第34話 祭の後





「どう? ニーナ。ここまで話してきて、まだ自白する気にはならないかしら?」

「……」


 緊迫した空気が流れる中、マリアージュとニーナは依然対峙したままだった。

 ニーナは乳母車から降りる気配を見せず、どうやら自首する気はないらしい。

 なるほど。実の母親を殺すだけあって、彼女には彼女なりの覚悟があるということか。

 

「そうしてずっと歩けないふりを続けるつもり? どうせ証拠がないからと、高を括ってるのかしら?」

「……」

「でも証拠はあなた自身の体に残っていてよ? まずその左腕に残ったひっかき傷。それは抵抗するドナにつけられたものでしょう?」

「!?」


 指摘され、ニーナは馬鹿正直に左腕を押さえてしまった。

 確かにニーナの左腕には、うっすらと赤くなったひっかき傷がある。

 さすがに出来たばかりの傷を誤魔化すことはできなくて、背中に冷や汗が流れた。


「こ、これは近所の猫に引っかかれただけ……」

「あら、やっと口を利いてくれたわね」

「………」

「でも残念ながら、他にも証拠はあるの。ユージィン」

「了解」


 マリアージュは笑顔のまま、容赦なくニーナを追い詰めていく。

 名を呼ばれたユージィンが一歩前に進み出て、一つのクリスタルを鞄から取り出した。呪文を詠唱すれば、痛ましい遺体の画像がホログラムのように宙に浮かび上がる。


「ごらんなさい、これはドナの遺体の写真……。魔法で撮った記録よ」

「………」

「ドナはあなたに刺されて、驚愕の表情のまま亡くなったはず。でもあなたは現場から立ち去る時、ドナの瞳を閉じさせた。せめて天国に旅立つ時は、安らかに眠ってほしくて」

「……っ!」


 ニーナもまた母同様、驚愕の表情で固まる。

 まさか遺体の状況から、そんな些細な動作まで見透かされるなんて。


「普通、通り魔や怨恨で人を殺した場合、わざわざ被害者の目を閉じたりしないわ。そんなことをするのは、被害者に近しい家族や親族だけ」

「……」

「そしてドナの瞼にはわずかな血痕と、犯人のものと思われる指紋が残っていた」

「……シモン?」


 聞き慣れない単語に、ニーナは眉をひそめる。

 マリアージュはサッと前にひとさし指を差し出した。


「ほら、自分の指をよく見てごらんなさい。指の表面には渦巻き状の紋様があるでしょう?」

「……これが……何?」

「それが”指紋”よ。指紋は一人一人異なるの。その指紋が他の人と一致する確率は、約600億から800億分の1……鑑定法の精度によっては1兆分の1とも言われているわ」

「……えっ!?」

「つまり確率的に言って、遺体に残されていた指紋とあなたの指紋が一致すれば、それが動かぬ証拠となるの」

「………」

「さぁ、じゃああなたの指紋を調べさせてもらいましょうか。大丈夫。手間は取らせないから」

「……っ!」


 マリアージュがさらに歩み寄ろうとした――その時。ニーナはそこで初めて乳母車をサッと降りた。そして今までの状態は何だったんだと思うほど俊敏に、台所へと駆け込んだのだ。


「あっ!」

「ニーナ!?」


 あまりの速さに驚いて、マリアージュやユージィン達は、咄嗟にニーナの後を追うことができなかった。

 一方のニーナは必死の形相で、戸棚から凶器とは別のナイフを取り出す。


(まずい! なんだか知らないけどまずい! あの女の言ってることはよくわかんないけど、このままじゃあたしは衛兵隊に捕まる!!)


 ニーナは何としてでも追及から逃れようと必死だった。頭の中は完全に混乱し、極度のストレスによるアドレナリン大放出で興奮状態に陥った。

 この指に母を殺した証拠があると言うなら、その証拠を急いで隠滅しなければ。

 ――そう、例えこの指を切り落としてでも……!


