第6話 ♪外伝・幸運のライラックと友情-熱田の出会い-

――暦を司る神さまを時神ときがみとしてあがめる人たちがいる。その使者として時を旅する者たちは暦人こよみびとやカレンダーガールと呼ばれている。その時間移動には太陽と月の光、そしてそれらを祀る場所に開く「時の扉」が使われる。いにしえより続く、限られた人たちだけが、その役目のために隠密行動で時を超える。そして彼らの原動力は、いつの時代も人の世のやさしさ――



-名古屋・神宮前駅前-

「電話局が民営化って、どうなるんだぎゃ?」

「国鉄もなくなるってよ?」

「無くなるって、どえりゃこっちゃな」

「塩も買えなくなるのか?」

 道行く若者には、民営化の意味がよくわかない時代だ。かつてない未曾有の大鉈をふるった三公社五現業さんこうしゃごげんぎょう大改革に世の中が沸いた民営化の一年前。名鉄神宮前駅付近を歩く若者の会話である。時は一九八〇年代も中頃、バブル経済の始まる直前の軽いインフレ時期といったところだ。


 通りを隔てた熱田の森。その会館の大広間、持ち回りで暦人御師が行う時空神事、「時神節」が終わって、帰り支度を始めたときだった。主催だった熱田御師が開いた「時神節」の一同解散が言われての約十分後である。

「はて、ミヤさん?」

 仕事に脂ののった四十代の美しい女性、山村愛珠やまむらあいすが自分の持ち物である金釵子きんさいしの付喪神であるミヤを呼び出していた。紺のハーフ丈のスカートに、前結びリボンのブラウス、頭に鼈甲のバレッタ、神職からの依頼で伝統文化を教える仕事に従事する暦人御師だ。そして今回の熱田「時神節」会合の仕切り人でもある。昨年まで彼女はこの神社の神職でもあった。


「ミヤさんなら、表でお団子食べてたよ」

 大柄の男、大漁旗デザインの祭り半纏をまとった角川文吾かどかわぶんごが愛珠に伝える。東京都港区の飯倉御厨いいくらみくりやの御師である。

「あら文吾さん、お疲れ様。ありがとう」

「こちらこそ、お疲れさんだ。次回は芝と飯田橋の合同開催だ。東京でまた会おう」

 片手を挙げると、日に焼けたくしゃくしゃな笑顔、人なつこい口調で愛珠にそう言った。


 愛珠は丁寧に文吾にお辞儀をすると、小走りに会館の外に出る。

「ミヤさん!」

「あは、愛珠さん」

「またそんなところで」

「文吾さんに、きよめ餅、いただきました」

「まあ、文吾さんに?」

 二人が会話するベンチ、その隣のベンチで、同じくきよめ餅を頬張る男の子がいた。歳の頃は十代後半。高校生か、大学生ぐらいだ。渓流釣りに使う、紫外線よけ、そして水面の反射を可視化する偏光グラスをかけている。細めのカジュアルタイをだらりと結び、たれ下げたシャツが印象的だ。


