第二話 王の願望 後編

 ギルド中央部の開放研究室より右奥。右辺事務所群の最奥に親方マイスターの執務室は位置している。二本の尖塔に次ぐ高い屋根を持つ部屋の壁は無数の錬金書の並んだ棚で埋め尽くされており、さながら小規模な私設図書館だった。

 キザイアは膨大な蔵書の一冊を眺めていたが、お目当ての情報が無かったのか、軽く息を吐いて本棚へと戻す。

「ギルガメシュの情報なんて殆ど残されてないねぇ。正に御伽噺の住人だよ、あれは」

「……ボクの願いは間違ってたんでしょうか。もっと立派な夢を持っていれば、皆の努力を無駄にしないで済んだかもしれない」

 塞ぎ込むボクにキザイアはもたれかかる。

「馬鹿だねぇ。アルカが悪いんじゃなくて、あの半神デミゴッドが人間の気持ちを理解してないんだよ。巨人を殺す為に永遠の命を捨てるような連中だ。今回は偶然運が悪かったのさ」

「でもボク……。ギルドのみんなを危険に晒してまでチャンスを貰ったのに……」

 極地への侵入、王の召喚、戴冠の契約。いずれも神殿騎士団にばれれば、世界に破滅をもたらす魔女として処刑執行の対象になる大罪である。当然、その行いを黙って見過ごしたギルドにも厳罰は免れない。エヴァ―ライフの職人達はそれを承知で自分に協力してくれている。だからこそ、ボクにとって失敗は許されなかった。

「極地へはもう一度行けばいい。騎士共の目を搔い潜るなんざワケないさね」

 キザイアが励ましの言葉を口にしたその時、天井の梁がぎしりと鳴って周囲に緊張を奔らせる。上を見上げると、梁の上には薔薇色のシルエットが天上の窓から差し込む逆行を浴び、仰向けで寝転んでいた。

「そいつは聞き捨てならないでありますねぇ、お嬢さん方」気取った女の声が此方に告げ、悠々と身体を起こして梁に立ち上がる。

 先ず驚くのはその身長だ。軽く四キュビット約二メートルはある。身長だけなら、あの王にだって引けを取らないだろう。背中には神殿騎士の制服である薔薇色の上着をラフに羽織っている。内側には黒いビキニ風の胸当てとハーフパンツを身に付けており、大きく張った胸と鍛え上げられた腹筋を彩る臍のピアス。張り詰めた太腿も官能的な肉感を惜しげなく披露している。赤みを帯びた肌と獅子のたてがみの如く伸びた赤い髪は、狩猟の国:ブリタニアの主要民族である獣人種ベルセルクの特徴で、頭上の軍帽を彼女が外せば狼の耳に類似した副耳と呼ばれる器官がぴょこんと跳ねた。彼女はくすんだ青の瞳を持つ三白眼を細め、嗜虐的な笑みと共に牙の生えそろった口からピアスの付いた舌をちらつかせる。

「申し遅れました。小生、神殿騎士団スワッグマン大隊所属の諜報員を務める、フランチェスカ=メディチと申す者であります」

 フランチェスカはウインクし、外した軍帽を下げて挨拶をする。梁を蹴った彼女は、二〇キュビット約十メートルはある高さを軽やかに着地した。

「ところで先程何とおっしゃったでありますかな? ……小生の聞き間違いでなければ、確か『極地へ行く』だとか『騎士の目を搔い潜る』だとか」薄く開いた瞳は全く笑っていない。獲物を睨む猛獣のそれだ。

「やだねぇ、ただの冗談だよ。こんな優良ギルドから鉄学者なんて出る訳ないだろう?」

 キザイアの言う通り、エヴァーライフは表向きでは極めて薔薇十字軍ローゼンクルセイダーに従順なギルドだ。それ故に騎士の息がかかった産業庁からも質の良い仕事を数多く斡旋されている。

「冗談にしては些か不穏な内容かと思われるでありますが」

「諺みたいなものさね。そっちでも『悪い事をしたら、ギルガメシュに食べられる』なんてよく言うだろ?」

「ああ、成程。言葉遊びの類でありますか!」フランチェスカは細い目でそう言うと、上着から小さな紙を取り出した。「なら、これに関してはどのような説明を頂けるのでありますかな?」

 目の前に示されたのは、地下食堂を歩く王とボクの姿が収められた写真だった。その射角は明らかに、あの場にいた職人の目線から撮られたものだ。フランチェスカは越に浸った目を細め、踊るように写真を上着へ仕舞う。

「実は以前から私的な協力者をギルドの内部に忍ばせていまして。小生の独断と偏見で、どうもこのギルドが怪しいと思っていたのでありますよ。……何しろ、かつては王との契約をも結んでいたキザイア=メイスンの経営するギルドでありますから」

