第二話 王の願望 前編

「その印……。星見の力か!」

 目を輝かせる王へ見せつけるように、ボクは腕を突き出してイスカンダルの燈を宙に溶かす。そうやって伸ばした腕を後ろに引き戻すと、まるで磁石と化した腕が虚空から砂鉄を引き摺り出すかの如く、一キュビット約五〇センチはある金の延べ棒が錬成されていく。

「何と……。ふはは、面妖な! 錬金術とはよく言ったものよ!」王は実に素直に興奮を述べる。

 ボクが錬成した金を王に手渡すと、彼はその重さを腕でじっくりと確かめた。

「本物かはいざ知れず、大した術だ。願いを叶えると謳うだけはある」

「金は錬成の難しい物質ですから、錬れる職人は国内にそう何人もいないんですよ」

「だろうな。こんな事が誰にでもできれば、国が発行する金貨などたちまちに価値を無くしてしまうわ」王は金塊をごとりと机に置いた。

「このイスカンダルの燈が眠っていたとされる最果ての地……世界の最果てエルシオン。そこには真理と呼ばれる神羅万象の真実が存在するとされています。それを手に入れれば、あらゆる物体の作り方、宇宙の成り立ち、神の正体――世界の全てが理解できる。万物への理解があれば、イスカンダルの燈で文字通り、どんな願いだって叶える事ができる。……あながち荒唐無稽な話でもないでしょう」

「くく。アルカなら、真理を手にすれば乃公が望む全てを作り出せるという訳か。確かに悪い話ではない。事実ならな」王はまだ冗談半分といった面持ちだ。

「残念ですが事実だと断じてやる事はできません。イスカンダルが最果てへと辿り着いて以来、世界の最果てエルシオンへと到達した人類は一人もいないんです」

「イスカンダルとやらはどうしたのだ。そいつは真理を手に入れたのだろう」

「イスカンダルは願いを叶えられなかったとされています。彼は鉄学者ではありませんでしたから。代わりに自分の意思を継ぐ者を導く灯火として、人類にイスカンダルの燈を授けたんです。イスカンダルは最果ての地を越えて更なる探究の旅へ出たとも、国に帰って鉄学者の育成に尽力したとも言われています」

 鉄学者の間に古くから伝わる御伽噺だ。つまり、真理を手に入れた者はまだ一人も存在しない。手に入れた先に何が待っているのかも分からぬままだ。だからこそ、挑む価値があるとボクは思う。

 王は顎を手でさすり、与えられた言葉の意味を吟味している。「鉄学者とは何だ? 願いを叶えるにはそれが必要なのか」

「鉄学者は最果てを目指す意志を持った術師の事です。鉄学者がイスカンダルの燈を世界の端まで紡ぎ、王を連れて行く事で初めて真理を手に入れる事ができるとされています。要は王と鉄学者のどちらも欠けてはいけないって事ですよ、お前」

 さり気なく、ボクと契約を結ばなければ願いが叶わない事を彼に匂わせる。

「最近は最果てに挑もうなんて骨のある術師も少なくなってね。このギルドに王が来たのだって十年近く振りさ」

 キザイアはそう言って自虐的に笑いながら嘆息する。彼女だって昔は最果てを目指していた一人だ。今はもう止めてしまったが。

「解せんな。願いが叶う機会など願ってもあるまい。何故挑む者が減っていくのだ」

「単純な事さね。禁止されちまったのさ。偉い神サマの教えとやらでね」

「教えだと……? 神が人間風情に何を教えるというのだ。人間が何処へ行こうが知った事ではあるまい」

「あたしらもそう思うんだけどねぇ。神そのものじゃなく神の声を聞いたなんて宣う人間の一団がいるのさ」

 キザイアは指先に燈を灯すと、虚空へ『8』を模った紋章を描く。

「シオン修道会。そいつらが巨大な軍勢を築いて鉄学世界に戦争を仕掛けてきたのさね。結果マケドニアとその属国は戦争に敗れ、戦線で活躍した鉄学者達は修道会による監視を受ける事になったんだ」

 鉄学者の流刑地。それがキングスランドの成り立ちだ。かつては世界最強を誇ったマケドニアも今では神の使徒の監視下に置かれ、神の名の下に担保される緩やかな平和の歯車になってしまった。

「シオン修道会が擁する軍事組織――その名を神殿騎士団。神に与えられし獣を駆り、最果てへの道を鎖す独善の騎士団だよ」

「事情は理解した。要はその神殿騎士団とやらに対抗する手段として、乃公の力を欲しているという訳だな」

 キザイアが上手く話をまとめてくれたお陰で、王も自分が呼び起こされた理由が理解できてきたようだ。

「ボクはお前を都合よく利用しようとしている訳じゃありません。これは双方に利点のある契約です。ボクはイスカンダルの燈でお前の願いを叶える。お前は神殿騎士団を打ち払い、ボクを最果てまで連れて行く。……どうです、少しは契約する気が出てきましたか?」