 愛珠はその男の子に気付く。

「あんたと同じもの食べているけど、知り合いか?」と愛珠。ミヤに訊ねる。

「ああ、文吾さんが同じものを彼にもあげていたから」とミヤ。

 きびすを返し彼に尋ねる愛珠。

「君は文吾さんと知り合いなの?」


 その男の子は愛珠の顔を見て笑う。

「ああ、愛珠さん、お久しぶりです」と男の子。

 愛珠は首を傾げて、人差し指で頬につっかえ棒をする。思惟のポーズだ。

「ん?」

「忘れたの? 夏見粟斗なつみあわとだよ」

 男の子のその言葉に、愛珠の記憶はさかのぼる。

多野たのの夏見?」

「そう」

「清十郎さんの孫?」

「そう」

「あんた、そんな大きくなったの?」

「そりゃ、成長するだろう、時巫女や付喪神じゃないんだから」

 まだ会ったことはないが、時巫女や付喪神の存在は知っている夏見粟斗だ。


「ガッチャマンのお土産買っていった、粟斗か? あの飛行機、ごっど……」

「ゴッドフェニックス!」

 面倒そうに言い直す粟斗。

「そうそう」

 どうも幼少期の知人に、その辺りの時代の話題を出されるとくすぐったい年頃の粟斗は、「いつまでも子供の時のことを……」とそっぽを向いて、台詞を吐き捨てた。


 よそ見をしていた粟斗の隙をついて、胸元で抱きしめる愛珠。ベンチに座ったまま、おばさんの胸元で抱きかかえられながら、頭をカイグリカイグリと激しく撫でられる。おまけに偏光グラスを勝手に外してしまう。

「そーかそーか! こんなサングラスを付けて格好付ける歳になったか」

 思わず愛珠の両肩に手をやり押し戻して、体を引き離す粟斗。そして偏光グラスを取り返す。

「もう分かったから、大人扱いしろっての。しかもサングラスじゃねえよ。偏光グラスだ」と困った表情の粟斗。親戚のおばちゃん的な存在は、この歳の男の子にとって扱いが困る。


 そのやりとりの横で、「愛珠さん、ウチの父が愛珠さんを探していて……」と粟斗と同じ年の頃の男の子が会館の玄関口から走ってきた。いかにも利発そうな、そして聡明な顔つきの子である。丸メガネが良く似合う、チェックのワイシャツ姿。