 やられた。ボク達は騎士の目を欺けたのではなく、初めから泳がされていたのだ。鉄学者が現れたという確実な証拠を作り、ギルドそのものを検挙する為に。

「――アルカ!」キザイアが印を結びながら叫ぶ。

「はい!」ボクは胸の前で二つの印を結び、描いた上弦四分の弧から巨大な火球を錬成した。

「“神秘の炉バーンマ”!」

 隣のキザイアと同時に放たれた二筋の火球はフランチェスカの胸で炸裂し、上半身をばらばらに消し飛ばす――筈だった。

「これはこれは……少々度の過ぎた冗談でありますねぇ」

 彼女は無傷だ。火球は瞬き程の一瞬で、跡形も無く消え去ってしまった。

「故意による騎士への攻撃。これは法国と隣保りんぽ同盟への加盟国の間に結ばれる国際条約によって、即刻処刑に値する罪であります。さすれば小生の独断と偏見で、この場でエヴァ―ライフ全構成員の処刑を決行させていただきますよ!」

 フランチェスカは叫ぶと同時に、素早く印を結んでいく。全てを包む風から原初へと続く火へ。世界を巡る水から永久に崩れぬ土へ。そして、魂を呼び起こす黄金の円環へ。

「馬鹿な、あの印は!」

 状況を察したキザイアがボクの肩を掴み、一緒に身体を床へと伏せた。

 隣の開放研究室から天井が崩落したかと思わせる程の轟音が鳴り響く。次いで執務室と開放研究室を隔てる壁が砂糖菓子の如く破砕され、飛び散る破片と立ち込める土煙の向こう側から、鼓膜へ突き刺さる甲高い咆哮がギルド中に響き渡った。

「如何です? あなた方も初めてでしょう。神殿騎士団が従える、黙示録の獣テリオンの姿を見るのは!」

 フランチェスカのと歓声に続いて煙の奥より現れたのは、広大な開放研究室を埋め尽くす程巨大な蜷局を巻く、異形の毒蛇だった。頭部には冠の如き禍々しい双角がうねり、鋭い毒牙を有する裂けた口から濁った液体を垂らして鎌首をもたげる。

「これこそが、法国に勝利をもたらした七二体の獣が末席。“石眼の大蛇アンドロマリウス”であります!」

 黙示録の獣テリオン。かつて法国とマケドニアとの大戦争において出現し、法国の戦力となって戦争に勝利をもたらした七二体の獣達。黒い土と白き砂の古代国家:ケメトに旧くから伝わる召喚術によって顕現したとされるその存在は、莫大な燈と固有の術式アルスをその身に宿して数多の王と術師を屠ってきた。

「噂には聞いていましたが……。騎士が本当に召喚術ネクロを使えるんですね」

 召喚術ネクロ。数ある術式アルスの中でも最高位に位置付けられる術で、自身の魂に結び付けた上位存在の魂を、使い魔として錬成する技術を指す。イスカンダルの燈を完全に紡いで黄金の円環を描く事で初めて発動する事ができ、王を現世に呼び起こす術式アルスもこの召喚術ネクロの一種である。

「驚いたでありますか? さぁ“石眼の大蛇アンドロマリウス”、地下にいる職人共を皆殺しにしてきなさい。その間に小生は、この二人を血祭りに上げるのであります」

 “石眼の大蛇アンドロマリウス”はフランチェスカの命令に舌を鳴らすと、皆が集まっている地下の階段へと向かっていく。彼女が単身で敵地に乗り込んでいるにもかかわらず、妙な自信を持っていたのはこの為だったのだ。

「にしても、舐められたものですね。ボク達二人だけが相手なら、お前如きでも勝てると思いましたか?」

「くくく……。当然であります。直ぐにどちらが優れているのか、理解させてさしあげましょう!」

 フランチェスカの体表を、蛇の鱗が覆っていく。神殿騎士は獣と共に戦う術を身に付けており、黙示録の獣テリオンを召喚するだけでなく、獣の肉体の特徴を自分の身体へと発現させる特殊な召喚術ネクロを使用するのだ。

 獅子に似た彼女の風貌と蛇の鱗が合わさった姿は、蛇の尾と獅子の頭を持つ異形の神話怪物:キマイラを彷彿とさせる。

 ボクらは互いに弾かれたように走り出し、円の軌跡を描きながら間合いを計り合う。キザイアがフランチェスカの正面を陣取る一方で、ボクは敵の背後を取るべく足を動かす。

 フランチェスカの方も背後のボクに注意を払いながら、先ずはキザイアの方を始末する事を決めたようだ。彼女は走りながら印を結び、胸の前へと印を刻む。

運動術キネス黄金刃を逆立てよクリュサオル!」

 フランチェスカの体表から剥がれた鱗が高速回転しながら発射され、キザイア目掛けて飛んでいく。錬金術の基本は四大元素の抽出と、その掛け合わせによる現象の発生だ。火の元素をベースに風の元素を掛け合わせれば、物質を自在に運ぶ運動の力が得られる。肉弾戦に最も適した錬金術である為、軍人によく好まれる術である。

 相対するキザイアも少し長めの時間をかけて印を結び、空中へと印を刻む。

製作術テクネ鉄学者の剣アゾット!」

 キザイアの手に短剣が錬り上げられる。土の元素を主体に水の元素を掛け合わせる事で、虚空から物質を生み出す術式アルス。職人にとっては作品を作る為の術であり、己の価値を決める術といっても過言ではないだろう。

