第19話 其は君の在りし日の





 デニスの手の中から落ちたのは、5センチ大の金属のプレートだ。

 マリアージュはそれに見覚えがあった。


「これは、デニスのネームタグですわ!」

「ああ、確か銀龍賞の投票用のプレートにもなっていると、コーリーが言っておったな」

「銀龍賞?」

「大会の主催者なのに殿下はご存知ないんですの? 金獅子杯の優勝者とは別に、生徒が投票で選ぶ最優秀賞のことですわ!」

「ああ、そう言えばそんなものが……」


 ルークをさっさと無視しして、マリアージュはネームタグを確認する。

 表にはもちろんデニスの名前が刻まれている。

 そして裏側を確認すると――


「ああ、やっぱり。デニスはユージィンを殺そうなどとは思っていませんでした」

「え?」

「ほら、ご覧になって。こちらにはユージィンの名前が魔法で刻まれています」

「!」


 マリアージュはネームタグをくるりと裏返した。確かに少し癖のある文字で、ユージィン=バロウズの名が刻まれている。


「デニスがこれを持っていたということは、決勝戦の勝敗に関わらずユージィンを認めていたということになりません? だって殺そうと思っている相手を最優秀賞に推す酔狂な人間なんていませんもの」

「そうか。だから死に際に、自分はユージィンを憎んでいないというメッセージを残したくて拳を突きだすような仕草を見せたのか……」

「……おそらく」


 デニスが必死に残していっただろうメッセージを見て、マリアージュだけでなく、ルークやオスカーの胸にも熱いものがこみ上げた。

 さらにマリアージュはデニスの体にどんな異変が起きていたのかを、わずかな所見から突き止める。


「それに見て下さい。今眼球を確認したところ、動眼神経麻痺が起きてますわ」

「動眼神経麻痺?」

「眼球がどちらも右を向いています。いわゆるギョロ目ですわね。もしかしたら脳の一部が損傷していたのかもしれません」

「え、えーと……?」

「説明するより見てもらったほうが早いですわ。これより開頭します」


 マリアージュはほぼ確信を得ながら、デニスの頭部にメスを入れた。ぐるりと頭のラインを切開し、頭皮をはがす。それから露出した頭蓋骨に穴を開け脳の状態を調べた。グロ耐性がない者には目を逸らしたくなる光景だが、そこはさすがというべきか。ルークもオスカーも表情を変えることなく、解剖の様子を静かに見守っている。


「そうか…そういう訳でしたのね……」

「何かわかったかい?」

「ええ。デニスは外傷性の硬膜下血腫――つまり何らかの理由で頭の血管から出血して、それが大きな血の瘤を作っていたんですわ」

「大きな……血の瘤?」

「ここです。頭蓋骨の内側で脳を包んでいる硬膜と、脳の間に出血がたまっているのが分かります?」


 マリアージュは問題の箇所を指さした。確かにデニスの脳内には大量の血が溜まり、脳の組織の一部を圧迫しているように見えた。


「この血の瘤による圧迫が広がると、頭蓋骨の内側の圧が高まって、頭痛や嘔吐などの症状が現れ始めます。その段階で開頭手術などの適切な治療を受けられれば助かる可能性が高いのですが、もしただの頭痛だと思って放置していると症状が脳ヘルニアへと進行し、最終的には死に至ります」

「えー、えーと、悩ヘルニア?」

「専門用語はともかく、血の瘤が生命を維持するための脳幹を侵し、最終的に呼吸不全などを起こして死んでしまうということですわ。特にデニスの場合、頭の右に血腫ができていますから、死の直前には左半身に麻痺も出ていたでしょう。そんな状態では、まともに魔法を詠唱するどころか制御することも不可能だったはず」


 左右の脳はそれぞれの脳と反対側の体の動きをコントロールしているため、右脳に損傷がある場合は左麻痺、左脳に損傷がある場合は右麻痺を発症する。決勝戦でデニスの魔法が暴走し始めた時、彼の体も意識もすでに自由にならなかった可能性が高いのだ。


「つまりデニスは自分の魔法を抑えたくても抑えられなかった」

「そうじゃな、その時彼はすでに体の半身が動かなくなっていたからなぁ」

「では彼の禁呪が発動したのは……」

「殿下、こうは考えられません? デニスは自分の命を犠牲にして禁呪を発動したのではなく、命が燃え尽きようとしていたからこそ、彼の意図とは関係なく――と」

「!」


 魔法については素人考えながら、マリアージュはこの推測に確信を得ていた。

 ルークもまた伏目がちに熟考し、うん、と納得したようにうなずく


「そうだね。マリアージュの推理は的を射ているかもしれない。あの時、ユージィンとデニスは上級魔法で対戦していて、かなりの魔力を消費していた。精神的疲労もかなりあっただろう。そして決着をつけようと切り札の魔法を行使した瞬間に、血腫によってデニスの左半身が麻痺、魔法の制御が不可能になった。術者のコントロールをなくした魔法は容易く暴発する。さらに暴発した魔法は死に直面した術者の生命エーテルを食らい、図らずも禁呪へと変化した――」