「おお半太郎。ありがとう。ちょっと行ってくるんで、粟斗が帰らないように、相手していてくれ」と言付ける愛珠。そのまますたすたと会館の中にミヤと一緒に戻って行った。

 勝手に押しつけられた半太郎はたじろいだ。

「こんにちは」

 半太郎の言葉に、無言で餅を差し出す粟斗。

「いいの?」

「うん。もらいもんだ」

「ありがとう。君はどこの御厨?」

 頬張りながら訊ねる半太郎。


「今は船橋になったばかり」

「船橋か。大神宮と流山、それに東条だね」

 かじりかけの餅を一旦止めると、

「よく知っているな」と不思議そうな顔で夏見は彼に注目した。


「僕は八雲半太郎やくもはんたろうっていうんだ」

 粟斗は名前を聞いて、

「オレ夏見。八雲って、足利の梁田やなだの全太郎さんのところか」と返す。


 今度は半太郎が、

「よく知っているね」と驚く。

「オレ、多野市の『時の御厨』と言われる家の、傍流にあたる家の出だから」

「本当? 多野なら隣町だね」と半太郎。

「でもウチは多野の山奥だから、隣町とは言いがたい」と話す粟斗。


 そこに小学校高学年ぐらいの女の子がやって来た。思川乙女、後の寒河さんかわ御厨御師である。この頃はまだ和服姿ではない。普通にズボンとトレーナーだ。

「粟斗兄さん!」と駆け寄ると、横に半太郎がいることに気付く。

「あっ、半太郎兄さん……」ともじもじしている。

「乙女ちゃん、こんにちは。お父さんと来たの?」と粟斗。

「うん」

「そっか、はい」

 粟斗は彼女にも文吾からもらったきよめ餅を渡す。

「いいの?」

「いいよ」

「ありがとう。二人は知り合いなの?」

「うん。今知り合ったばかり」と粟斗。

「そっか」ときよめ餅を頬張る乙女。


 半太郎は、

「彼と知り合いなんだ」と乙女に訊く。

「隣の集落だから、おうちが」

 その言葉に、

「夏見君ちって、乙女ちゃんの隣の集落って事は、峠の麓の方だ。多野でも栃木市の方だね」と話す。

「そう。だから多野の中心地までは自動車で三十分以上かかる」と笑う。

「遊水池でつりが出来そう」

「みかもの月が綺麗な場所だ」と笑う夏見。


「優雅だな。『下毛野しもつけぬ 三毳山みかものやまの 小楢こならす 目細まくはろは たむ』と謳われた万葉情緒の漂う田舎だ」と八雲。博学ぶりを発揮する。


「お、万葉集東歌だ。歌心があるね。あのうら若き美しい乙女は、誰のお料理をするお嫁さんになるのかな、って歌だね」


「ロマンチックな風情のある田舎で生まれたんだな、君は。君のお嫁さんもそんな人がなってくれるといいね」と微笑む八雲。


「お嫁さんねえ。それこそファンタジーの世界だ。料理作ってくれる人なんているのかねえ」と笑う夏見。少年夏見のいうとおり、この三十年後に、皮肉なもので料理の苦手な世界的ピアニストが彼の妻になるのである。だがその妻は献身的でそれ以外は非の打ち所の無い澄んだ清い心の持ち主である。


「ファンタジーは田舎に付き物だ」という八雲の理屈に、頷いて返す夏見。

「そうそう、本当にあっちは田舎だ。だから映画は足利まで、よく見に行ったよ」

「電気会館は? 多野の映画館って言えば、そこだろう?」

「一年遅れでやってくるやつはそこで見る」

 この当時、地方都市によくあった三本立て均一料金制の映画館である。

「封切りは足利か」

「そう。だから『E.T.』は足利で見た。只の田舎者だよ」と笑う夏見。


「その多野の夏見君がどうして船橋へ?」

「船橋の夏見本家に呼ばれてね。跡取りが大きくなるまで御厨を頼むって言われたんだ」

「また大役を」

 八雲は自分とそう変わらない年齢の粟斗が、既に御厨のゲートを任されていることに憧憬の念を抱く。

「だよね」

「十代で御厨の御師って、本当凄いな」

「ありがとう。でも、わかんないことばかりだよ」

 腕組みして、「うんうん」と頷く半太郎。


「乙女が手伝おうか?」

 心配そうに眼差しを送る乙女。この娘、背伸びして、大人の話に参加できると本気で思っているところが微笑ましい。


 夏見は頭を軽くトントンと撫でると、

「またいつか、大きくなったらね」と笑う夏見。

「ああっ。また子供扱いしたでしょう」とすねる乙女。


 すると見ていた八雲が割って入った。


「子供が子供扱いされるのは特権だ。されておくべきだよ」と笑う。この頃から八雲はものの道理を弁えた人物だった。

「君、考えが利発だな。気に入った、また会おう。連絡先教えてくれる?」と粟斗。半太郎の知的な優しさと思考が琴線に触れた様だ。

「OK。じゃあ、会館の中に筆記具あるんで、渡すよ」

 乙女も含め、こちらの三人も、薄明かりの夕べを背に、会館の中へと入って行った。



-会館の中-

 絨毯の敷かれた会館の中央通路では愛珠と谷島屋やじまやのご隠居が会話をしている。紋付袴のご隠居だ。打ち合わせのようにも見える。谷島屋家は浜松近郊の磐田の御厨を管理する家柄だ。神戸鎌田御厨という。


「朱藤くんは、三井くんと二人で箱根以東の時空穴の確認を頼もうと思っている」

「ちょっと、朱藤君を三重から通わすの?」と愛珠が驚いている。

「いや、そうではなくて、桜ヶ丘の多岐さんの後を継いで、あのタイムホールが守れる人材になってほしいんだ」

「今度あそこには大神おおみわ御簾みすを用意することになると、三輪系時巫女である書泉しょずみ家からの伝言を受けた」

「なるほど、三輪系の御簾を潜れるものをあの地に常駐させたいということですね」

「多岐さんは、今から習得するのは無理だからと、辞退された。たまにでもいいので時空御簾じくうみすのメンテは思川おもいがわ家の人間にでもやってもらい、近い時期のどこかで三輪流の御簾を潜れる暦人を配置させたい」