 職人だと油断して見た者の肝を抜く卓越した動きで、キザイアはアゾット剣を振り、鱗を目視で叩き落していく。

「ハッ、職人風情が剣士の真似事でありますか!」

「自分達は職人の真似をしておいて、面の皮が厚いねぇ。お望み通り、術式合戦といこうか?」

 啖呵を切ってキザイアは一歩踏み込み、フランチェスカとの距離を詰める。その最中身体の影では印を結び、手の先へ刻んだ。

「“哲学の卵フラスコ”!」

 四大元素の風。その抽出は空気の流れを操作して一陣の風を生み、敵の目を撫でて瞬きによる隙を誘発させる。

「ぐあっ……」敵は視界を奪われ、キザイアへの対処が遅れた。

 その隙にキザイアは剣を首筋へと打ち込む。しかしフランチェスカが両手を合わせると、その身体は通常では考えられない動きで後方へと宙返りし、攻撃の軌道を辛うじて逸れる。

「緊急回避用の運動術キネスを仕込んでたか」

「小生に“虚海に彷徨えエウリュアレ”を使わせるとは……。職人だからといって油断するのは、愚行でありますな!」

 後転で距離を取ったフランチェスカは印を結び、前方に炎を放射してキザイアを牽制する。その間にボクの位置を目で追っており、術の練度こそ凡庸だが、隙の無さは流石に戦闘を生業としているだけはある。

「お見せしましょう。小生が黙示録の獣テリオンとの契約で手に入れた秘術:魔眼の力を!」フランチェスカの双眸が、石灰色に褪せた。

「“召喚術ネクロ独断バジリスク”!」

 フランチェスカが変色した瞳でをすると、途端にキザイアの動きがぴたりと止まる。彼はそのままボクの方へと振り向き、走って此方へと向かってきた。キザイアは微動だにせず、まるで石になってしまったかのようだ。

「お前、キザイアさんに何をしたんです!」

「何、少し大人しくしてもらっているだけでありますよ。殺しちゃいません」フランチェスカはにやついた顔で答え、手元で印を結ぶ。

「“神秘の炉バーンマ栄光ホド”!」

 彼の前方に放たれた業火が収束し、一直線の熱線となってボクへと射し込む。指向性と連続性を持たせた火は動き回るボクの身体を正確に捕らえてくるが、ボクは自分の全身に水の壁を纏わせてそれを防ぐ。

 水は、ボクが最も得意とする元素だ。流動性・流転。物質の状態変化を司るその元素は、古来より人間の老いによる変化にイメージを重ねられ、不老不死の霊薬という幻想の源泉となってきた。

 そして何より、水の音とは最果てへと続く波の音である。だからボクは水を愛する。

「“流転の杯アルカフアルキメデスの螺旋ウンディーネ”!」

 自分の背後から一二キュビット約六メートルにも及ぶ水柱が立ち上り、乙女の形となって収束する。

「見た目だけは豪華でありますね……。それだけの量の水を錬れるのは大したものでありますが、基本の四大元素術如きにやられる小生ではありませんよ」フランチェスカは印を結び、黄金の円環へと腕を突っ込む。

「“喚起術アニマ伝令使の杖カドゥケウス”!」

 彼女の腕から剥がれた鱗が集合し、黒い蛇へと姿を変えていく。土の元素を軸に風の元素を合わせる事で、術師の命令に従う擬似生命を生み出す術。高位の魂を呼ぶ術:召喚術ネクロの一歩手前の段階である、生命を作り出す術式アルスは、並の術師では扱えない程に高位のものである。

 腕に巻き付いた蛇にかけられた運動術キネスは超加速を生み、地味な見かけによらない破壊力を伴って眼前に迫ってくる。ボクはそれを超人的な肉体の駆動で避け、遠心力で伸びきった蛇の懐へと潜り込んだ。距離を詰める足も地を縮める程に速く、フランチェスカが次の動きを起こすよりも先に肉薄して、鳩尾へと掌底を叩き込む。

「がはっ――!」フランチェスカは一瞬体が浮き、大きく姿勢が崩れる。「このクソガキっ……。調子に乗るなァ!」

 彼女のウインクと同時に、自分の身体が全く動かなくなる。身体を包む水の動きすら停止しており、どうも『自分の意思で身体が動かせない』程度の現象ではなさそうだ。キザイアもこの能力で拘束しているのだろう。

 そんな風に分析しているとフランチェスカが此方に接近し、一瞬の後に拘束が解ける。突然の変化に反応が追い付かず、敵の殴打が水の守り越しにボクの頬を貫いた。

「その術式アルス……。どうも只の水ではなさそうでありますねえ。今のも完全に虚を突いたつもりでしたが、少し防御されてしまいました。……まるで水そのものが、一個の生き物のようでありますな」フランチェスカはふらつくボクを前に悠々と印を結び、黄金の円環を浮かべる。

「ですが、敵を殺すのに過剰な攻撃力は不要。小生の毒牙を用い、掠り傷で殺してさしあげるのであります!」

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