だと言われても、ボクは食べるだろう。

「遠慮はいらぬ。カフェオレも用意してあるぞ」

 ハルフィがカフェオレの注がれたカップを配り終えたのを見計らい、ボクはザッハトルテにフォークを入れる。硬めの生地にざくっとフォークを入れ、先ずは生クリームを付けずに口へ運ぶ。糖衣フォンダンは想像していた程チョコレートの風味が強い訳ではなく、砂糖の甘味がぎゅっと強い。食感もじゃりじゃりしており、チョコレートの滑らかな感じとはまた違う。きつい甘さの所為で一辺倒な味わいかと思いきや、チョコレート風味の濃い生地に挟まれた杏子アプリコットのジャムが、フルーティな甘みで変化を与えてくれる。

「んー! おいち!」

 口休めに啜ったカフェオレは糖分を感じないすっきりとした味わいで、口に残る甘さをリセットしてくれた。

 次いで生クリームを少し削り、ザッハトルテと共にいただいてみる。クリームまで足してしまうと甘味が渋滞してしまいそうな予感がしたのだが、杞憂だった。無糖の生クリームはザッハトルテに余計な味を足さず、パサつきがちな食感に滑らかさと乳製品のアクセントをもたらしている。この為の生クリームだったのか、と納得させてくれるベストマッチだ。まさかここまで本格的なスイーツに巡り合えるとは思いもしなかった。

 そんな余韻に浸っていた最中、不意に前方の静寂を感じて顔を上げれば、シナンとハルフィは呆然とボクの隣を見つめている。

 恐る恐るベルの方を見ると、彼は素手でザッハトルテを掴み、かぶりついていた。

「んな……。何やってんですかお前えええ!」

 叫ぶボクに対し、ベルは鬱陶しそうな視線を向けてくる。

「何だ。パンは手で食うものであろう。……しかし甘いな、これは。身体に悪くないのか?」

「パンじゃない! ケーキです! マリー・アントワネットですかお前は!」

 叱るボクに、ベルはザッハトルテに乗せられていたサクランボを摘まみ上げると、それをボクの口に押し込んでくる。

「うるさい猫だ。それでも食ってろ」

「みーっ! 誰が猫ですか!」

 喧嘩するボク達を見て、ハルフィはしししと笑う。「ほんとに面白い人達っすねぇ。本当は旅芸人じゃないすか?」

「おかしいのはベルだけです。ボクは常識人ですから!」ボクはフォークを置き、シナンに向き直る。「素晴らしい作品をありがとうございました。お時間を取り過ぎない内に、本題へ移らせてもらっても大丈夫ですか?」

「うむ。儂に分かる事であれば答えよう」

 幸い、シナンはベルの奇行に腹を立ててはいなかった。

「感謝します。……不躾な質問ですが、ボク達が生誕祭に参列する方法はあるでしょうか? 投影放送ではなく、現地で聖水の儀式を見てみたいんです」

「聖水の儀式か。あれがネロデルフィ政府からの招待状が無くては参加できない、密儀である事は知っておるか?」

「ええ。ハルフィさんから聞きました。ですから、その招待状を手に入れる方法があるのかを知りたいんです」

「残念じゃが、あれを手に入れられるのはオケアノス政府への高額納税者だけじゃ。……そして、聖地の経済は商会によって掌握されておる。神殿騎士団の支援者パトロンであるメディチ商会にな。政府との取引がある儂ですら、招待状を手に入れる事はできぬ」

 錬金術による職人経済圏の発展により、マケドニア国内の商人達は仕事を失った。そんな彼等を保護したのが、シオン修道会である。

 故に仮想聖地では商人が幅を利かせており、職人達が自由な経済活動を行えない状態になっている。ボラードハウスの職人達が造船業のみに勤しんでいるのも、間違いなくメディチ商会が要因であろう。

「メディチ商会はオケアノスの貿易業を一手に引き受ける、仮想聖地の命綱ライフラインじゃ。シオン本国からの物資・兵員の補給も担っておる関係で政府との結び付きも強い。参列者はまず商会の関係者だけで埋まるじゃろうな。仮に違法な手段で招待状を手に入れたとしても、現地に行けば一目瞭然じゃぞ」