 愛珠は頷くと、手帳を取り出した。

「じゃあ、まとめますね。箱根以東は、朱藤くんと三井くん。名古屋と三重、静岡は私、山村と谷島屋さんご自身ですか?」

「いや、私は無理だ。この歳では足手まといになる。私は体力的に不可能なので孫の春華はるかに行かせる」

「春華ちゃん?」

「うん」

「まだ高校生の?」

「うん」

「大丈夫でしょうか?」

「大丈夫、もう一人助っ人を呼んでいる。いくらひよっ子でも二人いれば何とかなる」

 腕組みして思慮深く、ゆっくりと言葉を発する谷島屋のご隠居に、

「ほかにあの沿道御厨の人材なんていました?」と質問を返す愛珠。


「いや、勘解由小路かげゆこうじの人間だ」

「……賀茂流末裔、お役人の娘。歌恋かれんちゃん」と愛珠。

「年の頃は春華と同じくらいなので、安心だ。ただ……」

 ため息の後でご隠居は再度、「ただ……」と繰り返す。


「ただ。なんですか?」

 谷島屋のご隠居は、

「実はここだけの話、彼女は未来から来た時置人ときおきびとなんだ。知り合いを作るとパラドックスの心配がある。今日、ここに既に呼んでいるのだが、どうしたもんかと」と内緒話を愛珠の耳元でする。

