小さな相棒のいる世界

うたこ

全一話

 ちょっと疲れて運針を止めた時、流れっぱなしの動画サイトから素っ頓狂な声がきこえてきた。


 作業を始めるときに、BGMにしようとオルゴールの曲が流れる動画をスマホで再生してのだけれど、いつの間にか他の動画に切り替わってしまっていた。夢中になっていたから、全然気がつかなかった。


 液晶画面の中で、オレンジの鳥が羽をぱたぱたさせている。大きなぎょろっとした目と耳にカラフルな羽が生えている、なんというか、個性的な容姿。鳥に耳ってあったっけ? もしかしてミミズク?


 その鳥の隣に、緑のエプロンをつけた女性が座って何やら紹介している。ものすごく、とんでもなく、めちゃくちゃ熱心に。紹介しているのはガラスペン。アクセサリーのようにキレイで、キラキラしているのに実用的な文房具でペン、らしい。いかにガラスペンが優れているかを次々に実例をあげていく。


 だというのに、独特の見た目の鳥は、女性の熱意を持った力説に、辛辣かつ冷静に返す。

「実用的なのはやっぱりボールペンかな」

 ガラスペンってちょっと良いな、キレイ、素敵と思っていた私はその台詞ではっと我に返る。


 まぁ、うん。そうだよね。

 ボールペンに比べたら面倒だよね、ガラスペン。

 壊れそうだし、インク零れたら大変だし、洗ったりしなきゃいけないし。


 私は自分の手元を見る。作っているのは小さな服。人形が着るための服だ。もう社会人の私には砂粒ほどの実用性のない。ガラスペンより遙かに使えない。だけど私はこれが「好き」だ。義務教育を終える頃から、小さな服を作り続けてきた。


 ちょっと恥ずかしくて誰にも言ってないけど。二十を越えた女が着せ替え人形で遊んでいることが。


 液晶画面に視線を戻す。実用的ではない、とディスりつつ、ガラスペンが作られる様子に「すごい!ヤバい!」と声をあげ続ける変な鳥と、売りたいというより、ただだからお勧めているようにしか見えない女性にちょっと笑ってしまった。


 また、針をとって一針一針縫っていく。


 世界に向かって「好き」を「好き」と言える女性と、それをからかいながらも楽しそうに合いの手を入れる鳥の関係が、ちょっと羨ましかった。私は、周りの人間にすら言えないから。


★  ☆  ★


 変な鳥の名前はブッコローと言うらしい。神奈川の地方書店の、有隣堂の動画チャンネルだそうだ。動画は週一で更新され、ゲストは自社の社員だったり、取引の有るメーカーさんだったり、作家さんだったりする。私は、いつの間にかブッコローの新しい動画がアップされるのが楽しみになっていた。何故か売ってないものまで宣伝している。ただ好きだから、という理由で。企業のチャンネルなのに。


 少し残業をして、会社から一人暮らしの部屋に戻って、簡素な夕食を食べた後に私はいつもの箱を開ける。中に入っているのは、作りかけのお人形の服。取り出して、針を手にする。


 それから、スマホで今日更新の動画を再生する。


 ネットを通じて知ったことだけど着せ替え人形を大人になって楽しむ人っていうのはけっこうたくさんいる。SNSで発信をしている同じ趣味の人の投稿は見ている。でも、私は一言も言葉を発したことがない。


 小学五年生の時、「まだお人形さん遊びなんかしているの?」と蔑むように言われた一言が、自分で自分の食い扶持を稼げるようになった今も、ずっと棘のようにひっかかっていて。思い出しては怖くなって、何も言えなくなってしまう。臆病なのだ。


 元々の意気地の無い私は、あれ以来、人前で好きなことを言うのを止めてしまった。誰に迷惑をかける趣味でも無いのに。


 いじめられたらどうしよう、という心配と好きなことを馬鹿にされることとが怖くてたまらなかった。多感な頃などとうに過ぎたというのに。私は未だに怯えている。


 今日の動画では、新人絵本作家の肩書きをもった人が喋っている。


「……え?」


 手が止まった。


 出版社との関わりを作るために、書店でアルバイトから初めて七年。いろいろ試行錯誤しながら出版社にアプローチをし続け七年。


 私が、この趣味を初めたのと同じ年月、この人は夢を叶えるために耐えて耐えて耐えて、そしてやっと夢を叶えたのか。


 絵本の世界の話をブッコローはいつものやんわり毒舌を吐きながら「すげぇ!天才!」と楽しんでいる。小さなスマホに映る、ブッコローの隣の華奢で真面目そうな、だけどキリリとした雰囲気を纏う女の子の姿を見て、私は「かっこいい……」と呟いていた。