「そうだな。だがもう一つ、興味深い事がある」王は真っ直ぐにボクの目を見詰める。その奥に澱む何かを読んでいるかのように。「アルカの願いは何だ。貴様は最果てに何を望む?」

 王の機嫌は、楽観的に見てもよいとはいえなかった。彼の人となりを知って、薄々予想はできていた事だ。只の人間に過ぎないボクが対等な取引を申し出ているのが、王にとっては不快なのだろう。ここで『王への奉仕を望む』とでも言えばよし。さもなくば、無礼な輩としてボクを処刑する気なのかもしれない。

 だがここで引く程度の覚悟なら、はなから最果てを目指したりはしない。

「ボクの願いは、永遠の命を得る事です」嘘偽りなく。毅然とした態度でボクは答える。「死なんて不条理なものから、ボクは解放されたい。それ以外には何も望みません」

 王はしばしの間沈黙する。そして不意に、水が堰を切るかの如く爆笑した。

「永遠の命ときたか! アルカよ、貴様は大した道化だな。無知とは誠に滑稽よ。目の前に座る乃公が如何なる存在であるかも知らず、永遠の命を願うとは!」

 王は目の前の籠から葡萄を掴み上げ、一気に握り潰す。

「喜べ。死は乃公が作ったのだ。かつて不死の神々と巨人共が永遠の争いを繰り返していた時代、乃公は大地と海水を混ぜて作った泥から人間を作り上げた。そして死を背負わせ、世界に放ったのよ。神であった乃公は人間の勇者と女神の胎から転生し、人間を率いて巨人共を滅ぼした。死は、死の定めを持つ者によってのみもたらされるものだからな」

 饒舌に語っていた王は、握っていた手を開いて無残に潰れた葡萄を落とす。ぼたぼたと垂れる果汁が、人血のように悍ましい。

「死を否定するという事は、乃公の功績を否定するのに他ならん。……人間風情が過ぎた願いを口にしたな」

 王はゆっくりと立ち上がった。最早、対話の余地はないのだろう。今の彼の目には、ボク達など鬱陶しい羽虫程度に映っているに違いない。神の偉業を否定するのは、そうなるに相応しい愚行だ。

 目の前の王は人間ではない。人間を作り出した功績を持つ、偉大な半神デミゴッドの一人だったのだ。

「悪魔の王……ギルガメシュ……!」

「人間風情が乃公を名付けるか。極めて不快だぞ。万死に値する程にな!」王は目にも留まらぬ速さで印を結び、両腕を前方に繰り出す。

神秘の炉バーンマ太陽より下す神風ルガルバンダ!」

 王の力強い詠唱は部屋に虚しく響き、静寂だけが残る。術式アルスは発動しなかった。

「無駄ですよ。今のお前は只の人間と同等の力しか持っていませんから」

 一瞬の隙が王に生じたのを見逃さず、ボクは胸の前で印を組み上げる。

「“結界術バリア旧き神の印エルダー・サイン”!」

 王の足元に五芒星の印が出現し、その中心に灯った炎が彼の全身を包む。術師が己の召喚した物に対して持つ、護身用の切り札。被造物の行動を完全に封じ、着火した炎でいつでも対象を消滅させる事ができる術式アルスである。