「うーん……」

 気難しい顔の愛珠。人手はほしいが、やっかい事はごめんという狭間で迷っている顔だ。


 谷島屋のご隠居と愛珠はあごに手をやり悩んでいる。そして二人は『閃いた』という顔を同時にすると、「あだ名!」と声を揃えた。

「作業に際しては、そこで知り合う人たちに通り名で呼ばせましょう。名前を変えましょう」

 愛珠はそういうと、谷島屋のご隠居は、テーブルの上に置かれている『ハイ・サワー』のボトルを見て、「はいさわ、だな」と呟く。

「杯佐和ですね。急いで皆に告知しましょう。漢字は祝杯の杯に、佐藤さんの佐、平和の和で杯佐和で行きます」

 密談も終わり、谷島屋のご隠居は、その場に東海道の御厨の御師たちを集めた。


-佐和登場-

 きよめ餅の箱をゴミ箱に捨てると夏見粟斗は、会館の入口で、見覚えのある顔に出くわす。内気で人の良さそうな人物だ。綿パンとカメラマンベスト姿で階段を下りている。


「あいつも多分、同い年だぜ」と笑う粟斗。

「誰?」と半太郎。

「あのギター抱えて、ぼけっとしているあいつだよ」と笑う。


「口悪いな」と半太郎。

「そうか? 悪口じゃないぞ」

 そう言いながら駆け寄る夏見。

「山崎くん」

 声をかけると、

「やあ、夏見くん……だっけ?」と返す山崎。

 アコースティックギターのソフトケースを肩に背負い、カメラバッグを手に持っている。銀縁の眼鏡の奥には優しそうな瞳が光る。


「相変わらず大荷物だな」

「うん。これがないと寝られない」

「中毒だな」と笑う夏見。

「夏見君は今もエレキ弾いてるの?」

「弾いているよ」

「そっか。やっぱ夏見君は格好良いな」

 そう言って持っているギターとカメラを置くと、

「何かつまんなかったね、暦人の会合」と山崎。

「まあ、オレたちはおまけみたいなもんだしなあ」と納得の夏見。

「そのうち僕らが役に立つ時代も来るさ」と励ます半太郎。


「ねえ、夏見君、今回の『時神節』、もう終わったから、このまま釣りに行かない? 気分転換したいよ」と提案する山崎。

「良いけど、その大きな荷物、ギターどうするの?」

「祖父が一緒だから、祖父に車で持って行ってもらう。三重の名古屋寄り、ライラックの綺麗なキャンプ場近くに良い渓流があるんだ」

「いいねえ」

「じゃあ、決定だね!」


 山崎は、半太郎の立っている方を見て、

「そちらは誰?」と訊ねる。

 そして夏見は紹介するために半太郎の方を見ると、彼の視界にはなぜか中学生くらいの女の子がいて、半太郎の姿は見えなかった。

「あーし、杯佐和ってんだ。兄ちゃんたちよろしくね」

 短パンにTシャツ、おまけにショートにした髪の色は朱塗りの鳥居のようである。ラメの入った紫シャドーを塗って、不良少女を地で行くスタイルだ。


 驚いたのは夏見。紹介するはずの半太郎がいなくて、知らない女子が勝手に自己紹介を始めている。

「おまえ誰だ?」

 夏見の驚く声に、

「だからあーしは、杯佐和だって言ってんだろ!」と態度の悪い返答をした。

「どこの御厨だ?」

「谷島屋の遠縁だ。文句あんのかい?」

「無いけど、こんな擦れ枯らしの暦人、見たことない」

「すれからし? なんだいそれ」


 言葉の意味が分からない佐和は、人差し指を咥えて目を見開いていた。


「美人てことだよ」とどこからともなく現れた半太郎。口元に人差し指で「しっ!」と夏見の反論を押さえる。そして彼女には、あざとく言葉の意味を誤魔化すことが出来たことを笑った。