「やめろ、ニーナ!!」

「きゃあぁっ!」


 錯乱したニーナはナイフで自分の指を落とそうとするが、それを背後からアルフが羽交い絞めで止める。手刀で弾かれたナイフは床の上へと落ちた後、からからと回転して部屋の隅まで転がった。


「こんなことしてどうする!? それにお前が無茶したら、フリッツが悲しむぞ!」

「……っ!」


 フリッツの名を耳にした途端、死ぬ気で抵抗していたニーナの動きがぴたりと止まる。

 さすが疾風のアルフ。

 さすが数ある衛兵隊の中でも名うての隊長である。

 犯人が自傷行為に走るのを素早く阻止したばかりでなく、ニーナが最も心揺さぶられる言葉を投げかけたのだ。


「フリッツは今、衛兵隊の兵舎にいる。ドナを殺したのは自分だと自白したよ」

「……」

「本人が自白しているから、俺達はあいつを犯人として逮捕することができる。けれど前科のあるあいつが怨恨を理由に殺人を犯したとなりゃあ、今度こそ死刑は免れないだろうな」

「そ、んな……」


 アルフの厳しい言葉に、ニーナは見る見るうちに青ざめた。

 「後のことは俺に任せろ」と言っていたあの時の笑顔の意味が、やっとニーナにも理解できたのだ。


「ち、違うよ、フリッツおじさんは無罪だよ。お願い、おじさんを捕まえないで……」

「ニーナ……」

「フフフ、うまくいくと思ったのになぁ……。お母さんを殺して、足が不自由なあたしは容疑者から外れて。そうして元気に歩けるようになったら、またフリッツおじさんと仲良く……」



 ――仲良くいつまでも、幸せに暮らせると思ったんだ。



 そう言いながら、ニーナは大きく泣き崩れた。

 その後の捜索でフリッツがニーナに貸した上着がアパート室内から、また凶器のナイフも近くの運河から発見され、ニーナがドナ殺害の真犯人であることが確定する。



 こうして少女の悪夢は――終わった。

 けれどまたここから、新しい悪夢が始まる。

 母を殺した娘はその罪を償うために、再び気が遠くなるほど辛い日々を送らねばならないのだ。













 その後、ニーナはアルフの手によって衛兵隊兵舎に連行された。

 途中、危なげなく一人で立って歩くニーナを見て、下町の人々は驚いた。


 アルフとニーナの後ろを歩きながら、マリアージュは思う。

 せめてあと一日。

 あと一日早くニーナと出会っていれば、彼女の狂気を止められただろうか。


 それが意味のない仮定だと知りつつも、マリアージュは母に虐待され続けた少女が哀れに思えて仕方なかった。

 そんな彼女に救いがあるとするならば……ただ一つ。



「ニーナ……」

「フリッツおじさん……」

 


 マリアージュ達が兵舎に着いた時、逮捕されたニーナと入れ替わりで、ちょうどフリッツが釈放されるところだった。

 兵舎の玄関ホールですれ違った二人は、同時にくしゃくしゃの泣き顔になる。


「おじさん、ごめんね。それからありがとう。あたし、やっぱり捕まってよかったと思う……」

「ニーナ……」


 手首に巻かれていた縄を外されたフリッツは、ふらふらとした足取りでニーナに近づく。


「……待ってるから」

「……」

「俺はお前が罪を償って帰ってくるのを、ずぅっと待ってる。それを忘れるな」

「……っ、おじさんっ!」


 ニーナはくしゃくしゃだった顔をさらにくしゃくしゃにし、目の前のフリッツの胸に飛び込んだ。

 よしよしとニーナの頭を優しく撫でるフリッツの姿に、アルフやその他衛兵隊士はもらい泣きしている。


 おそらくニーナは未成年であることを差し引いても、ある程度は情状酌量されるだろう。

 母親から受けた苛烈な虐待が今回の犯罪の引き金になったことを主張すれば、おそらく更生施設行きが妥当と判断される可能性が高い。



 ドナとフリッツ。

 二人は一人の少女を愛したが、その愛の性質は大きく異なった。



 血の繋がった親子でありながら、娘を自分の自尊心を満たすための道具としてしか愛せなかったドナ。


 一方、血の繋がりはなくとも少女の心にしっかり寄り添い、彼女の希望となったフリッツ。



 

