君の声が聞こえない。 ~短編~

夕日ゆうや

君の声が聞こえない。

 ピッ。

 ピッ。

 電子音が病室に鳴り響く。

 歌わなくちゃ――。

 そう思い、首を巡らせる。

 と思ったが首が固定されていて動かない。

「どうして……?」

 声は出せるらしい。ひどく枯れた声だが。

 つーっと頬を涙が伝う。

 なぜ泣いているのかは分からない。

「ああ! 目覚めたのね! 紅音あかね

 私にそう問いかけてくる声。久々に聞いた声。

 確か……、

「お、かあ……さん?」

「ああ。良かった」

 視界の端で泣き崩れる母の姿があった。それを支えるように父が寄り添う。

 私は歌手に夢見た少女だった。早くに家を出て、今のバンドメンバーに加えてもらった。

 少しずつだが、ファンも増えて今ではサイエンスホールに立つこともしばしばある。

 音楽で生きていく――。

 そう決めてから早六年。

 親とは連絡していなかった。

 そうだ。バンドメンバーのみんなはどうしているのだろう。

 特に恋人の、

疾風はやて君、は……?」

「……っ」

 言葉に詰まったように僅かに目を見開く母。

 躊躇いながらも、父が代わりを務める。

「疾風くんは、同じように入院している」

「え!」

「……でも、大丈夫だ。すぐ良くなる。紅音よりもずっと元気だよ」

 父が眼鏡をくいっと持ち上げて言う。

「そう。良かった」

 私はすぐによくなると信じて他のメンバーにも思いを馳せる。

凜藤りんどう君と恋和ここなちゃんは?」

「二人とも大丈夫だよ」

 父が落ち着いた様子で僅かに笑みを浮かべる。

「それよりも、今は回復に専念しよう」

 父の提案に私も安堵する。

 ゆっくり休もう。

 父は嘘をつくとき、眼鏡を持ち上げるクセがある。それに気がつかなかった私が悪い。

 でも、だから身体を回復することに専念できた。父の優しい嘘のお陰で。


 私は日下部くさかべ疾風はやて君の墓前で手を合わせる。

 未だに松葉杖を使わないと歩けないが、ちゃらい凜藤君やその恋人の恋和ちゃん、スタッフの飯塚いいづかさん、松平まつだいら君。

 みんなが私の復帰を望んでいた。

 でも、もう君の声が聞こえない――。

 もう彼はいないんだ。

 悲しみにくれ、酒に溺れる毎日。

 ギターを手にすることもなくなり、好きだった歌からも遠ざかった。

 疾風君の思い出に触れるたび、やけどをしたかのように肌がひりつく。

 そんなのが嫌になって一人ゲームに没頭する毎日。

 私は何のために生きてきたのだろう。

 お金はあった。ライブやグッズで稼いだお金がある。

 一ヶ月は過ごせる。

 自分が壊れていく自覚はあった。

 思うように笑えなくなった。

 テレビでやっている漫才やギャグの何が楽しいのか、分からなくなった。

 感性が死んでいるのが分かった。

 前ならちょっとしたことでも笑い、泣き、感動したものだ。

 でも、それのどれも今の私には届かない。

 死を考えた。

 今は一緒に暮らしている母と父が、それを止めた。

 病院に連れていかれたが、軽度の睡眠障害と鬱の傾向にあるとだけ告げられた。

 地獄のような日々だった。

 私は何もしていないのに、疲労が見て取れた。

 昼夜逆転の生活。

 起きては酒を飲み、ゲームをする毎日。

「紅音ちゃん。大丈夫?」

青木あおき。一緒に歌おう?」

 恋和ちゃんと凜藤君が誘ってきたが、私はそれも断って、ドアを閉めた。

「参ったな。こんなのってないよ」

「あたしたち、悪いことしていないのに……」

 そう。

 私たちは何も悪いことなんてしていない。

 ただ歩いていた。信号無視もしていない。

 なのに、暴走した一台の車が文字通り全部を吹き飛ばした。

「紅音。ちょっと、一緒に出かけてみない?」

 母の提案だった。

 このままではいけないと分かっていた私は僅かに頷いた。

 近所に買い物に行く。

 それがなんだか怖く感じた。

 私は久しぶりに化粧をし、服を選び、靴を履く。

 母に連れられて近所のスーパーに買い物に行く。

 なんてことのない道路も、以前とは違う気がして怖かった。

 生物生存本能なのか、一度遭った事故は私の脳裏に焼き付いた。

 しばらくして、裁判が開かれた。

 私は父の運転する車で移動し、苦しみながらも裁判に参加した。

 相手の言い分は「車のブレーキが効かなくなった。あれは車の故障だ」と。

 私にはどうでも良かった。

 そんなことはどうでもいい。

 ただ疾風君を返して欲しかった。

 身ごもった子も、事故で失っている。

 もう、なにも残っていない。

 泣き悲しむ毎日。

 事故の状況を聞く度、胸が苦しくなる。

 私は疾風君に庇われるようにして生き延びた。

 彼が守ってくれたんだ。

 ごめんね。こんな空っぽな私で。

 喧嘩もあった。

 すれ違いもあった。

 でもそれでも彼は真摯に向き合ってくれた。

 あんなに素敵な人はもういない。

 君の声が聞こえない。

 ――もう、聞こえない。

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