 シナンの言葉を信じる限り、参列するのは難しそうだ。となればやはり、侵入するしかない。尤も、その方法を彼女等に尋ねる訳にはいかないが。

「……ありがとうございます。やっぱり、儀式に参加するなんて無茶でしたね!」ボクはあっけらかんと答えた。最初から冗談半分であった風を装って。

「力になれず済まぬな。儂等も一介の職人に過ぎぬが故、修道会や商会に強く出る訳にもいかぬのじゃ」

「いえいえ、そもそもボク達なんて通りすがりの旅人ですから。こうして話すお時間を作っていただけただけでも、充分過ぎるぐらいです。ありがとうございました」これ以上長居しても無駄だと判断し、ボクは席を立つ。

 その時、ボクは気付いた。入口に、祖人種アダマイトの職人達が待ち構えている事に。

「……悪いが、接待はここまでじゃ」

 目の前で、シナンが立ち上がる。その全身からはイスカンダルの燈が立ち上り、完全に臨戦態勢に入っていた。

「え……? これは一体どういう……」

「そなた達には此処で捕まってもらう。……儂等の計画の為にな」

 その様子を見て、ベルは鼻で笑ってみせる。「フン、どうせこんな事だろうと思ったわ。焦りが殺気になって漏れておったぞ」

 余裕の態度で口を開いたベルの顔面に、シナンの鍛え抜かれた肉体が駆動して鋭い蹴りを叩き込んだ。

 蹴りを打ち込まれた身体は微動だにせず、逆に奇襲をしかけた側のシナンが顔を歪めて足を引く。座ったままのベルは変わらず余裕の表情を浮かべ、にっと歯を剥いた

「中々の蹴りだ。この世界に来て初めてまともな痛みを感じたぞ」ベルは立ち上がりながら、まるで説得力の無い賛辞を述べる。

 肉体からは僅かな燈すらも昇っておらず、純粋な肉体の強度のみでシナンの蹴りを受け止めたのだ。蹴りを貰ったのがボクであれば、間違いなく頸を折られていただろう。

「捕まえるってどういう事です? ボク達を騙したんですか」

 ボクはその場を動かないまま、全身にイスカンダルの燈を灯してハルフィに問いかける。

「……ごめんなさい。アルカちゃんはいい子だから心苦しいっすけど、私達にもんす。大人しく捕まってください!」

 ハルフィが印を結んで右足で地面を踏みしめると、彼女の足元から蒸気が噴き上がってボクの下へと近付いてくる。彼女の上半身に注視していたボクは反応が遅れ、攻撃の軌道を外し損なってしまった。

 そして、自分の左脚が動かせなくなっている事に気付く。ボクのブーツを氷が包み、地面に縛り付けていたのだ。よく見れば、蒸気が噴き上がっていた前方の地面が氷に覆われている。ハルフィが貝殻を冷ますのに使っていた放熱の術式アルスが、大気中の水分ごとブーツを凍らせていた。

「ぐっ……!」氷はかなり厚く、自身の膂力では脱出できそうにない。ボクは印を結び、自分の足元へ手を向ける。

「“神秘の炉バーンマ”!」

 両手から撃ち出した炎球で氷を砕き、その勢いで後方に飛ぶ。今は一刻も早く、シナンから距離を取りたかった。

 ここは完全にアウェーの地で、おまけにベルもいつ心変わりするか分からない。自分を守ってくれる人がいたエヴァ―ライフから、ボクはもう外へ出たのだ。これからは、自分の力で戦い抜かなくてはならない。

「ベル、ここは一旦逃げましょう! 出口の職人達を突破してください!」

 必死に呼びかけるボクの方を、ベルは見向きもしなかった。

「鉄学者……。貴様等の戦いは実に興味深いぞ。幾星霜をかけて練り上げた力を乃公に見せてみろ!」

 そしてあろう事か、ベルはシナンに向けて跳び出していったのだ。

「な、何でえええ!」ボクには彼を止める事もできず、ただ戸惑うしかなかった。

 向かってくるベルに対し、シナンは素早く印を結ぶ。

「“神秘の炉バーンマフワワの竜炎フンババ”!」

 彼女の頭上で錬り上げられた火炎が、臓物を並べて作ったような怪物の顔面を模し、眼前に火炎を噴き付ける。激流の如き勢いで放射される火炎は白熱し、最早ビームと形容しても差し支えないだろう。膨大な熱はベルの上半身を直撃し、その肉を蒸発させる。