「よくよく考えたらなんという最悪のタイミングじゃ」


 エフィムは神に祈るかのように、静かに天を仰いだ。

 禁呪の発動に関してはまだ推測でしかないが、ルークの口ぶりから言って理論上は起こり得るのだろう。

 ここで今まで黙って口を噤んでいたオスカーも、たまらず驚きの声を上げた。


「つまりデニス=ドレッセルには対戦者への殺意はなく、病気を起因とする魔法の暴発が元凶だったのですか!?」

「そうです。おそらく半身麻痺を起こした直後にデニスは失神して意識を消失、その後魔法の暴発により焼死したのです」


 断言しながら、マリアージュは少しホッとしていた。

 これでデニスの汚名を雪ぐことができる。

 少なくともデニス自身に殺意はなかったこと、魔法の暴発が意図的ではなく偶発的なものであるという証明はできそうだ。


「問題はこの血腫がいつできたか……ですわね。決勝戦でデニスが強く頭をぶつける場面などありました?」

「いや、わしの記憶する限りではないのう。魔法対決はだいぶ白熱しておったが」

「うーん……」


 マリアージュは考え込んだ。

 デニスが外傷性の硬膜下血腫を発症していたのは間違いないが、いつ受傷したのか、その判断をするのは難しい。なぜなら硬膜下血腫は、頭を打った直後は特に症状が現れないことが多いからだ。

 しかし痛みや異変がなくても、場合によっては3週間から2カ月ほどの時間をかけて、頭蓋骨内にゆっくりと血液が溜まっていくことがある。

 医療現場では受傷より3日以内に症状が現れたものを急性、4~20日のものを亜急性、それ以後のものを慢性と定義することが多い。


「そう言えば今朝、君の前で挨拶してた時のデニスは、なんだかふらついてたよね。あれは何か関係あるの?」

「! あ、ありますわ!」


 殿下、ナイスです!――と言いかけて、マリアージュは慌てて口を噤んだ。

 激しい目眩も硬化膜血腫の症状の一つ。あの時すでに頭の中に血腫ができ、脳内に広がっていたとしたなら辻褄が合う。


「オスカー様、急ぎ学園に騎士を送り、デニスのクラスメイトや友人に聞き取り調査を行ってもらえません? 特にここ数日から数か月の間にデニスが強く頭をぶつけていないか。また頭痛などの症状を訴えていなかったかどうかを知りたいのです」

「了解しました」


 オスカーは踵を返し、部下に指示を出すため一旦解剖室から退出する。

 その背中を見送った後、マリアージュはデニスの遺体を振り返り、こう小さく呟いた。



「あなたが残した最期の声――ちゃんとここ・・に届きましたわよ」



 胸元に手を当て、炎の魔道士の安らかな眠りを祈る。

 するとこの場に充ちるひんやりとした冷たい空気が一瞬――彼の炎の魔法で暖かくなるような気がした。





           ×   ×   ×





 その後、第一聖騎士団の聞き取り調査の結果を待って、正式にデニスの死因が特定された。

 

  【外傷性亜急性硬膜下血腫を起因とする焼死】


 やはりデニスは頭部を強打したことによって血腫ができ、それが最悪のタイミングで発症してしまっていたのだ。


「で、ではデニスはユージィン殿を殺そうと魔法を暴発させたわけではなかった……のですね?」

「その通りですわ、ドレッセル伯爵。先ほどオスカー様に頼んでデニスの友人から証言を得ました。デニスは今から一週間ほど前、学園の階段から足を滑らせて落ちそうになった女子生徒を助けようとして、頭を強く床に打ち付けたそうです。おそらくその際に血腫が出来てしまったのでしょう。そして7日という時間をかけてゆっくり血溜まりが頭蓋骨内に広がっていった。ここ一週間、デニスは度々軽い頭痛を訴えていたようです」

「ああ……!」


 マリアージュからの報告を受けた伯爵は、悲しみとも喜びともつかない感嘆の声を漏らした。

 息子の無罪は証明されたが、もしもっと早く異常に気づき適切な治療を受けていたなら……。そんな後悔が、伯爵の視界を涙で曇らせる。


 さらにマリアージュは試合の途中でデニスの病気の症状が進み、左半身麻痺が現れたこと。それにより魔法の制御が不可能になり、デニス自身の意思とは無関係に禁呪が発動してしまったこと、おそらく焼死する直前に意識を消失していたため、デニス本人はさほど苦しまなかっただろうことを報告に付け加えた。


「じゃああいつはやっぱり、俺を殺そうとしたんじゃなかったのか……」

「よ、良かったね。ユージィン!」


 コーリーが笑顔で励ますものの、ユージィンは眉根を寄せたまま首を横に振る。


「いや、俺、デニスの目の焦点が変だなとは思ってたんだ。あの時、もっと早く異変に気付けていれば、あいつは今頃……」

「いいえ、あなたのせいではないわ、ユージィン。今回のことは不運に不運が重なっただけ。誰のせいでもない。もちろん……デニス自身のせいでもないですわ」


 マリアージュはゆっくりユージィンの前に、デニスのネームタグを差し出した。

 刹那、大きく見開かれる瞳。

 ネームタグの裏に刻まれたのは――癖のある『ユージィン=バロウズ』の文字。


「これが彼の残した最期のメッセージ。ユージィン、あなたは確かにデニスに認められていた」

「……」

「死者は決して蘇らない。時間は二度と巻き戻せない。残された私達に唯一できるのは、在りし日の彼らの想いを汲み取り――忘れないことだけですわ」

「……っ!」


 マリアージュからネームタグを受け取ったユージィンは、それをぎゅっと力の限り握りしめた。

 今にも消えてしまいそうな幼馴染の細い背中を、涙目のコーリーが必死に支えている。



「マリアージュ様、ありがとう……ございました。あいつの最期の声を聞かせてくれて」



 深く深く頭を下げるユージィンの声は、普段からは考えられないほど小刻みに震えていた。

 だがこの時、悲しみで煙る意識の向こう側で、ずっと眠ったままだったユージィンの何かが、ことり、と音を立てて目を開く。








 ――こうしてファムファロスを震撼させた殺人未遂事件は


 『デニス=ドレッセルの病変による焼死』


 という意外な形で決着を見るのだった。




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