 夢の有る世界の、厳しい話。

 いつも、そう。

 この番組に出てくる人は「好き」に「誇り」を持っている。だから面白くて心地良い。


 私は、好きなことを話せる人がいることが羨ましかった。


 人と関わることが怖い私は、それはただの夢だった。


 たかがSNSじゃない。みんなやってる。大丈夫、大丈夫。七年も耐え続けることに比べたら全然怖くない。

 年の変わらないように見えた絵本作家の女性に背中を押されて、私は世界にほんの少し踏み出してみようと思った。


 怖い、けど、たぶん、大丈夫。


 私は震える手でスマホを取って、渾身の力作を身につけた人形を飾っている棚にカメラを向けた。


★  ☆  ★


 SNSに投稿した写真には、三日経ってもなんにも反応はなかった。


 ほんの少し、見てくれている人はいるんだろうけど、広い広い砂漠にぽつんと一人で立っているような気分になる。


 それなりにタグは付けたんだけど。やっぱり写真一枚、ネットにあげたところで何も私の世界は変わらない。蔑まれるよりはずっとマシだ、と自分で自分を慰める。


 タイムラインには、同じ趣味を持つ人達の楽しそうな交流の様子が流れていく。


 私の世界は静かに止水したままだ。


 自分から話しかけないとダメなんだろう。自分から動かないとダメなんだろう。それは分かってる。学校だってそうだった。

 学生の頃、クラスが変わる度に吐きそうになるくらいの緊張をして、それでもなんとか勇気を持って、自分の居場所を作るために周囲の人に話しかけた。


 わかっていても、顔の見えない、見ず知らずの、知らない人に話しかけるのは、怖い。


 あぁ、今日は新しい動画が上がる日だ、と私はスマホを操作して、画像投稿をしたSNSから離れる。動画サイトのホーム画面には、有隣堂の新しい動画が表示されていた。いつも見ているから、一番上のサムネイルをタップする。


「個性強すぎ文具のせか~い!」


 賑やかにブッコローが今日のテーマを紹介している。今日はメーカーさんの女性が出ている。今日も絶妙にゲストをイジりながらも、製品を楽しんで居るブッコローの様子が、やっぱり楽しい。面白いアイディア商品が紹介されていくけれど、知らないものばかりだ。


「宣伝下手か!」


 その台詞を聞いて、どきっとした。唯一無二の面白くて良い商品。下町の会社で作られたアイディアの塊。


 動画を見終わった後、私はどきどきしながら、今度は電車の乗り換えアプリを立ち上げた。


★  ☆  ★


 私は、二十三区から外れた東京都の隅っこに住んでいる。手芸関係のお店に行くために都心に出ることはあるけれど、神奈川に行くのは本当に久々だ。横浜なんて、まだ学生だった頃に行ったことがあるだけだ。


 案外近い。今まで知らない場所に行ってみようなんて思わなかったから、電車で一時間もかからない距離だったことにも気付かなかった。


 別に本屋に行くのに緊張する必要なんて無いのに。それでも行ったことがない場所に行くのはドキドキする。まるで冒険するような気持ちだ。趣ある、古いビルに恐る恐る入って、おどおどしながら私は目的の物を探した。


 当たり前だけど、動画で見るのとは違って、でっかくて広い本屋さんだ。


 欲しいのは絵本と、ぬいぐるみ。


 私のヒーローとなったあの新人作家さんの絵本を買ってから、ブッコローのぬいぐるみがある場所に近づく。いくつか人形が並んでいて、その中の一匹と目があった。どこを見てるのかよくわからない、愛嬌溢れるぎょろっとした目なのに、確かにその鳥はこっちを見ている。


「よっ! 相棒」


 あの陽気な声が頭の中で響いた。


 私に声をかけてきた、小さなブッコローを手に取る。


 よくわかったね。私には相棒が必要なの。

 人前に出るのが恥ずかしい、そんな自尊心を蹴っ飛ばして、だけど私の好きな世界を馬鹿にしない、そんな相棒が。


 私は人形が好きだ。ずっと好きだ。昔から。きっとこれからも。


 通勤時間も、仕事の合間のふとした瞬間も、いつだって私の持っている人形がどうすれば素敵に見えるか、どんな服が似合うのか、そんなことをずっと考えている。


 今までただ私は人形が好きなんだと思っていたけど、有隣堂の動画を見て気付いた。「好き」を誇りに持っている人達を見て、私は人形が好きな自分もけっこう好きだったんだ。だけどそれをさらけ出す勇気も無い。

 だけど人形なら。私のずっと愛してきた人形の言うことならきけるんじゃない?


 私もあの人達のように、胸を張って「好き」を「好き」と言えるようになりたい。


 お金を払って、晴れて私の元に来ることになったオレンジ色の小さなミミズクを袋から出して、家に帰るのを待ちきれず、電車の中でそっと眺める。相変わらずどこを見てるのかよく分からないちぐはぐな目をしているのに、やっぱり私を見ている気がする。


 よろしく、と心の中で声をかける。この子がいるだけで、私は他の人から見たらどうということはなかもしれない、だけど私にとっては冒険に他ならない、そんなことが少しずつでもできる、そんな気がした。


 たとえば、今日こうやって知らない場所に一人でやってきたみたいに。これからはもう、怖くない。だってブッコローが側にいる。


 ―― 一回写真出してるでしょ、二枚目も三枚目もかわんないじゃない。何が違うの。


 怖くて二枚目の写真をアップできない私にさっそく手の中のブッコローがツッコミを入れてくる。気分が軽くなっていく。早く家に帰って、写真を撮りたくなってくた。


 電車の中から見える空は、青く、高く、すがすがしく、晴れていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

小さな相棒のいる世界 うたこ @utako0426

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