第30話 不自然な嘘





 自分の罪を認めるフリッツの声は重々しく、絶望に満ちたものだった。

 かつては愛したはずの女性をめった刺しにしなければならないほど、彼の中で愛憎が渦巻いていたのだろうか。


「おまえは今夜18時頃に踊る仔兎亭を訪れて、店内でドナと口論になっているな。その時に手痛く振られて、殺害を決意したのか」

「ああ……ああ、ああ、そうだとも! 俺がドナを殺した。殺したんだ! もうそれでいいじゃないか!」

「いいわけあるかっ!」


 狼狽するフリッツに対し、アルフも鬼の形相で怒鳴る。

 バン!と目の前の机を力任せに叩き、さらに尋問を続けた。


「凶器はどこだ? 現場には落ちてなかったぞ」

「す、捨てた……」

「どこに?」

「忘れた……」

「まだ犯行から半日も経ってねぇ。忘れるはずないだろうがっ!」

「………っ」


 アルフから激しい怒声を浴びせられても、フリッツは態度を変えなかった。むしろアルフが熱くなればなるほど、フリッツは貝のように固く口を閉ざしてしまう。

 それから10分以上尋問が続いたが、フリッツは要領を得ないあやふやな証言を繰り返すだけだった。


「フリッツの呼吸音が荒いわね」

「え?」


 そのやり取りを壁越しに聞いていたマリアージュは、一つの異変に気付く。

 声だけしか聞こえないからこそ、フリッツの不自然な息切れが気になったのだ。


「行くわよ、ユージィン、コーリー!」

「あ、マリアージュ様!」


 隠れて盗聴していたことも忘れて、マリアージュは尋問が行われている部屋の入口方面に回る。もちろん扉の前には衛兵隊士が立っているが、


「私はドミストリ公爵令嬢よ。私の前に立ちはだかる者は誰だろうと許さなくてよ?」


 と、凄めば、大抵の者はビビッて道を開ける。

 そのまま扉を開き、図々しくも取り調べの現場に雪崩れ込んだ。アルフやその他の隊士達もギョッとして、すぐにマリアージュ達を追い出しにかかる。


「おい、部外者が勝手に入ってくるな!」

「私は医術士よ。病人を放ってはおけないわ」

「病人?」


 けれどマリアージュは怯むことなく、フリッツの傍に近づいた。

 そして彼の額に手を当て、体を診察する。


「息が苦しい? 踊る仔兎亭で見かけた時から気になってたけど、微熱もあるわね」

「く……薬がある」


 フリッツはハァハァと荒い呼吸を繰り返しながら、ポケットから薬包を取り出した。そのうちの一つが、ぽとりとマリアージュの足元に落ちる。


「コーリー」

「はい」

「この薬の成分を分析して」

「わ、わかりました!」

「それからユージィン」

「はい」

「ドナの死亡状況から見て、犯人はかなりの量の返り血を浴びたはずよ。フリッツの全身にルミノール……血液反応が残っているか、魔法で確かめて」

「了解」

「おいおい、勝手に話を進めるな! それに病気と言っても、フリッツはただのアル中だろう!?」


 アルフは怒り心頭でマリアージュに詰め寄るが、逆にマリアージュはアルフのわし鼻をギュッとつねり上げる。


「あらあらあらあら、あなたのこのご立派な鼻は単なる飾りなのかしら? よく嗅いでごらんなさい。フリッツからアルコールの臭い、する?」

「何?」


 マリアージュに指摘されて初めて、アルフはくんくんとフリッツに鼻を近づけてみた。

 言われてみれば、確かに。

 中年独特の汗臭さはあるが、酒の臭いは皆無だ。


「こいつ、まさか素面なのか……」

「というか、フリッツはドナと出会ってからお酒をやめたんでしょう? 彼は今までちゃんと禁酒を続けてきたんじゃないかしら?」

「ち、違う!」


 マリアージュの言葉を即否定したのは、誰あろうフリッツだ。

 額に大量の汗をかきながら、ガタガタと体を小刻みに揺らしている。


「今日は……たまたま、だ。たまたま酒を飲んでないだけで……」

「マリアージュ様、薬の分析できました。主成分はヨウ素ですね」

「やっぱり」

「は? ヨウ素? なんだそりゃ」


 しかしフリッツの言葉を否定する事実が、コーリーの魔法分析のおかげで新たに浮かび上がる。

 アルフは頭の上に大きな疑問符を浮かべ、仕方なくマリアージュに説明を求めた。


「嬢ちゃんの意見、聞かせてもらおうか」

「いいわよ。まず一つ。フリッツはアル中なんかじゃない。おそらく甲状腺異常が原因のバセドウ病よ」

「コージョーセン? バセドウ病?」

「ええ、人間にはここ――喉仏の下辺りに甲状腺と呼ばれる臓器があるの。ちょうど蝶々が羽を広げたような形をしているわ」


 マリアージュはアルフの喉仏をガッと右手で挟んで、実地で説明する。


「この甲状腺は新陳代謝――簡単に言うと、身体活動に大きく関与してるわ。甲状腺の働きが強すぎると体力の消耗が激しくなって疲れやすくなり、逆に甲状腺の働きが鈍ると顔がむくんだり何もやる気が起きなくなる。とにかく色々な症状が出るの。普通の生活を送るのにも支障が出てくる」