 術式アルスには、大きく分けて二つの種類がある。一つは四大元素である風・火・水・土をそのまま発現させる、“神秘の炉バーンマ”(火を発生させる)や“流転の杯アルカフ”(水を発生させる)のような基本術。

 もう一つは火と風の混合である『運動術キネス系』や、水と火の混合である『影響パルス系』のように、二つ以上の元素を組み合わせて任意の現象を引き起こす応用術である。

 応用術は列車の中でベルがやってみせたように、複数の元素を同時に発現させて発動する。ベルは錬金術を知らないが故に四つの元素を切り離して発現させていたが、応用術においては複数の元素を混ぜ合わせるのだ。

 基本術は単純であるが故に、余計な制約や発動にかかる手順を必要としない。逆に応用術は様々な制約や手順を必要とする分、複雑な現象を再現できる。それぞれに、長所と短所が存在している。

 術師の戦いには基本術による練度の比べ合いと、応用術による固有能力の攻略合戦という二つの側面が存在するのだ。

 シナンの“神秘の炉バーンマ”はベルの強靭な胸筋を焼き抉っており、練度の高さを感じさせる。恐らくは、火が彼女の最も得意とする元素なのだろう。

 このままでは致命傷を負うと判断したのか、ベルは地面を真横に蹴り砕いて熱線の軌道から逃れようとする。だがシナンは視線で彼を負い、軌道を追従させて今度は肩から背にかけての肉を削り始めた。

 彼女の“神秘の炉バーンマ”は放射している熱線自体よりも、多くのリソースを頭上に滞留させている。あれが後続の予備エネルギーとなり、持続力のある放射攻撃を可能にしているのだ。おまけに、単体の火球を飛ばす点の攻撃である通常の“神秘の炉バーンマ”とは違い、“フワワの竜炎フンババ”は継続的に放たれる線の攻撃だ。故に軌道修正が容易で、術を受ける側は回避が取り辛い。

「小癪な……。星見の術で乃公に挑むか!」

 ベルは熱線を背で受けながら、身体の影で印を結んで術式アルスを発動させる。

「“流転の杯アルカフ山海狂わす大洪水スラトハニス”!」

 ベルを中心に海が生まれていく。そう錯覚させる程大量の水が生み出され、熱線を飲み込んだ。洪水は更に部屋全体へと広がり、シナン達はおろかボクまでも巻き込んでいく。

 ベルはその隙に絶対王権クラウンを発動させ、熱線で削り取られた肉体を変形して回復させる。そして同時に、祖人種アダムシアの王としての正体を現した。

「やはりこの姿の方がしっかりくる。色々とジャマな物が付いてはどうも調子が出せんわ」

「……それが王の持つ絶対王権レガリアというやつか。中々に厄介じゃな」シナンは荒れ狂う波の上から姿を現す。

 足元には氷の柱が突き立っており、離れた場所にいるハルフィも同じようにして水流から逃れていた。大量の水があれば、その分巨大な氷塊が作れるという訳だ。

「如何にも。乃公こそがバビロニア唯一の王よ!」

 彼がそう宣った刹那、不意に頭上から跳躍して繰り出されたシナンの柔軟な蹴りが、抉るようにベルの首筋を叩く。今度は初撃とは違い、ベルの身体を傾かせてそのまま横に薙いだ。

 彼女は歯を食い縛り、目には怒りが灯っている。「バビロニアの王だと? ふざけた事を言うな。バビロニアに王などおらぬ! 国すらも、遥か昔に消え失せたわ!」

 シナンの言葉に動きを止めたベルの身体を、彼女の身体から解けた包帯が絡め取る。元から纏わせていた、運動術キネスで操作しているのだろう。そうやって捕縛したベルに、シナンは次々と怒り任せの拳打をぶつける。

「悪魔の末裔と罵られ、国を失い……。劣等人種として虐げられてきた。それでも尚、偉大な祖王:ギルガメシュの帰還を待ち続けた儂等の気持ちが分かるか。王を擁く事さえ許されず、帰らぬ幻想の王を信じ続けた虚しさが分かるか! バビロニアの王などと、そなた如きが口にしてよい言葉ではないわ!」

 万感の想いを込めた蹴りがベルを後方に退かせ、シナンは素早く印を結ぶ。

影響術パルス暗殺手トルテ!」

 詠唱と同時に、ベルの身体を痙攣が襲う。そして彼の巨体が、足元の水へと頭から崩れ落ちた。

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