「おい」

 夏見は明らかに『違うだろ!』という顔で半太郎の顔を見る。そして「口悪い所じゃない。これ騙しだろ、人が悪い」とぼやいた。


「なんだ、あーしに興味があんならそう言えよ」

 肘で軽く夏見の二の腕を突く佐和。何も分かっていないようだ。

「あるわけないだろ! 中坊は家帰って寝ろ」

「照れちゃってまあ、追々仲良くしてやるからな」と上から目線の彼女。生意気だ。

 そう言って夏見の腕に自分の腕を絡める。

「半太郎、おめえ本気で恨むぞ」

 本気で困った表情の夏見に、無言で拝むように謝罪をした半太郎。


 そこに愛珠がやって来て、

「ああ、赤い頭の中学生」と確認する。

「あなた杯佐和さんよね」

「あいよ」

 夏見と腕を組む佐和を見て、

「何? 粟斗、あなた知り合いなの?」と笑う。

「そんなわけ無いだろう。今さっき知り合った、というよりも一方的に絡んできた」

 そのむすっとした表情を読み取ることもなく、

「佐和さん。みんなに紹介するから、こっちに来て」と言って、愛珠は徐に彼女の手を取り、引っ張っていった。


 山崎はあっけにとられ、

「夏見君はいろいろな人と知り合いなんだね」とぽかんと口を開けている。

「あの不良娘は知り合いじゃねえし」と知らん顔の夏見だった。


「あー、申し遅れたけど、山崎君。僕、足利梁田の御師の息子で八雲半太郎って言います。宜しくね」

「うん、僕は山崎凪彦やまさきなぎひこ大庭おおば御厨の御師見習いです。宜しく」と、佐和のゴタゴタ劇に巻き込まれ、勝手に紹介し合う羽目になった二人だった。



-三重県山奥のキャンプ場-

「ここが良いな。水はけも良さそうな高台だし、ペグも刺しやすい粘土表層だ」

 ジャージーにスウェット姿で、作業着がわりの三人。

「夏見くん詳しいね」

「将来は自然探索と文筆を仕事にするんだ」

 頭を掻きながら恥ずかしそうに夢を語る粟斗。

「なるほど、結構自然環境は、この先重要な分野になりそうだもんね」

 八雲は田舎育ちと言うこともあり、こういったことには肯定的だった。


「さて、まずこのテントの下に敷くシート、これがオレたちの寝場所の床になる。そのシートより一回り大きく掘り割りをスコップを使って掻くよ」

「どういうこと?」

 夏見以外の二人はキャンプに素人だ。

「もし雨が来ても、水が掘り割りを伝って、流れるからテントに入ってこない。水はけを良くするための準備だ」


 理屈を考えれば当たり前の準備、二人は粟斗に習い同じ行動をする。

「なるほど。雨樋代わりってわけだな」

「うん。なるべく深く掘っておいてくれ」

「OK」

 三人はテントの床となるシートを広げ、その四方を一回り大きく描くように、溝を掘っている。


「終わったら?」

「骨組みを作る。今日持ってきたやつは逆T字型の支柱をテントの前後と真ん中に立てて、その三つをテントの尾根、屋根伝いの上一本と、土台枠となる左右下二本の横柱で結ぶ仕組みのものだ。きわめてオーソドックスなテントらしいテントだ。これしかキャンプ場で借りられなかった」

「おお、骨組みだけでテントの形が想像できる」

 バサリと音を立てて、布団を敷くように、テント布を広げる夏見。

「この布、布の中央と前後に穴が開いているだろう。その穴に逆T字の骨柱を通しちゃう。すると三角形のテントが張れる」

「本当だ」

「ここからが力仕事になるよ。左右二手に分かれて、屋根布を引っ張って、そのままの張り具合で、逆T字の足のステンレスの骨のフックに布の隅にあるひもを引っかけて。この張り具合を維持したままね」

「前の入口部分、一つが終わったら、真ん中のひも、そして奥のお尻のひもまで同じようにやるよ」

 三人はどうにか三角柱を寝かせた形のテントを作り上げた。


「凄い。本で読んだテントと一緒だ。こうやってテントを張るんだね」

 山崎の言葉に、「まだ終わっていないよ」と夏見。

 テント入れの袋から丸められたテント布をもう一本取り出す。

「どういうこと?」

「雨除け布、タープ布って言うのがあるんだ。風でテントが転がったり、雨で布が重くなってつぶれないように、もう一枚防護壁代わりの布を張るんだ」

「へえ」

 何の変哲も無い正方形に近い布にも、中央部に前後三つの穴があった。そして八雲と山崎に鉄の杭、ペグが二本渡された。

「まず、このペグを石でも小槌でも良いので、テントの横の前後とその真ん中に打ってくれ。雨よけのタープ布のひもを引っかけるからしっかりと固定できるように打ってほしい」

「了解」

 三人はペグを打ち付けると、さっきと同じ屋根伝いの突起に布の中央の穴を当てる。

「よし穴にかませたら、なるべく強く引っ張って、ひもをペグに順に引っかけていって」

「了解!」

 声を合わせる山崎と八雲。

 綺麗に出来上がった山吹色の三人のお城は、まるでこの後の彼らの人生における友情の証のようにそびえ立っていた。


-友情-

「ない!」

 夏見の言葉に山崎と八雲は振り向く。

 テントの中から出てきた夏見は、空になったポテトチップとポッキーの箱を握りしめて、靴を履いている。


「君ら、どっちだ? これを食べたのは?」と夏見。


 顔を見合わせて、両者ともに首を横に振った。

「食べた?」と山崎。

「いや、だって僕たち組み立て以後、中には入っていないし、お互いこの釣り場を離れていなかったよ」と八雲。


 眉間にしわを寄せ、眉をピクピクさせる夏見。

「ホー、ってことは、二人が口裏合わせと言うことかな?」


「疑うのか?」と八雲。額に汗の緊張の瞬間である。


「じゃあ、この状況証拠を、どう釈明するんだ? 狸がご丁寧に封を開けて食べたとでも言いたいのか?」

 物理的証拠がある以上、誰かが食べたことは間違いない。誰も食べていないという答えは、納得の出来る解答でないことも、皆が分かっている。空の菓子箱を手に、夏見が演説をしている前で、山崎と八雲は、指を指し、

「狸!」と口走る。


 夏見は渋い顔で「たぬき?」と言いながら、きびすを返し後ろを向いた。

 そこにはカールのカレー味をおいしそうに食べている赤い髪の佐和の姿があった。おまけにもう一方の手には三重県民のおやつ田舎あられとおにぎりせんべいが握られている。狸の正体は佐和だった。