「大変な病気じゃねぇか、そりゃあ……」


 アルフはフリッツを見下ろし、思わず同情の言葉をかける。


「おそらくフリッツは甲状腺機能亢進症。主な症状は多量の汗をかく、疲れやすくなる、動悸や手足の震えが出る……などよ。それと特徴的なのが」


 マリアージュはフリッツの顎をクイッと掴み、上を向かせる。


「ごらんなさい、フリッツの目玉はぎょろりと大きくなっているでしょう? これは眼球突出と言って、目の周りの筋肉や脂肪に炎症が起きている状態よ。だから健常だった時に比べ、人相が変わったように見えるの」

「じゃあやっぱりフリッツはアル中じゃないのか」

「アルコール中毒と症状が似てるから、一見してわからなかったのね。でもフリッツが飲んでいる薬は――ヨウ素は甲状腺から出る甲状腺ホルモンという物質の材料になる。ヨウ素を補給すれば、甲状腺異常の緩和につながるの」

「……」

「つまりこれはヨウ素を多く含んだ海藻を粉末にした薬ってわけ。そうでしょ? フリッツ」

「………………」


 マリアージュの診察が進めば進むほど、フリッツの顔色は悪くなっていった。

 さらにユージィンの魔法によって、フリッツの嘘が暴かれる。


「マリアージュ様、フリッツの体から抽出できる血液反応は主に靴底とズボンの裾に集中していることが分かりました。それ以外の部位に、血液反応はほとんどありません」

「は? どういうことだ!?」

「つまりフリッツがドナの殺害現場にいたのは事実。でも返り血は浴びていないということよ」

「ち、違う!」


 突然フリッツは声を荒げ、マリアージュにしがみついた。今にも泣きそうな表情で、自分の有罪を訴える。


「お、俺は現場から逃げた後すぐ血を洗い流したんだ! 本当だ! ドナを殺した犯人は俺だ。犯人自らが白状しているんだから、それでいいじゃないか!?」

「………」


 フリッツが必死になればなるほど、彼の不自然な嘘が空しく鼓膜に響いた。マリアージュは机の上に置かれていた金属ペンを取り、それをフリッツに握らせる。


「じゃあこれをナイフに見立てて、私を突き刺してごらんなさい。ドナにそうしたように」

「……っ」


 フリッツを挑発するとフリッツは必死の形相になり、金属ペンを身構えた。しかし手がブルブルと震えているせいで、上手く力が入らない。


「くそっ!」

「……」


 そしてマリアージュの体を突き刺すふりはするものの、それはあまりにも弱々しい動きだった。人をめった刺しにするどころか、一度突いただけで金属ペンを床に落としてしまう。これも全てバセドウ病による筋力低下が原因だろう。

 

「ご覧のとおりよ、アルフ。フリッツにドナは殺せない」

「……………マジかよ」

「……っ」


 一瞬絶句するアルフと、がっくりと項垂れるフリッツ。

 理由はわからないが、フリッツは嘘をついている。

 彼はドナ殺害の真犯人ではないのだ。


「フリッツ、質問があるわ」


 マリアージュは追及の手を緩めず、フリッツを執拗に追い詰めていった。

 フリッツには目の前の美しい公爵令嬢が、悪魔の使いか何かに見えてしまう。


「あなたが犯人でないこと、にも関わらずドナが殺害された直後に現場にいたことは予想がついている。そして疑問点が二つあるわ。

一つ、あなたが着ていたはずの薄茶色の上着はどうしたのか。

一つ、あなたが危険を冒してまでドナの私物を盗んだのはなぜなのか」

「あ、言われてみれば本当だわ!」


 コーリーはその時点でやっと気が付いた。

 踊る仔兎亭で見かけた時、フリッツは薄茶色の上着を着ていた。だけど今は少し肌寒いのではないかと思うほど、薄着になっている。


「う、上着は捨てた……」

「どこに」

「忘れた……」

「じゃあ、休憩室から盗んだドナの私物は?」

「それも、捨てた……」

「どこに」

「忘れ……」

「おい、いい加減にしろ! 凶器も捨てた。上着も捨てた。盗んだものも捨てた。それら全部忘れたってか!? 不自然にもほどがあるだろう!?」

「……っ!」


 フリッツの言葉にかぶせて、アルフの尋問の声が飛んだ。

 しかしフリッツは唇を真一文字に引き結ぶと、今度こそ完全黙秘の態勢をとる。


「忘れたもんは忘れたんだ! 俺はもう何も答えない。さっさと死刑にでもなんにでもしてくれ!」

「ひ、開き直るな!」


 そして本当にその瞬間から、フリッツは脅してもすかしても事件について一切話さなくなってしまった。

 一体何が彼をそこまで突き動かしているのかはわからないが、これでは事件を捜査する衛兵隊士もお手上げである。


「ユージィン、コーリー、行くわよ」

「え?」

「行くってどこに?」


 そして取り調べが膠着状態に陥ったのを見て、マリアージュは素早く踵を返した。あっという間に取調室から退出し、そのまま外へと向かう。


「おい、嬢ちゃん、当てはあるのかい」


 ユージィン達だけでなく、アルフまでマリアージュを気にして外までついてきた。

 時刻はすでに23時を回っていて、炎魔法を利用した近くの街灯には数十匹の蛾が群がっている。


「当てはあると言えばあるわね」

「それは何だ?」

「フリッツがなぜ見え透いた嘘をつくのか。それは隠したいものがあるからよ。見つけてほしくない物があるから、それを捨てたと言っている」

「おい、まさか嬢ちゃん……」

 

 ふとマリアージュが何をしようとしているのか予想が付き、だがすぐに「いや、でもまさかお偉い公爵令嬢様がな……」と、自分の考えを否定する。

 しかしアルフの予想は、まさにドンピシャ。

 マリアージュはニヤリと、不敵に微笑む。



「探すわよ――証拠を。この広いパーム区のゴミの中に、真実は隠れているわ」







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