 本当に愛の形は様々だ……と、マリアージュは大きなため息をつく。

 そしてこれほど痛ましい事件が起こったことを悲しく思いながらも、ニーナがまた別の形で救われますように……と、心から願ってやまなかった。





              ×   ×   ×





 祭の後。

 事件解決から二日後。


 マリアージュは休暇を取っていたエフィムと顔を合わせ、事件の顛末を報告した。また今回初めて殺人事件に遭遇したコーリーも、一緒に執務室でお茶を飲んでいる。


「なるほどなるほど。では早速ユージィンの指紋解析とコーリーの毒の分析データが、事件解決の役に立ったと言う訳じゃな」

「そうなのよ。よくやったわ、コーリー」

「いいえ、私が唯一頑張ったことなんてゴミ漁りくらいで……。実を言うとまだニーナが犯人だったとは信じられなくて、ショックを引きずってるところです……」


 しかし肝心のコーリーはと言えば、すぐに頭が切り替えられないのか、表情が沈みがちだ。エフィムはきょろきょろと辺りを見回し、ここにいない人物について尋ねる。


「そう言えばユージィンはどうしたんじゃ?」

「ドナの事件でDNA鑑定が使えなかったことが堪えたらしくて、あれ以来ずっと自分の研究室に籠もりきりよ」

「おや、なんと……」

「とはいえ、あまり根を詰め過ぎても体を壊すから、コーリー、適当なところで休憩を取らせてやってちょうだい」

「はい、わかりました」


 そんな会話を交わしていると、何やらメメーリヤ分院の廊下側からガヤガヤと人の声が聞こえてくる。


「……? 何かしら」

「私、ちょっと行って見てきますね」


 ドミストリ家から連れてきたメイドは、マリアージュの奇行を恐れて全員辞めてしまったため、今や主な雑用はコーリーの仕事でもある。

 そして玄関ホールへ向かったコーリーは、意外な人物を連れて執務室に戻ってきた。


「マリアージュ様、あの実はお客様が……」

「よぉ、嬢ちゃん。邪魔するぜ」

「あなた、アルフ!?」


 コーリーの案内を待たず、颯爽と部屋に入ってきたのは、誰あろう14衛兵隊隊長・アルフ=ローレンだ。もう二度と会うこともないだろうと思っていた男の再登場に、マリアージュは目を丸くする。


「それにしても王立医術院ってのは、随分立派な場所だな。普段の俺なら絶対寄り付かねぇわ」

「今日は一体どうしたの?」


 見ればアルフは数名の部下を従えていた。

 マリアージュは不意に嫌な予感を覚えて、紅茶を飲む手を止める。


「まぁ、そう警戒しなさんなって。実はな、今朝フラグランス公園の近くの用水路でチンピラが一人死んだ」

「あら、まぁ」

「だがその用水路に流れる水は、わずか高さ10センチ。普通なら大の大人が溺れ死ぬわけがない水深だ。あ、これ詳しい資料な」

「ちょっと見せてちょうだい」

 