「こらっ! そこの小娘。なに人様のもの勝手に食べてんだ」

「だって、ナッツとヤックンのものは私のものだ」

「お前さんはジャイアンか?」とこの時代、既に定説となっていたアニメのお約束の台詞で呟く八雲。


「なっつ……?」と首を傾げる夏見。一瞬たじろいだが、持ち直して、

「いったい全体なんで、おまえがここにいる」

「遊びに来た」

 悪びれたそぶりもなく、お菓子を頬張りながら答える佐和。

「誰と」

「ナッツとヤックンと山さん」

 彼女の中で既に恣意的で、一方的に、ニックネームで呼び合う仲になっているところが笑える。


「おまえと友達になった覚えはない」

 ばしっと言ってみせる夏見。すると佐和は、

「うん、そうだ。ナッツだけは友達じゃない」と平然と言い切る。

「えっ?」

 夏見は予想だにしない反応が返ってきたことに少々驚く。他人扱いされて、ほんの少しヘコんだ。

『オレだけ友達じゃない?』

 少し寂しい心の声が響く。


 すると口の周りをカレーの粉だらけにして、腕を絡める佐和。

「だって彼氏じゃん!」とウインク。

 慌てて絡めた腕をほぐすと、

「誰が彼氏だ!」とおもむろに否定。


 すると突然、顔をゆがめて、

「なんで?」と夏見の手を両手で握る。それも両目にあふれんばかりの涙をためて。

「ええっ?」

 夏見、思考回路停止。山崎、情緒不安定。八雲、分析開始。三者三様に態度が割れた。一番役に立ちそうなのが八雲だ。


「あの訊くけど、君、どっからここに来たの? ここ三重県の山の中でバスはとっくに終わっているよ」

「タイムホール」

 彼女の言葉に冷静に返す八雲。


「タイムホールって言うのは、時間を越える道具で神社にしかほぼ無いんだけど」

 すると彼女は少し笑顔に戻して、

「私、カレンダーガールだから、違うタイムホールたくさん使えるんだよね」と言う。

「かれんだあがある?」と夏見。


「教会を使う暦人のことですよ、夏見君」と山崎。

「そんなのがいるのか?」

「うん。母から娘に受け継がれている女人限定世襲制の暦人です」

「そうだ、山さん、詳しい」

 嬉しそうに佐和が正解の親指を立てる。


「彼女たちは、アミュレットというまじないグッズで、空間にタイムホールや時空移動ホールを導き出せるんで、神社に行かずとも、時間と空間を移動できます」

 続ける山崎に、八雲と夏見は尊敬の眼差しを送る。

「すげえ、山崎くん。物知り」

 佐和は、

「そういうこと。だからここにもゲートを結んだんだけど、ゲートの出口がテントの中だった。その出口に偶然落ちていたお菓子を食べた、っていうのが真相だね。なにも問題ない」と威張って語った。

 そんな言葉全く聞く耳も持たない夏見は、

「問題大ありだ。拾い食いの素行の悪さもさることながら、人様の貴重な食料を食い荒らしている。じゃあ、ご自慢のそのゲートを使って今すぐ帰れ!」と襟首をつまんでテントの方に引き戻す。

「あーし、あんたの彼女だぞ!」

「オレは彼女なんていない。とっとと帰って、コンデンスミルクをお湯で溶いておいしく飲んで、家でおとなしく寝ていろ」と夏見。貴重な食糧のひとつではあるが、コンデンスミルクの缶を土産がわりに佐和に押し付けて、持たせた。