「人間を舐めないでください。お前を現世に呼び戻したのは神でも半神デミゴッドでもなく、人間の叡智なんですよ」

 これが最後の歩み寄りだった。互いに有益な関係を築き、共に世界の最果てエルシオンへと向かう為の、ボクの最後の希望。

「おのれ……! この乃公が人間なんぞに……!」

 返ってきたのは、傲慢な断末魔だった。

「さようなら。……そんなに死にたきゃ勝手に死んでてくださいよ、クズ野郎」

 ボクが指を鳴らすと同時に、王の身体は炭へと変わって崩れ落ちる。同時に、目の端から溢れた涙が頬を熱く伝う。

「ボク……。何か間違えちゃいましたか……?」

 そう言って、キザイアに取り繕った笑みを浮かべるのが精一杯だった。


 ◇


 王は闇の中で目を覚ます。身体は闇に纏わりつかれ、自由に動かす事は敵わない。

「フン……。乃公はまた死んだのか」自分の死に対し、王は大した動揺も見せなかった。「……あるいは、泡沫の夢であったのやもしれんな。下らぬ見世物であった」

 王が目を閉じようとしたその時、闇の奥からぺたぺたと足音が響く。

 彼もそれに気付き、僅かに眉を顰める。「……貴様、何者だ。どうやって乃公の墓に入ってきた?」

 姿を現したのは、灰で出来た真っ白な人影だった。

「初めまして、偉大な王よ」

 長い髪と整った顔立ちは中性的で美しいが、獅子の毛皮を上半身に纏った姿はバビロニアの古戦士そのものである。

「僕は大王の後継者ネブカドネザル。キミの第一の家臣です」

「家臣だと? 笑わせるな。貴様も、乃公に身勝手な願いを押し付けに来ただけであろう」

「おやおや、王は随分と立腹のご様子ですね。そう警戒しなくても、僕はキミの忠実な従僕です。キミの望みを叶えたいだけですよ」

 ネブカドネザルと名乗った灰人間の言葉に、王は牙を剥く。

「貴様もそれか。この世界の連中はどいつもそうなのか? 金塊を差し出し、世界の全てなどと大それたものをちらつかせ、挙句の果てには乃公の望みが分かるときた。大層な慧眼だ」あまりの不愉快さに、王は引きつった笑みすら浮かぶ。「ならば教えてやろう。乃公はもう世界に微塵の希望も抱いておらぬわ。世界には最早乃公がかつて愛したものなど、何一つ残ってはいまい。乃公にとって、この世など絶望の詰まった箱に等しいのだ。その満たされた絶望を隅々まで見て回る事に、誰が興味を抱くものか!」

 吠えるように、ぶつけるようにネブカドネザルへと怒鳴りつける。灰が殺せるものならば、腕を叩きつけていただろう。王にできる最大級の警告に対し、家臣が返したのは不気味な笑いだった。

「知っています。そんな事ぐらい知っていますよ、名も無き王」長い髪の隙間から覗く灰の瞳は、背後の闇で満たされている。「それこそが正にキミの願望なんです。絶望に満ちたこの世界を抜け出し、かつてキミが王として在った愛しい世界へと帰還する事。キミの本当の王国を取り戻す事こそが、真の望みに他ならない」

「本当の……王国だと……?」

「既に起きてしまった過去を変える事は、錬金術でも不可能です。ですがかつてキミが生きていた世界を再び創世し、献上する事ならばできる。遍く光景も、野を駆ける獣も、キミが築いた王国も。つまりは過去を再現し、その続きを新たな世界としてもう一度やり直せるんです。キミはその世界で、永遠の王となる」

 自分の居場所が無い世界ではなく、自分の為の玉座が用意された世界。そこでこそ、世界の王になる価値がある。ネブカドネザルの申し出は王の欠けた心へ甘美に響いた。

「変えたくはありませんか? キミが永遠の繁栄を実現する事ができなかった未来を」

「……大した詩人だ。興が乗ったわ。それで貴様は乃公に何をさせたい? よもや、この場所で待っていれば世界が手に入る訳ではあるまい」

 王の返事にネブカドネザルは頭を下げ、礼を捧げる。

「寛大な御心に感謝します。……キミには、死んだイスカンダルの大灯明を生き返らせて欲しいのです」

「大灯明……。神殿に灯された火の類か。それを生き返らせるとはどういう意味だ?」

「イスカンダルの大灯明。それは双角の王ズルカルナイン:イスカンダルが残した、世界の最果てエルシオンへと紡ぐべき大いなるイスカンダルの燈です。その燈を最果てまで紡ぐ事で、王と鉄学者は望みを成就できる。ですが、大灯明はシオン修道会の手によって封印されてしまったのです。故に願いを叶えたければ、先ずは大灯明を再び世界に灯す必要がある」

 ネブカドネザルは印を結び、王へと黄金の円環を翳す。

「アクア初体ういたい。それが大灯明の復活には必要です。別名を生命の水、燃える水、滴る胎児、第五精髄。アクア初体を死んだ大灯明へと注げば、最果てへの道は再び切り開かれるでしょう。それを現世で見つけ出し、消えた大灯明へと注いで欲しいのです」

 王を捕らえていた闇は枯れ木同然に朽ち果て、自由を取り戻した足が地面に触れる。彼は腕を回し、にやりと笑みを浮かべた。

「乃公の目的を叶える為には、結局の所あの鉄学者の小娘を利用する必要があるな。少々気に食わんが、その程度の役は演じてやるとしよう」

 王にとって、現世の事などもうどうでもよかった。多少の不愉快や無礼には目を瞑ってやれる程に。

「僕はいつまでもキミにとって第一の家臣です。期待していますよ、僕の王。手始めに――キミの冠を取り戻すのです」

 灰は闇に溶け、戒めから解き放たれた王は頭上を見上げた。胸に野望の種火を灯して。


 ◇

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