 マリアージュはアルフから事件のあらましを聞くために、重い腰を上げた。その反応を予想していたのか、アルフはにやりと不敵に笑う。


「衛兵隊としては単なる溺死と片付けても支障はないが、なんか引っかかってな」

「引っかかるとは?」

「これは俺の勘だが、この溺死には裏がある。そこで嬢ちゃんに遺体を解剖してもらったらどうかと、閃いたわけさ」

「……」


 ――ニヤ、ニヤ、ニヤ。


 どうやらアルフはマリアージュを利用する気満々のようである。

 別に衛兵隊から司法解剖依頼を受けるのは構わないが、先日とは打って変わって手のひらを返したかのようなアルフの態度には若干の違和感を覚える。

 マリアージュは仁王立ちして、その真意をただすことにした。


「一体どういう風の吹き回し? こうしてわざわざお見えになったということは、法医術の有効さを理解して頂けたと解釈しても?」

「ああ、もちろんだ。それに俺達衛兵隊と連携すれば、嬢ちゃんにもメリットがあるだろ?」

「は?」


 本気で分からないという風に、マリアージュは眉をひそめる。


「ドナの事件では、嬢ちゃんの法医術とやらに助けられた。あの指紋やらディー何とか鑑定とかも、今後事件の捜査に役立ちそうだ。それでメメーリヤ分院について、ちょいと調べさせてもらった。嬢ちゃんは、今までに子爵令嬢殺人事件と、ファムファロスでの事故死を解決してるな?」

「ええ、まぁ……」


 アルフが言わんとしていることが見えなくて、マリアージュは多少イラっとする。


「けど解決したのはその二件と、この前のドナの事件を含めてもわずか三件だけだ。どんなに優れた技術でも、それっぽっちの実績しかなけりゃ世間には信用されねぇよなぁ?」

「うっ、それは……」


 マリアージュは思わず言葉に詰まって、後ずさる。

 アルフの言葉は的確にメメーリヤ分院の急所を突いているのだ。


 一に実績。

 二に実績。

 三、四がなくて、五に実績。


 とにかく今のメメーリヤ分院に必要なのは『法医術をはじめとする科学捜査技術は有用である』という事実が一般社会に浸透すること。

 そのためには司法解剖件数が多ければ多いほどいい。

 そこまで説明されて、マリアージュはアルフの言わんとしていることを完全に理解した。


「そう、つまり俺達衛兵隊は、冤罪をなくすためにも嬢ちゃんの法医術を活用したい。逆に嬢ちゃん達は衛兵隊の持ってくる事件に協力することで、法医術の実績を積める。どうよ、これってウィンウィンの関係じゃねぇか?」

「それはそう……だけど」


 いつの間にかズイズイと目と鼻の先までアルフに距離を詰められ、マリアージュは全身に冷や汗をかいた。

 アルフの提案は正しい。

 正しい……のだが、これからメメーリヤ分院と衛兵隊が協力体制に入るということは、しょっちゅうアルフとも顔を合わせるようになるということだ。

 『CODE:アイリス』の攻略キャラである……アルフと。

 それってつまり。


(ま、まさかこれが破滅フラグに繋がったりしない!? ちょっと私、大丈夫? なんかまたいつの間にか攻略キャラとの距離が縮んでんだけど……)


 なんだか嬉しそうに微笑むアルフを前にしていると、また自ら棺桶に片足を突っ込んでしまった気がしてならない。

 マリアージュは己の迂闊さを反省し、同時にどう転んでも攻略キャラと絡んでしまう己の運命を呪った。


「てな訳でこれからよろしくな、嬢ちゃん。俺達これから深くて長ーーーい付き合いになりそうだな♪」

「きゃあっ! 淑女の頭をいきなりグリグリするもんじゃありませんわ! というか、どうして私の周りにはこんな無神経な奴しかいないんですのぉぉぉーー!?」


 ――深くて長ーーーい付き合いなんて真っ平御免よ!


 マリアージュの心の悲鳴は、残念ながら青い空の向こうへとあっけなく吸い込まれていく。


 大きな祭の後にやってきたのは、新しい恋の予感。

 意図せずまたもや攻略キャラの好感度を爆上がりさせてしまったマリアージュは、さらなる修羅場へと突入していくのだった。

 





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悪役令嬢マリアージュの異世界法医学ファイル 相模六花 @rikka-sagami

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