 彼女をテントに押し戻そうとしているとき、辺りの水音が止まった。八雲と山崎が、「来るぞ!」と叫ぶ。

「時間停止だな、これ」と夏見。とりあえず佐和の襟首を離す夏見。


 するとモノクロームの世界が広がり、水の流れが止まったキャンプ場に、もう一つの人影が現れた。

 まるで静御前の舞姿のような衣装、頭に黒の女官帽、朱袴あかばかまと白の千早ちはやを身につけた四十代の女性である。

「時巫女」と八雲。


 その言葉に反応するかのように、人影は実体化して、多霧たぎりの時巫女が夏見たち四人の前に現れた。


「新しい船橋殿、梁田殿、大庭殿、ごきげんよう。私は多霧の時巫女と申す。これから貴殿たちの暦人としての仕事をサポートする協力者だ。時神さまの命を貴殿たちに伝え、時には行き詰まった状況の手助けも出来よう、まずはご挨拶に、と伺った。挨拶がてらの贈答だ、受け取れ。大庭殿と船橋殿については、近々、時の勘解由使かげゆしからの達示が届く筈だ。移文うつしぶみの儀は次の満月の夜になるだろう」


 そう言うと、テントの前に小さな河雪車かわぞりが現れ、その上にはどっさりとお菓子の山が積まれていた。


「それと、そこの跳ねっ返りの赤毛の娘な、少々手荒でも良いので、おまえたち三人で少しまともに矯正してやってくれ。彼女の両親からのたっての願いじゃ。暦人の名家の生まれなのだが、自覚もなく、ふてくされた生活をしている。貴殿たちへの時巫女依頼の初仕事だ。頼んだぞ。また今回の「時神節」で大人たちが苦労していた時空穴の問題はいずれおまえたちの時代にも起こりうることだ、しっかりと勉強、精進して、その時に備えておいてくれ」


 そう言うと時巫女は、煙のようにたちまち姿を消してしまった。


「あーし跳ねっ返りじゃないし。穴ふさげるしー」とふてくされる佐和。台詞とは裏腹に、雪車に駆け寄って、山のようなお菓子にご機嫌のようだ。そして「あっ、ライラック」と渓流のせせらぎのそば、キャンプ場の管理人が植えたであろうライラックの花を見つけた。


五又いつまたじゃん、ラッキー・ライラックだ。しかも音符の鉢植えに植わっている。可愛い」と未来暗示をまだ読み取れない佐和。恋のおまじないの花として、ヨーロッパでは珍重されるこの五本の枝分かれしたラッキー・ライラック。今、この場所でこれの意味するものは、夏見の未来の花嫁である。ヨーロッパの花であるライラックと音符に込められた意図。ひよっこカレンダーガールだった当時の佐和には少々難しい暗示である。この暗示、ここにいる誰一人解くことは出来なかった。



 一方の三人組は初めて会った時巫女に驚いている。


「時巫女って本当にいるんだな」と八雲。

「凄いですね。僕らもそんな歳になったんですね」と山崎。

 夏見は「そろそろ大人の階段を上らなきゃいけないってことか」と呟く。

「いずれにしても、今までのような大人任せではなく、オレたちも自分で考えて行動をしていくということか」とため息をついた。

 他の暦人がそうであるように、弱者保護と時間管理の仕事が待っていると気づき始める三人。ふと気付くと、せせらぎの音が戻り、時間が進み始めた。

「大人か……」

 偶然にも三人の言葉は被った。

 せせらぎの脇にある花壇にも、色が戻り、紫色のライラックの花が咲いている。涼を求める花、故に渓流の涼しい木陰で育つのだろう。そしてキンモクセイとは、親戚のようなこの花は、時巫女がその霊力を宿すのにうってつけの花だった。おかげで、多くのプレゼントも受け取れたのである。そこで嬉しそうにお菓子を頬張る佐和。ご満悦だ。

 ライラックの花言葉、『友情』。それをこころに受け入れ、暦人御師として、選ばれることになった三人のスタートの瞬間だった。

                            了

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時神と暦人4⃣ 伊勢の時間物語 南瀬匡躬 @MINAMISEMasami

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